謎解きはスイーツのように

印田文明

第1話 タルト・タ譚



 私の朝は、店の掃除から始まる。

 

 二階建ての店兼自宅の窓とドアを全て開け、早朝の清々しい空気を建物いっぱいに入れ込むと、初夏のほどよい気温と夏の気配を感じさせる独特の匂いを全身で感じることができた。

 まずは店の周りを箒で掃いて回る。次に店の中を隅から隅までモップがけし、イートインスペースのテーブルと椅子を拭いて回った。ここまでが二十歳の頃にこの店を開いて以来、約十年間続くルーティーンなのだ。

 さて、と私は一息ついた。新聞を開き、朝のコーヒーを飲みつつ、今日店に出すケーキを何にするか考えなければならない。私の店のメニューは『ケーキセット』しかなく、そのケーキも日替わりで一種類しか出さないし、ドリンクもブレンドコーヒーしかない。店の全てを一人で切り盛りしているため、仕方がなくこの営業スタイルを採用しているだけであって、決して作るのが面倒だとかそういうことではない。

 厨房を見渡して何かヒントになりそうなものがないか探していると、箱詰めにされた大量のリンゴが視界に入った。本来リンゴは秋から冬にかけて旬を迎える果物だが、知り合いのリンゴ農家が、初夏に収穫できる品種を作ったからよかったら使ってみて欲しい、と持ってきてくれたものだ。今日はこれをありがたく使わせてもらうことにしよう。

 リンゴのケーキといえば、やはりアップルパイだろうか。しかし、昨今の世の中では、ファストフード店でもアップルパイが食べられると聞く。自分が作るアップルパイが大量生産のファストフードごときに味の面で劣るとは到底思えないが、やはり手軽に食べられるというのは強みだ。何より洋菓子に明るくない人ですらアップルパイは知っているだろうし、洋菓子のプロとしていささか芸に欠ける気がする。

 他にどんなケーキがあっただろうかと考えつつ、リンゴを一つ手に取り、特徴をつかむために一口齧ってみた。本来、旬の時期を過ぎたリンゴは身が柔らかくなり、味も闇雲に甘くなる傾向があるが、このリンゴはシャキシャキ感を程よく残しており、十分すぎるほどの酸味もあった。きっとこのリンゴなら美味しいタルト・タタンが作れる。

 よし、今日のケーキはタルト・タタンに決定だ。


 パパッとコックコートとコック帽を身につけ、必要になりそうな器具と食材をあらかた棚から出してくる。特にバターと卵は常温でないと使い物にならないため、必ずこの段階で冷蔵庫から出しておかなければならない。

 まずはリンゴの下ごしらえから始めよう、そう思って足元の開き戸にある包丁に手を伸ばそうとすると、店の入り口の方から大きな声がした。


「おはよーございます! 野崎さん、起きてますか⁉」


 無視してリンゴの下ごしらえを進める。見なくても声で顔見知りだとわかったし、そもそも入り口から厨房は丸見えなので、起きていることは見ればわかるはずなのだ。

 まず、リンゴをくるくると回しながら皮を螺旋状に剥いていく。この剥き方は大名剥きというのだが、気を付けて剥かないと皮に余分な実が付いてしまい、勿体無いことになってしまう。プロになってからはさすがに問題なくこなせるようになったが、包丁握りたての頃は随分とこの作業に手を焼かされたものだ。


「えっと、おはよーございます!」


 次にリンゴを6等分にし、くの字に切れ込みを入れて種と芯を取り除く。ちなみにリンゴの種には梅や杏子と同様にシアン化合物、つまりは毒がある。とはいえ致死量に至るには何千個も摂取しないといけないので過敏になる必要はないが、やはり口にしないに越したことはないだろう。


「おはよーございます!!」


 ・・・・どうやら私が反応を示すまで挨拶をしつづけるようだ。諦めよう。

「開店時間は8時だといつも言っているだろう。今何時だと思ってるんだ」

「あ、やっと反応してくれた!おはようございます、今は6時を少し回ったところですね」

 返答したことを入店許可だとでも取り違えたのか、ズカズカと店に入ってきた。

 この厚かましいことこのうえない愚客の名は吾妻という。この店の近くに住んでいる女子高生で、何かにつけては週に一度のペースで開店前に乗り込んできては私に『相談』を持ちかけてくるのだが、これがなかなか骨が折れるし、何より開店前の忙しい時間なので迷惑極まりない。

「いつも言ってるが、開店前に入ってくるな」

「でもドアは開いてましたよ?」

「ああ、開けたんだ、換気のためにな」

「今日も『相談』があるんです。聞いていただけますか?」

 はあ、とわざと吾妻に聞こえるように大きくため息をつき、調理を再開した。どうせ帰れと言っても帰らないのだ、ざっくり聞いて、それっぽい答えを出してやると納得するだろう。大きめのフライパンに砂糖と水を入れ、加熱しながら耳は吾妻の話に傾けた。


   ******


 私が昨日、下校の道中に駅前へ行った時のことです。信号待ちをしていたのですが、対岸から突然「待て! 金返せぇ!」とドスの効いた大声が聞こえてきたんです。声のした方を見てみると、こちらに向かって二人の男性が走ってきました。どうやら後ろのおじさんが前の男性を追いかけているようなのですが、なんと、追いかけられているのは警察官だったんです!これってすっっっごく奇妙じゃないですか?・・・・何がって本来追いかける側のはずの警察官が追いかけられているということがですよ!

 結局おじさんは途中で体力が尽きたらしく、追いかけるのを諦めたようでした。逃げているのが警察官ということもあってみんな道を開けましたし、逃げるのは容易かったでしょうね。

 野崎さん、これについてどう思われますか?


   ******


 フライパンに入れた砂糖と水をキャラメル色になるまで加熱したら、一旦火を止め、余熱で焦げてしまわないようにかき混ぜながらバターを入れる。続いて下準備したリンゴを投入し、中火で炒めていく。

「私の話、聞いてましたか?」

「聞いていたよ。警察官が追いかけられていたんだろう?それについてどう思うか、なんて聞かれても「そういうこともあるさ」としか言えないぞ」

「なるほど、じゃあ論点を明確にします。私が知りたいのは『警察官が追いかけられるという状況』がどのようにして出来上がったのか、ということです。是非とも吾妻さんの知恵を貸してください!」

 リンゴが徐々にキャラメル色になってきた。根気よく混ぜ続けると、香ばしくて、なおかつリンゴ特有の甘酸っぱい香りが店中に広がる。

「そんなの簡単だろ。そのおっさんは過去に例の警察官に切符を切られたとかで、恨みがあったんだ。で、街中で偶然その警察官を見つけて、追いかけた」

「仮にも国家権力の警察官が、その程度で逃げ出すとは到底思えません。それに・・・・追いかけていたおじさんは、その、いかにも中年という体型の方で腕ぷっしが強いようにも見えませんでした。日々体を鍛えている警官がそのような方から逃げる必要があるようには、やはり思えません」

 割と自信があったが、あっさりと否定されてしまった。

 リンゴの表面が透き通るぐらい満遍なくキャラメル色になったら火を止め、オーブン用の丸い型を準備する。型にオーブンペーパーを敷き、隙間ができないようにリンゴを詰めて、最後にフライパンに残った汁も回しかけたら、それを180度のオーブンで三十分焼く。


 開店時間が徐々に近づいてくる。開店した後まで居座られると迷惑だし、そろそろ真面目に頭を働かせた方が良さそうだ。タルト生地の準備をしながら、気になったことを聞いてみよう。

「警察官は走って逃げたんだよな?乗り物を使わず、走って」

「はい、でもそれが何か?」

「警察はパトロールの時でもスピード違反の張り込みの時でも、パトカーとか原付を使うだろう。駅周辺を徒歩でパトロールをしている警察官なんて見たことないぞ」

「言われてみれば確かにそうですね。でもそれがどうかしましたか?」

「逃げたいなら乗り物に乗る方が確実だろ。そのおっさんも走って追いかけたところを見るとおっさんは乗り物がなかったと考えられるわけだし」

「確かに・・・どうしてなんでしょう?」

「さあ?なんとなく気になっただけだ」

吾妻はうーん、としばらく唸って考え、やがてあきらめたようだ。


 先ほど焼いたリンゴを取り出して粗熱をとった後、フォークで空気穴を開けたタルト生地をかぶせ、また180度のオーブンで四十五分焼く。これで後は焼き上がるのを待つだけになった。この四十五分で吾妻の『相談』を片付けてしまわないと、開店時間が来てしまう。


「話が変わるが、おっさんは「金を返せ」と言っていたんだったな」

「そうです。過去に何らかの金銭の授受があった、ということでしょうね。警察との金銭の授受といえば・・・・」

「普通に考えれば罰金だろうな。でも今回はそうとも言い切れないぞ」

「何故ですか?」

「『返せ』と言ってるということはすでにそのおっさんは警察に金を支払っているんだ。支払いを拒否するというならまだしも、一度支払った罰金を返せと言い出すのはおかしいだろ」

「過去に支払った罰金が不当なものであったと後から気付き、街中で見かけた警察官に食ってかかった、とは考えられませんか?」

「もしそうだとしても、そんな末端の一巡査なんかに言わずに県警本部や裁判所に問いかけるのが筋だ」

「確かに・・・・」

 また吾妻はうーんと唸り、これまた諦めたようだ。


 この時間を利用して私はブレンドコーヒーを準備しながら、『相談』について考えたが特に妙案は浮かばなかった。一応人生の先輩として後輩からの『相談』には答えてやりたいというなけなしのプライドもあるが、わからないものはわからない、仕方がないのだ。

 

 無情にもオーブンの電子音が鳴り響き、タイムアップを知らせる。吾妻もそれを聞いてがっくりうなだれた。

 

 いくら身勝手に持ち込まれた『相談』とはいえ、途中で投げ出してしまうのはなんとも心苦しいが、所詮相手は女子高生だ、ケーキの味見でもさせてやれば機嫌も治るだろう。私はケーキの仕上げを始めた。

 オーブンからケーキを取り出し、うちわで扇いで粗熱を取る。素手で触れるぐらいになったらホール用のケーキ皿の上でひっくり返し、型を外した。そう、タルト・タタンとは逆さまに作り、仕上げの段階でひっくり返すという珍しい作り方をするのだ。


 ・・・・、か。


今回の『相談』に根本的な勘違いや思い込みがあるとして、ひっくり返すとしたら起点はどこになるだろう。・・・・ああ、なるほど。


「なあ、そもそもお前は何で警察官が追いかけられていると思ったんだ?」

私が推理を続行したのがよほど嬉しいのか、吾妻はパァッと顔を輝かせた。

「何で、と言われてもその方が警察官だったからとしか・・・・ええ、どこからどう見ても彼は警察官でした」

「たぶんそこだ、そこに根本的な思い込みがある。そもそもパトカーも持たず、一般市民のおっさんから逃げ出してしまうような奴が警察官だというのは無理がある。そこで、そいつは警察官の格好をした一般人だとするとどうだ」

「コスプレでもしてたんですかね? ハロウィンはまだ先ですが」

「それだと「金を返せ」という発言に繋がらないだろ。一般人である事とその発言を繋げると・・・・」

答えが正解であるかどうかはこの場合重要ではない。吾妻が正解だと思う事が重要なのだ。



「お前が見たのは、だ」



「罰金詐欺、ってなんですか?」

そこからか。

「警察官に扮した人間が罰金だ、とかこじつけてお金を巻き上げる詐欺の手法だ。まあ体制の整った日本じゃ滅多に起こらないから知らないのも無理ない」

「でも待ってください。罰金ってその場で支払うものではなく、後日金融機関を通じてお支払いするものですよね?」

「その通り。そもそも罰金の支払いに金融機関を介すのも、その手の詐欺を防ぐ目的もあるだろうしな」

「でも野崎さんもおっしゃていたように「金を返せ」と言ったということはすでに金銭の授受は行われています。矛盾していませんか」

「それは物事を平面的に考えすぎだ。想像してみろ。


********


『おじさん、ここ、路上喫煙禁止区域なんだけど』

『げっ!警察!?』

『とりあえずこの書類にサインして。あと罰金一万円ね。今払えないなら署まで同行してもらうことになるけどどうする?』

『クソ。一万ぐらい今払うよ』

『確かに一万円いただきました。以後気をつけてくださいね。それでは』


『・・・厄日だ。ところで罰金なんて人生で初めてだな。その場で支払うなんて、警察もエグいことするんだな。どれ、スマホで罰金について調べてみるか・・・・・・・・あの野郎‼』


********


みたいなことなら十分あり得るだろ。後日支払うということを知らない人もいるだろうし、そもそも警察官に対して食ってかかるような度胸がある人はそうそういない。警察に払えと言われれば疑いなく払ってしまう人がほとんどだろう」

「小芝居までしていただいて、ありがとうございます。なるほど、確かにそれならありえますね」

 どうやら吾妻の正解になりうる回答だったようだ。



 冷ましたタルト・タタンを十二当分に切り、ペストリーケースに並べたら開店準備は終わりだ。時間は開店時間5分前、間に合った。

「よく分からない状況も、聡明な人が考えれば説明がついてしまうものなんですね。野崎さんに相談を持ちかけるたびそう思い知らされます」

 聡明、だなんて初めて言われたな。

「お褒めの言葉痛み入るが、ぼちぼち開店時間だ。吾妻もこれから学校だろ。さっさと行ってこい」

「はい!お礼に今度友達とケーキ食べに来ますね、それでは行ってきます!」

「ああ、次は店が開いてる時間に来るんだぞ」

 できればケーキがたくさん売れ残っている日に、できるだけたくさんの友達をつれてくるんだぞ、とは言わないでおこう。

 朝から疲れたが今日も開店することにしよう。ドアにOPENの札をかけると早速常連さんがお店に入ってきた。



「いらっしゃいませ、本日のケーキはタルト・タタンでございます」



                             〈了〉

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