6.小さな罪
倒れてその役目を終えた記念樹は、既に図書館の前から片付けられて消えていた。だが、土から飛び出した一メートル足らずの木の根元は、黄色いテープで四方を囲まれた中で静かに佇んでいた。ナオは、それが自分を責めているかのように思えて目を逸らす。
「気にするなって言うのも変だけどさ」
右隣から、ツカサが声を出す。表情は、笑うべきか無表情に徹するべきか悩んでいるような、中途半端なものだった。
「怪我人はいなかったし、そんなに敏感になることないよ」
「それは結果論じゃないですか……」
ナオは自責の念を隠すことなく声に乗せる。
「悪気がないからって人を危険に晒したのは事実です。ツカサさんが慰めてくれているのはわかるんですけど、その……」
「気持ちはわかるよ。でも俺、それを横で見て何も言わないってことが出来ないんだよね」
ツカサは溜息をついて首を左右に振った。
「そんなことを言い出したら、そもそもの原因は俺の兄さんなわけでしょ? でも兄さん、全く反省してないからね。弟としては逆に罪悪感が湧くわけだよ」
「それこそ、ツカサさんのせいじゃないですよ」
「それは十分わかってる。でも目の前で平然と「ま、やっちまったもんは仕方ねぇよなぁ。だって、やっちまったんだもん」なーんて言われたら、怒りを通り越して「こんな兄貴でごめんなさい」って謝罪の気持ちが出てくるんだよ」
兄の真似なのか、ツカサには似合わない口調が飛び出す。それにナオはつい吹き出した。
「お兄さん、そういう話し方なんですか?」
「昔からね。よく言えば豪快ってやつじゃないかなぁ。ちょっとユキト君に似てるかもね」
「ユキちゃんは全然違います」
ナオは幼なじみの名前にすぐさま反応した。今度はそれにツカサが笑い声を立てる。しかし、目の前に迫っていた図書館の自動ドアが開くと、すぐに口を閉ざした。外の熱気と中の冷気が一瞬だけ拮抗した後、本の黴びた臭いが二人を包む。
「ナオちゃんはユキト君が昔から好きなの?」
小声で尋ねたツカサに、ナオは顔を赤らめた。図書館の中は、先日ツカサたちが来た時よりは、少し騒がしい様子だった。奥のスペースで、子供向けの催し物が開かれているらしい。子供達が甲高い声を出しては、誰かに注意されて口を閉ざすことを繰り返していた。
「何で好きなの?」
「何で?」
「だってユキト君から聞いたけど、二人って数年間会ってなかったんだよね? しかもその間、連絡を取り合った様子もない。好きならもっとアプローチすればよかったんじゃないのかなって思うんだよ」
ツカサはそこまで話してから、質問の補足になっていないことに気がついて眉間に皺を寄せた。何秒か考えた後に、改めて言葉を紡ぐ。
「えーっと、だからね。何でそれで「好き」って言い切れるのかなって」
「それは……」
ナオが黙り込み、ツカサも口を閉ざす。そのまま、貸し出しカウンターの前を通り過ぎて、文庫本が並んでいる区画へと入った。殆ど同じ大きさの、しかし背表紙の幅も色もバラバラな本が棚の中に並んでいる。棚の所々には「推薦図書!」という丸みを帯びたポップがあり、本の表紙を見せるための台が置かれているが、その多くが空になっていた。
「ごめん、変なこと聞いちゃった?」
ナオが一向に声を発さないことに気がついたツカサは、少し慌てて身を屈めた。覗き込んだナオの顔は、しかしツカサが想像したような怒りの表情ではなく、突然の質問に対して困っている表情だった。
「別に答えにくいなら……」
「あぁ……そうじゃないんです」
ナオはその場に立ち止まると、本棚の方に視線を移した。
「えっと、読書感想文の本を探して欲しいって内容でしたよね?」
急に話が切り替わった。ツカサは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに肯定を返す。
「現代物で、恋バナが入ってるのがいいって」
「それで読みやすいもの。……読みやすいか読みにくいかって個人の好みですよねぇ」
本の背表紙を目で追いながら、ナオは小さく笑った。上の段を見るために顎を持ち上げた拍子に、肩にかかっていた黒髪が背中の方へと流れ落ちる。
「ツカサさん、反対の棚お願いします」
「わかった」
互いに背中を向ける形で、これといって明確な指標もなく本を探し始める。活字と紙だけが敷き詰められた空間に、気まずい空気が暫く流れた。
一分経ち、二分経ち、やがて五分も目前に迫った頃。ナオが一冊の本を棚から抜き出して、それを捲る音がした。ツカサが何となく振り向くと、向こうがそれを察知して口を開く。
「ユキちゃんのことは好きですよ。理由とか難しいことがわかる前に好きになっちゃったから、説明は出来ないです」
「理解するまえに好きになる、か。ロマンチックな言い回しだねぇ」
「ロマンだけじゃダメだったんですよ。でもナオはそれがわからなかった。好きって気持ちは絶対で、幸せな気持ちもずっと残ってて、ずっとそのままだって信じてたんです」
背を向けた状態で声を潜めているために、所々聞き取りづらい。それでもツカサにはナオが真剣であることは理解出来た。
「だから、ユキちゃんも神社もずっとそこにあるって思ってたんです。本当はそんなことないって、大きくなるにつれてわかっていたのに、ナオは気付かない振りをした。ユキちゃんはいつの間にか遊びに来なくなって、神社の参拝客は少なくなって」
ページを捲る音が、読むには早すぎるスピードで続く。
「ユキちゃんに会う方法なんていくらでもあったのに、そうしなかったんです」
「どうして?」
「そしたら、ユキちゃんが来なくなったことを認めることになるから。それを認めたくなくて、ずっと気付かない振りをしていたんです」
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