10.伝えたいこと
その時は、突然訪れた。ナオが五枚ほど残っている手札の中から、スペードの5を出した時、テーブルに放置していたユキトのスマートフォンが電子音を立てた。
ユキトはそれを聞くと、すぐにスマートフォンに手を伸ばしてバックライトをつける。明るくなった液晶には、通知が一件だけ浮かび上がっていた。
「来た」
短い二文字に、しかし全員がその意味を悟り、それぞれのスマートフォンに手を伸ばす。放り出されたトランプは全て表を向いてしまっていて、もはや決着は付きそうにない。
ユキトは通知が届いたアプリケーションのアイコンをタップする。煌く星空のグラフィックを背景に『Nyr』の文字が浮かび上がる。それはこの数日で何度も目にした筈だったが、ユキトにはそれがいつもより遅いように思えてならなかった。
起動中の画面を意味もなく何度か叩く。急かすように、あるいはその急いた心を落ち着かせるように。タイトルのロゴがゆっくり弾けて、星空へと混じっていく。そしていつものようにメイン画面へと切り替わった。
「お城が」
ナオが小さく呟いた。
画面の中央にそびえ立つ城は、七色の光を放っていた。そこに詰まっているのが、皆で叶えた「願い事」だと思うと、ユキトは少し感慨深い気持ちになる。他のユーザには至って些細なイベントかもしれない。だがユキト達には切実な物だった。
恐らく、そういうものは世の中に沢山あるのだろう。ユキトはそう考えながら、城の正面に表示されたカウントダウンの数字を眺める。
誰かにとっては下らなくても、誰かにとっては大事で、きっと殆どの人がそれには気がつかない。ユキトたちが叶えた願いの中にも、そういうものがあったのかもしれなかった。内に秘めたものを、誰かに気付いてもらうために吐露したものが願い事であるならば、それを無視することは出来ない。
きっと、かつて滅んだ神もそう思ったのだろう。少しでも多くの人間の願いを叶えようとして、三つの神社にそれを背負わせた。恐らくそこに悪意は無かったとユキトは信じたかった。
だが三つの神社は、その宿業から逃れようとした。それも至極当然の流れだろう。祈願システムに依存するような生き方、あるいは束縛された生命の在り方を、彼らは良しとしなかった。
「あと一分」
れんこが緊張した声で呟いた。
全員、余計な言葉は発さなかった。壁の時計の音が妙に大きく聞こえる。まるで一秒一秒が音と共に床に突き刺さっているかのようだった。それに刺されないように、身動ぎもせず、画面に視線を注ぎ続ける。
画面上の数字は段々と減っていく。これほどに長い一分間を、ユキトは今まで体験したことがなかった。緊張しながらも、頭の中には今までのことが浮かび上がっては消えていく。ナオを追いかけて石段を駆け上ったあの日。ツカサとハルと話した喫茶店。縁結神社で宣戦布告したれんこ。倒れた図書館の木。豪雨。仔猫。占い師の女。たった一ヶ月足らずで起こったにしては、あまりに思い出すことが多すぎた。
「十秒」
ツカサが短い吐息を挟んでから告げた。自ずと全員、スマートフォンを握る手に力が篭る。静まり返った部屋の中で、最初に口を開いたのはハルだった。
「五」
その隣で、れんこが明るい声を出す。
「四」
れんこに釣られるように、ツカサも先ほどより少しテンションをあげる。
「三」
さーん、と少し伸ばした声だった。ツカサの視線に誘われるように、ナオが大きな声を出す。
「二!」
声が部屋に反響する。すぐに消え去るその音を追いかけるように、ユキトは顔を上げた。
「一」
何かが弾けるような音が、全員のスマートフォンから鳴った。画面の中で七色に輝いていた城が、派手なエフェクトと共に弾けた。
城の中に押さえ込まれていた星が、いくつもの光となって空へと放たれる。ハープのような優しい音楽が鳴り響き、画面が切り替わった。暗い空の中、白い星が一つの軌跡を描く。それに続いて無数の星が、それぞれの色に輝きながら次々と流れ始める。
「……流星群だ」
ハルがぼんやりと言ったのが聞こえた。ゲームに慣れ親しんだはずの少年の口から出たにしては、あまりに純粋無垢な反応だった。だが、それを笑う者はいない。画面を流れ落ちていく星々が、夜空に輝く星と同じように見えていた。
食い入るように画面を見続けていたその時、突然ナオとれんこが悲鳴を上げて、スマートフォンを放り出した。画面を見て驚いたわけではなく、何か外的要因のように見えた。
「美鳥さん?」
「ナオ、大丈夫か?」
ハルとユキトの問いかけに、二人の少女は暫く呆然としていた。何か考え込むように視線を周囲に彷徨わせた後、ナオはれんこを、れんこはナオを見る。そして、途端に表情を明るくすると、その場で立ち上がった。
「消えたよね、ナオちゃん」
「うん、消えた!」
二人は嬉しそうにその場で飛び跳ねた。数秒遅れてから、ユキト達も立ち上がる。
「祈願システムが消えたのか?」
「うん!」
ユキトの問いかけにナオが嬉しそうに頷いた。そして、いつもシステムを起動していた時のように、右手を宙にスライドさせる。だがもう何も起こらず、ささやかな風をユキトの頬に送っただけだった。
「体の中で、何かがパンって弾けるような音がしたの」
「あれは霊障に近い現象だと思います。私たちの体の中にあったものが抜けていったんです」
れんこが説明しながら、座布団の上で軽くターンをする。無作法な行動だったが、もし此処に神様がいたとしても、今だけは鷹揚にしてくれると思われた。
無邪気にはしゃぐ二人を、ツカサは少し離れたところで微笑ましく見守っていたが、やがて思い出したように顔を上げた。
「そうだ。兄さんに連絡しておこう」
「そんなの後にしておけよ。もっと他にやることがあるだろ?」
ユキトはツカサを制して言った。ツカサの兄がこちらのことを気にしているかはわからないが、どちらにせよ連絡をすぐに入れさせるのは癪に触る。気にしていないなら、こちらも無視すれば良いし、気にしているのなら、多少気を揉ませれば良い。ユキトはそう考えていた。
「やることって?」
「さっき言っただろ」
ユキトは花火のことを口にしようとした。だが、それを言うより先に何かが後ろから激突した。重くもないが軽くもない衝撃。同時に香るシャンプーの匂い。ユキトが振り返ると、ナオがその背中に抱きついていた。否、しがみついているという表現の方が近い。
「ユキちゃん」
「何だよ」
「ナオ、ユキちゃんに言わないといけないことがあるの」
それに反応を返したのはユキトではなかった。れんことハルがわざとらしく頬を押さえて「きゃー」と小さく言うのが聞こえた。ユキトはそちらを軽く睨みつけてから、ナオの腕を解いて向き直る。
「今?」
「今! 絶対今!」
「花火してからじゃ駄目か?」
「駄目。今がいいの」
引く様子の無いナオに、ユキトは少し苦笑した。そして、右手を軽く持ち上げると、ナオの頭を一度撫でる。
「もう少し後で」
「何でそういうこと言うの。ナオ、折角……」
「此処より、もっといい場所があるだろ」
泣きそうな顔をしたナオに告げれば、一瞬でその表情が驚いたものに変わる。
「いい場所?」
「前と同じ場所だよ。それとも忘れたか?」
忘れるわけがないのは承知の上で尋ねれば、ナオは勢いよく首を左右に振った後に、部屋の外へと飛び出していった。
残されたユキトに、ツカサが悪戯っぽく笑いながら肩に手を乗せる。
「いいねぇ。プレイボーイって感じだよ」
「うるせぇな。邪魔すんなよ」
「しません、しません。さぁ、ハル君と巫女さんは花火の準備でもしようか」
ツカサがそう言うと、ハルが不満そうな声を出した。
「えー、どこからか覗き見とかしないの?」
「ハル君はわかってないなぁ。ナオちゃんの晴れ舞台を邪魔しちゃ駄目。大人しく境内の屋根から見守らないと」
「美鳥さんも見たいんじゃん」
「まぁ当然? でも此処は二人にさせてあげないとね」
れんこがハルの背中を押して、部屋の外へと出ていく。ユキトとすれ違う一瞬、視線を合わせてウインクをしたが、それが激励のつもりなのか揶揄っているのかは、判別が困難だった。
「ユキト君、頑張ってね。まぁ失敗はしないと思うけど、願掛けでもしてから行く?」
「やめておく。誰かに叶えてほしい願いじゃないからな」
ユキトは花火の入ったトートバッグをツカサに渡すと、自分も部屋の外へと出た。忘れかけていた蒸し暑い空気が、体に張り付くように襲ってくる。
あの祭りの日も、こんな暑さだった。遠い記憶を探るようにして、社務所の外を目指して歩き出す。先に待っているナオに、どう切り出すべきかはまだ決めていなかった。だが、どういう言葉になるにせよ、伝えるべきことだけは間違いたくはなかった。
誰もいなくなった部屋で、ナオ達が投げ出したスマートフォンでは、まだNyrが動いていた。既に流星群は消えて、星空のグラフィックと音楽だけが続いている。音は次第に小さくなり、それと一緒に星の光も弱くなる。やがて全てが闇になろうとした時、白い文字がそこに浮かび上がった。
『明日、誰かの救世主になる』
忘れていたかのように流れ星が一つ落ちて、文字をそのまま攫っていった。
第六幕 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます