まわるパティシエール

赤城ハル

まわるパティシエール

 私にはトラウマになった言葉がある。

 それは御前様現地食事会でのことだ。この御前様現地食事会とはわが社と取引関係のある各社長を店に呼び、食事をするというものだ。向こうからしたら現地ではどのような食品メニューが出されているのかを知るものである。

 でも実際に出されるのは新鮮な食材、専門スタッフによるもの。普段、店で使われる冷凍食材でもなく、機械とバイトによる調理でもない。もはや詐欺だ。

 その御前様現地食事会の時には海外の社長もいて、その中のフランスの社長が「日本人は生魚に生クリームをのせて、オレンジジュースを飲むのかい?」という言葉をフランス語で私に言ったのだ。

 こいつはきっと私が中卒後、製菓学校上がりの菓子職人でフランス語ができないと思って言ったのだろうが、私はこう見えてフランスで5年パティシエールとして勉強したのだ。フランス語は理解できる。

 この言葉は当時の私の存在意義をずたずたにする刃物であった。

 私だって本当は有名ホテルやおしゃれな店を構えたいと考えていた。それが回り回って全国チェーン展開する寿司屋のデザート開発室に入社したのだ。

 5年本場で働いていて寿司屋のデザートだ! 回るだけに。

 親兄弟親戚、友人知人に職場を話すときどれだけ心を磨り減らしたか。その時の皆の反応は、「なんて返せばいいのか分からない」だった。それりゃあ、困るだろう。パティシエールが寿司屋に勤めるのだから。

 それでも私は頑張ればいつかは店を持てると期待をしていた。実力はある。あとは金だけだ。

 それがフランスの社長に「お前は寿司に生クリームをのせるのが仕事なのかい?」なんていう嫌みを言われたのだ。

 プライドはズタズタ。地が落ちて私は奈落へと落ちた気分だ。


 その私のプライドを粉々にした御前様現地食事会が今年、行われることになった。

 やる気はなかった。

 どうせ寿司食ったあとでは海外のお客様にはデザートは合わないだろうと考えていた。

 そんな時、本社と契約関係のあるノルウェーの会社から来たフラガ君に頼まれた。

 最初は訳の分からない外国人と思い、無下に断っていたが、どうやら彼は本社では食品開発一課にいたが取引先である日本の会社、しかもイベント課に左遷されたという。それはどことなく自分と似た境遇のような感じがした。

 そんなことを聞かされて私は心を揺さぶられてしまい、仕方なく頑張ることにした。

 だが、フラガ君は日本語がぺらぺらだからかなりの勉強化と最初は考えていたが、どうやらオタクらしく、日本語もアニメが影響してだとか。

 しかも、三流大学出身でコネで親の会社に入社。しかもヘマしてクビになるところを社長の助けでここに飛ばされて来たのだとか。3年働けば元に戻るとか。

 さらに御前様現地食事会に自分の父親も参加するので、父親に見返すため張り切っていたらしい。

 なんてこった。同情した私が馬鹿だった。私と全然違うじゃないか。

 しかし、今更やる気ないのでとは言えない。

 仕方ない。やるだけやるか。

 多少のボーナスをくれるんだし。


 そして当日、前もって下準備していた私はバックヤードで待機していた。今は専門職人がネタを握り、寿司を各社長達に披露しているのだろう。

 デザート部門からは私一人だった。だから今は一人ぼっちで薄暗いバックヤードにいる。

 小さな豆電球をぼんやり見ていると、豆電球が今の私のような気がした。

 そこへフラガ君がやってきた。

「ん、もう出番?」

「あ、いえ、もう少し先です」

 流暢な日本語だった。初めて会ったときもそうだった。ハーフか何かで日本育ちなんだろうと勝手に考えていた。そのせいで勝手に誤解してしまったのだ。

「何か用? 探し物?」

「そんなんじゃありません。調理場にいると周りの視線が痛くて」

 と言って彼は私の隣に三角座りで並んだ。

「ここ狭いですね」

「1号店だからね。ここから全国へと展開したんだよ。当時はここまで大きくなるとは考えてもなかったらしいよ」

「聞いてます。なんでも三代目がかなりのやり手だとか」

「そうそう。流通と鮮度に目をつけたとか」

「サーモンにも早くから目をつけて、うちの……ノルウェーの会社にも熱烈にアタックしてきたらしいですね」

「前から気になってたんだけどサーモンと鮭はどう違うの? やっぱ品種?」

「養殖か天然の違いですよ。サーモンが養殖で鮭が天然です」

「それだけ?」

「ええ。ただ同じと考えてはいけませんよ。鮭は刺身にはできません」

「どうして?」

「寄生虫がいるからです。養殖ではいないんですよ。だから養殖は刺身やネタにできるんです」

「へえ、そうなんだ。フラガ君、勉強化だねえ」

「いえ、わが社……親の会社が卸しているからですよ」

 とフラガ君は肩を竦める。

「今回の御前様現地食事会はどう? お父さん来ているのでしょ? どう? 何か言われた?」

「まだ何も。今は他人ですよ」

 そこでバックヤードからスタッフが入ってきて、

「佐藤さんお願いします」

「はい」

 私とフラガ君は腰を上げて、外に出た。

 私は調理場へと入り、フラガ君は廊下に。

「では佐藤さん、頑張って下さい」

 フラガ君が私の背にそんな言葉を掛ける。

 まあ、頑張るしかないか。


 前回の御前様現地食事会の後でデザート開発室は寿司の後で合うデザートを研究した。それは全く実りを生まなかった。

 一進一退のない開発が続いた。結局行き着いた末が今まで通りだった。


「おや、茶碗蒸しかい?」

 プリンを出した瞬間、ジャブがきた。

 言ったのは中国の社長さんだった。

「プリンでございます」

 私は笑みを貼って答えた。本当は当店自慢のという前置きを付けるのだけれど茶碗蒸しと言われた後、そんなことは言えなかった。

「おー、これはすごい。口に入れた瞬間溶ける」

「おいしいですねえ」

「ええ、本当に」

 反応は良好。好評のようだ。

 私は胸を撫で下ろし、心の中でほっと息をついた。

 ふと端にいるフラガ君が視界に入った。彼は親指を調理場へと向けている。

 私は一礼して調理場へ向かい、次のデザートの準備を始めた。


「次、お願いします」

「はい!」

 次のデザートであるショートケーキを私は御前様達のテーブルへと運んだ。

「当店自慢のショートケーキです」

「ショートケーキとな?」

 その声を上げたのはアメリカの社長だった。

「日本のショートケーキと本場アメリカのショートケーキとは違うのです」

 しまった。今回からアメリカ社長も来るのだった。

 アメリカのショートケーキは生クリームをパサパサの生地で挟んだもの。

 日本のショートケーキを見せたら驚くのは当然だろう。

「おお! 柔らかい。それに程好い甘さにイチゴがいいアクセントだ」

 なんとかアメリカの社長からお褒めの言葉をいただけた。

「ありがとうございます。……では」


 調理場で一休みしていると下げられた皿が運ばれてきた。

 その皿は私がデザートで使ったものだ。なぜかって、それは私のデザートが載っているからだ。二口くらいまでしか食べられていない。

「……」

 はあ、今回も駄目だったか。

 そんな時、フラガ君がやってきた。

 フラガ君は私とは逆に喜色満面である。

「食事会は成功したんだ」

「ええ。大成功です。ありがとうございます」

「いや、私は足を引っ張っただけだよ」

「そんなことはありませんよ」

 彼は首を振り、力強く言う。

「聞いてた通りにすばらしいお仕事でした」

 は? え? 聞いてた通り?

「き、聞いてた通りとは?」

「前回の食事会ですばらしいデザートがでると聞いていました」

「いやいや、不評だよ。大不評。寿司に生クリームを載せてオレンジジュースを飲むのかって言われたんだから」

「へ?」

 彼は斜め下を向き、思案した後に、ポンと手を叩いた。

「それは寿司には合わないということですよ」

「合わないくらいまずいと」

「逆ですよ。フランス料理にしか合わないという意味ですよ」

「本当?」

「現に持ち帰りを要求されてますし」

「それ今回だけでしょ。前回はなかったし」

「前回は持ち帰りを言えなかったんですよ。でも今回はうちの父が持ち帰りをしたいと私に言ったことで皆様も持ち帰りしたいと要求したのです」

「じゃあ、なんで二口程度で残したのさ」

「今はお腹いっぱいということですよ」

「本当かな。まあ、いざという時のために余分にはあるけどさ」

「お願いします」

 私は紙箱にプリンとショートケーキ、保冷剤を入れて、社長達の帰り際にそれを手渡した。

「ありがとう。後でおいしくいただくよ」

 フランスの社長が満面の笑みで受け取った。

「ね、言ったでしょ」

 隣のフラガ君がウインクして言った。


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