8.星は流れ落ちる

 日焼けして古びた畳。脚が四方に突き出した折り畳みのテーブル。柄も大きさも厚さも不揃いな座布団。天井近くに取り付けられたエアコンは、それらを平等に冷やしながら、誰もいない部屋を心配するかのように軋んだ音を立てていた。

 しばらくすると、少し離れた場所にある出入り口が開く音がして、二つの足音が廊下から近付いてくる。黄ばんだ襖を叩くような勢いで開いたのは、コンビニ袋を両手に下げたユキトだった。


「あー、涼しい」


 そんな感想を一言呟き、袋をテーブルの上に乗せる。中に入ったスナック菓子とアイスクリームが、重力に負けて大きく傾いたが、崩れ落ちる寸前で踏みとどまった。

 ユキトはそれを直すこともせず、まずは両手を上に上げる。袋によって手についた赤い痕の上を、汗が滑り落ちていくのが見えた。だがユキトはそれを見ながらも、特に何も考えてはいなかった。ただ只管に、冷えた空気を体に浴びて、何度か意味もなくその手を左右に揺らす。数分ほどしてから漸くその動作を止めると、座布団の一つに腰を下ろした。


「ってか俺が一番なのおかしくねぇか? 一番遠かったぞ、コンビニ」


 不満そうに言いながら、崩壊寸前のビニール袋を少々乱暴に引き寄せる。中に入っている菓子類を一つずつテーブルに並べていると、再び出入り口が開く音がした。


「お邪魔しまぁす」


 明るい声は、礼儀正しさを残しながらも遠慮がない。こういった場所に出入りするのに慣れている人間のものだった。ユキトはそれが誰の声かすぐに悟ると、手を止めて声を少し張る。


「真っ直ぐ来て、左!」

「あ、はーい」


 声に混じって、小さく甲高い音が二つ響く。履いてきたサンダルの音に違いなかった。数秒してから、襖が開く。顔を出したのはれんこだった。


「こんばんわ。ユキトさんだけですか?」

「あぁ。ナオもすぐに来ると思う。適当に座っててくれ」

「はーい。あ、これ良かったらどうぞ」


 れんこは抱えていた風呂敷包みをテーブルに置いた。服装はいつものように派手な女子高生のそれなのに、風呂敷は極めて古風な柄なうえに、四方に縛り癖も付いている。ネイルアートを施した指先がそれを解くと、中から漆塗りの重箱が出てきた。


「和菓子好きですか?」

「好きでも嫌いでもないな。おはぎでも作ってきたのか?」

「餡子作るには少し時間が足らなくて。淡雪羹です」

「あわゆきかん?」


 あまり馴染みのない言葉に首を傾げたユキトに、れんこは説明代わりに箱の蓋を開ける。中には真っ白な四角いものがいくつか入っており、それぞれに切れ目がついていた。白い羊羹、という表現が一番しっくり来るが、その表面は羊羹よりもキメが細かくて、軽い印象を与える。プラスチック製の可愛らしいピックが何本か刺さっていて、すぐに食べられるようになっていた。


「メレンゲの羊羹って感じですかねー。夏の定番ですよ」

「定番なのか? 俺、多分見るの初めてだけど」

「神社ではお客様来ると季節毎の和菓子を出したりするので」


 れんこはそう言ってから、ユキトがテーブルに並べていたアイスに目を向けた。


「あ、一個食べていいですか?」

「どうぞ。というかそのために買ってきたからな」

「夜に食べるアイスって背徳的ですよねぇ」


 れんこはチョコレートアイスが入った袋を持ち上げた。半透明に袋に「チョコの囁き」と書かれている。去年あたりから売り出されたそれは、他の似たようなアイスと比べると割高であったが、その分美味しさは保証されていた。


「もう十時過ぎてるしな。補導されなかったか?」

「格好のせいで、実際より少し年上に見えるみたい。普通に繁華街通って此処まで来れましたよー。心配なのはハル君かな」


 れんこは壁に掛かっている時計を見上げて言った。時刻は夜の十時半。健全な高校生が出歩いて良い時間ではない。ユキトとツカサとて、大学生とは言え未成年である。そんな彼らが深夜に集まらなくてはならない事情など、本来は存在しない。だが、今日はその「本来」を覆す理由があった。


「この社務所って朝まで借りられるんですか?」

「あぁ。ナオのおじさんにも許可は取ってる。ナオが「遠くに行っちゃう友達と、最後にお泊まり会したいの」って言ったら、あっさり鍵渡してくれたよ」

「友達って私?」

「祈願システムが消えたら、元いた場所に帰るんだろ?」

「消えたら、ですけどね。消えなかったらどうしようかなーって思ったり、思わなかったり」


 れんこはそう言ったが、口調に不安などは欠片もなかった。ユキトはそんな様子を見て、初めて会った時のことを思い出す。こちらへの敵意やら警戒やらを剥き出しにしていた姿からは想像もつかない変貌ぶりだった。


「あれ、もう誰か来てるね」


 入口からまた声がした。それは独り言ではなく、側にいる誰かに話しかけているようだった。二種類の足音が段々近付いて来るのを感じ取ったれんこが、襖を内側から開く。丁度襖の前に辿り着いていた来訪者は、突然開いたことに少し驚きながらも、すぐに笑みを見せた。


「ありがとう。二人ともお疲れ様」

「遅ぇよ。何で俺より遅いんだ? 一緒に喫茶店出ただろ」


 ツカサに対してユキトが文句を言うと、その後ろからハルが顔を出した。


「オレが呼び戻したんだよ。友達とお泊まり会するって言ったら、おじさんが張り切っちゃって張り切っちゃって」


 ほら、とハルは両手で抱え込んでいた大きなビニール袋をテーブルへと置いた。大きさの割には軽い音がする。ユキトが中を覗き込むと、使い捨てタッパーの中にサンドイッチが大量に入っていた。


「絹谷さんに手伝ってもらって、一緒に運んだってわけ」

「アイスコーヒーまで作ってるのはビックリしたねぇ。ユキト君、アイスコーヒー飲む? ハル君は飲めないんだってさ」


 ツカサは飲み物の入った袋をサンドイッチの隣に置いた。袋には駅前のスーパーのロゴが入っている。冷たいペットボトルを何本も入れていたためか、表面には水滴が大量についていた。


「飲めないんじゃないよ。飲まないんだ」


 ハルが顔を少し赤らめながら反論した。年齢を考えれば、コーヒーが飲めないことは決して恥ずかしいことではない。だが、思春期特有の見栄がハルの中にはあるようだった。


「コーヒーなんか飲まなくても、オレは朝まで起きてられるからね」

「そう言って寝るやつ、結構みるけどな」

「そりゃ退屈な映画とか見るなら寝ちゃうかもしれないけどさ、今日は寝ろって言われても起きてる自信があるよ」


 自信満々にハルは言い切るが、そこに滲む子供っぽい興奮は隠せていなかった。だがそれを子供っぽいと笑う者はいない。皆それぞれ、似たような気持ちを抱えて此処にいる。


「あとはナオだけか。そろそろ戻ってくる筈だけど……」


 ユキトは自分のスマートフォンを取り出した。画面には壁の時計と殆ど同じ時刻が表示されている。それと一緒に、アプリケーションの通知もいくつか浮かんでいた。朝方切り忘れたアラーム、メッセージアプリに届いた迷惑メール、大学の友人からの誘い。それらと一緒に、つい数時間前に届いた通知が表示されている。


『星の欠片がいっぱいになりました。今夜、救世主の流星群が訪れます』


 何日にも渡る努力の結果は、そんなたった一行の通知で終わりを迎えようとしていた。

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