ともだち

歪鼻

ともだち

 ――あまり認めてたくないけど、どうやら私は見えてしまう体質だ。


「おっはよー!朱莉あかりー!」


 ――何が見えるかって?それは言わずもがな、が見える。


 元気の良い声に通学中の朱莉が振り返ると、そこに居たのは同じクラスの千里ちさとだった。と同時に、木枯らしに舞う木の葉の向こうで朱莉の顔色がさっと変わる。


「あぁ……おはよう……、千里。元気だね……。今日も猫の髪留めが愛くるしいよ。」


 ――私は霊能体質。……なんだと思う。


「やぁ、照れるぞなもし。まぁ、それだけが取り柄だから!朱莉は今日も元気ないねぇ……。かばんに付けたエビフライのストラップが泣いてるよ。」


 ――それはそうだろう。千里の後ろの先に、私は見えてしまったのだから。


 朱莉は何も気づかないフリをして、前を向くとやや早い歩調で高校を目指すと、エビフライのストラップがカチャカチャとリズムを取る。千里もスタスタと私の横を歩きながら私の顔を覗き込む。


「ねぇねぇ、いつも思うんだけどさ、朱莉ってさぁ……。」


 ――それは、通学中に振り返るとかならず電柱の影にいる。


「もしかして、ストーカーされてない?」


 ――野球チームのキャップを深くかぶった冴えない男の霊が。


「え!?」


 思わず素っ頓狂な声をあげて足を止める朱莉。切れ長の目を目一杯開いて驚く様に、千里も驚いて声を上げる。


「え!?」


「す……ストーカー?」


「うん、ストーカー。今も電柱の影からこっち見てるから、知らないふりして歩こーよ。」


「う、うん。」


 千里に促されて再び歩き始めるも、朱莉は釈然としなかった。


――ストーカー……?え?……地縛霊じゃなかったの、あの人?いや、あの幽霊?


 高校2年に上がってからこれまで、朱莉は毎日あの電柱男を見てきた。雨の日も、風の日も、夏の暑い日差しの中も。かの電柱男は決して休むこと無く朱莉を雑なストーキングしていた事になる。


「春先からずっといたよね、あの人。朱莉は気づいているのかもーって思ってたらか黙ってたけど、流石にそろそろ言ってあげたほうがいいかなーと思って……。朱莉、知ってた?」


 千里の健気な心遣いがまた、受けたばかりの朱莉の傷口をやんわりと開く。


「え……あ……うん。気づいていた……のかな……多分。」


 今年から一緒のクラスになった千里。先ほど朱莉に声をかけてきた曲がり角で、ラブコメ展開でぶつかりそうになった時、獣のような身のこなしでさっと横に飛んだその姿に朱莉が惚れ込み、初日からともだちになった二人であったが、まさか、その頃から千里が電柱男の存在に気づいていたとは、朱莉は思いもよらなかった。しかし……。


 ――いや、絶対あれは幽霊のハズ。雨の日は傘もささず、かっぱを着るでもなく、そのまんまで突っ立っていたし。いつも同じ服だし。


「ねぇ、朱莉。警察にいくー?」


「うーん……。まだいいかな……。これまでずっと見てるだけみたいだし……。」


 朱莉はストーカーと言う千里の言葉を鵜呑みにすることはできなかった。しかし、それは同時にもう一つの可能性を認めることにもなる事に気づいた。


 ――つまり、千里も……霊能体質ってこと?


「もー!甘いよ、朱莉!ストーカーなんてね、突然行動に出るかもしれないんだからね!」


 千里がプンスコ怒ると、猫の髪留めもプンスコ怒っているように見えるから不思議だ。


「そうだよねぇ……。うん、わかるよ、わかる。心配するよね、フツー。」


 ――わかるんだけど……。ワタシ的にあれは……地縛霊だと思うので……。警察はちょっと……。


 そう思いながら電柱男の様子をうかがおうと振り返ると、いつもは少し離れたくらいの電柱の影にいるのに、いつの間にかその姿が見えなくなっていた。と、その時、千里が声を飲み込むようにして小さな悲鳴をあげた。


「きゃぁっ……。」


 驚いて前を見ると、向かう先の電柱の影から電柱男が顔を覗かせていたのだ。突然の事に立ちすくむ二人。


「ねぇ……、だから言ったじゃない……朱莉……。ストーカーなんて……突然行動……するんだから……。」


 確かに千里の言うとおりだった、人であろうが地縛霊であろうが、ストーカーなら突然の行動に出ても何らおかしくない、それならもっと警戒すべきだった、と朱莉は後悔した。


 電柱の影から姿を表した電柱男は、ふたりのところへにじり寄ると、掠れた声か、思念のようなモノか、消え入るように話しかけてきた。


『……ソレ……エビフライ……カワイイ』


「……話しかけてきた!」


 千里が小声で震え上がっている一方、朱莉は電柱男の幾ばくかの親しみを覚えていた。電柱男はエビフライのストラップがお気に入りのようだ。朱莉はストラップのボールチェーンをぷつりと取ると、ストラップを電柱男に見せて言った。


「……これ、欲しいの?」


 声にも所作にも現れない電柱男の肯定の意思が流れ込む。朱莉はストラップをゆっくりと差し出すと、


「ダメ!」


 と千里が勢いよくその手首を押さえて声を上げた。その反動でエビのストラップは地面に落ちてしまった。


「ストーカーに甘い顔を見せると、エスカレートしちゃうんだから!走るよ!」


 そのまま千里は朱莉の手を引きながら通学路ではない脇道へと走り始めた。なすがままに朱莉も走り始めるも、電柱男が気になり後ろを振り返る。するとそこには深くかぶったキャップの影から、暗い光を放つ瞳を覗かせ、朱莉たちにひしひしと伝わるメッセージを放つ電柱男がいた。


『……ニ・ガ・サ・ナ・イ』


 どうやら、好ましくないことに電柱男の怒りを買ってしまったようだ。


「ちょ……ちょっと、どこへ行くの千里!」


「警察って言ったでしょ!橋を渡った先の交番までダッシュだよ!」


 不本意ながらも乗りかかった船、警察に何ができるかはわからないが、朱莉も腹を決めて本気で走り始めた。とはいえ、交番まではかなりの距離がある。全力で走り続けるには無理があった。


――……苦しい……息が続かない。


 その努力も虚しく、緩やかながらも勾配のある橋の中央で二人のその足は止まっていた。幸いなことに、電柱がないからか分からないが、電柱男が迫ってきているフシはなかった。


――かな、もう大丈夫かな。


 朱莉が千里にそう伝えようとしたのに先んじて、千里が弱音をはいた。


「もう無理!!ここから飛び降りよ!」


 千里は橋の欄干に手をかけて、下を指差した。その指の先を見た朱莉は青ざめて、必死に千里の訴えを退ける。


「え!?だって!ここの下は川だけど、すっごく高いよ!」


「もう!朱莉は!そんな悠長な事言ってないで!アイツが来ちゃうからはやく!」


 パニック状態の千里が捲し立てるように朱莉に詰め寄る。


「アイツのせいで!いつもいたアイツのせいで!アタシは朱莉を連れていけなかった!今ならアイツはイない!行こおうおよぉ!朱莉ィイ!!一緒にイこう!!!」


「……千里!?」


――いや、違う。これはパニックなんかじゃない。


 恐ろしい形相で朱莉に迫る千里は、欄干を背負った朱莉の両肩を物凄い力で橋の下へと押す。


「はやく!ハヤク!ハヤク!はyあkう!!!!」


――千里は……千里は……仲間を探していた……?


 その力に必死に抗いながらも、徐々にその体を押し込まれる朱莉。欄干を視点に反り返させられると、先程までの晴天はいつの間にか暗雲が立ち込める。尋常ならざるその力に負けるのはもはや時間の問題だった。


――もうダメだ。


 朱莉が諦めかけたその時だった。



『――千里おねぇちゃん、もうやめて。

おともだちを巻き込まないで。』


 橋の下から声が聞こえたかと思うと、電柱男の風貌をした少年が朱莉の背後に現れた。その瞬間、千里の表情が怨念のそれから驚きのものに変わった。


「アンタ……。まさか……貴之たかゆき……なの?」


 千里が電柱男を貴之と呼ぶと同時に朱莉を押す力はにわかに消え去る。体の自由を得た朱莉はとっさに欄干から離れた。


『ボクはもう寂しくないから……だから、もう、おともだちを……増やさなくていいから……。』


 貴之と呼ばれた電柱男が諭すように言うと、千里は目にいっぱいの涙を溜めて崩れ落ちた。


「アンタは、アタシのせいで……アタシがアンタを置いて先に行ったせいで……。」


『もういいんだよ、お姉ちゃん。ボクが勝手に落ちたんだ。お姉ちゃんは悪くないよ。だからもう、自分のことを責めないで。』


 空を覆っていた暗雲は消え去り、千里の表情は秋晴れのように清々しい笑顔を浮かべていた。



「あんた、危ないよ。」


 ふと、通りがかりの老人に声をかけられて我に返った朱莉。気がつけば朱莉は一人で橋の欄干から身を大きく乗り出していた。とっさに後ろにのけぞり、地べたに尻餅をつくと、その視界の先には、手向けられたいくつかの花と、猫の髪留め、そして野球チームのキャップが並んで置かれていた。


 ――どうやら私は助かったらしい。


 慌てて立ち上がってスカートの汚れを払うと、朱莉は老人にこう聞いた。


「あの……ここって何があったんですか?」


「……ここかい。昔、悲しい事故が……あったんだ。」


「……どんな事故……ですか。」


 含みのある老人の返しに、朱莉が聞き返すと老人は続けた。



 ……8年ほど前、小学校に上がったばかりの男児が橋から落ちて水死する事故があったという。それから程なくして、毎日のようにお参りに来ていた上の娘が誤って橋の下に転落し、姉弟共にこの場所で亡くなったのだという。


 当時は下の子に上の娘も連れて行かれたのだろうとまことしやかに噂されたらしい。しかし、朱莉はそれは間違いだろう、思っていた。


「その猫の髪留めは……」


「ああ、それは上の娘のお気に入りらしくてね、ずっと着けていたものらしいよ。」


 不意に朱莉の脳裏に不意に思い返される幼い頃の思い出。隣の家に住んでいた姉弟の姿の中に猫の髪留めと野球チームのキャップが浮かび上がる。当時、仲の良かった隣の姉弟は私が小学校へ上る前に家庭の事情で引っ越した。そして今、その二人の名前が千里ちゃんと貴之くんであったことを思い出したのだった。


「もしかして、その姉弟の名前って、千里ちゃんと貴之くんって名前じゃありませんか?」


「どうだったかなぁ……、そんな名前だったような気もするし、違うような気もするし……。」


――千里……ちゃん。


 やるせない気持ちで供えられたものに視線を落とすと、朱莉は野球チームのキャップの中にエビのストラップがひっそりと身を潜ませていることに気づく。


――貴之くん、ストラップを持っていったのかな。


 そう思うと、朱莉は少しだけ気持ちが明るくなるのだった。



 ……数日後。


 まるで何もなかったかのように、これまでと変わらぬ日常を過ごす朱莉であったが、それでも幾つかは変わっていた。


 通学路で振り返っても電柱の影にいるのは猫くらい。いつも千里が声をかけてきた曲がり角では、もう誰も声をかけてこない。教室の隅にあったと思った千里の席も綺麗サッパリ無くなっていた。なにより、一人で歩く通学路がとても寂しい事に気付かされていた。


 いつも一緒に歩いていた千里は、とうの昔にこの世を去っていた存在だったのだ。少し不思議なのは、出会った千里と貴之の霊が朱莉と同じくらいの見た目だったことだ。


 ――もしかして、千里は、私と一緒に高校へ行きたかったのかな。その夢を叶えるために高校生の姿で……。


 とその時。


「朱莉ー!」


 ふと千里に呼ばれたような気がして振り返る朱莉。しかし、そこにいつもの千里の姿はなかった。


 その代わりに、仲良く手を繋いだ幼い姉弟の姿がそこにはあった。


<了>

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ともだち 歪鼻 @ybiumu

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