5.それは友ではなく
「いってらっしゃーい」
空虚な言葉でナオ達を見送ったあとに、ハルは小さく欠伸を噛み殺した。此処数日の睡眠時間は四時間と少し。バイトが終わってから家に帰り、ゲームをして、それからNyrの投稿をチェックする。ゲームの攻略法やアドバイスを求める投稿は夜中が多い。ハルが自分の得意分野を活かすには、昼間よりも夜のほうが有利で、そのために睡眠時間が削られていた。
といっても、この程度のことは、これまで何度も行なってきた。海外のプレイヤーに合わせて午前三時に飛び起きてコントローラを握ったこともあったし、何かのイベントのために徹夜したこともある。だが、今ほどの疲労を感じたことはない。恐らく、掛かっているものが普段のゲームとは段違いだからだろう。
「まぁ、こんな暑い中駆け回るよりはマシだけどね」
自分に言い聞かせるように呟き、衝立の向こうへと移動する。綺麗に飲み干されたグラスと、ほんの少しだけ麦茶の残っているガラスのポットが、どこか寂しげな雰囲気を出していた。それらを回収し、カウンターの方へと運ぶ。
「おじさん、補充するものある?」
カウンターの中でグラスを磨いていた店主に声を掛ける。
「いや、今は無いな。ハルも友達と一緒に外に出てきてもいいぞ?」
「やだよ、暑いから」
そう返すと、店主は少しがっかりした顔を見せた。
父方の親戚である男は、「父の祖父の腹違いの弟の孫」にあたる。要するに親戚と言っても血のつながりは薄い。だが、家が近所であるために、ハルは小さい頃からよく遊んでもらっていた。ゲームにのめり込むようになったのも、彼の影響が大きい。小さな手には余るコントローラで必死に戦って負けてしまった記憶は、ハルの記憶にしっかりと染み付いている。
「でもハルが友達と一緒に何かするなんてなぁ。学校にも行かずにゲームばっかりしてるから心配してたが、大人の取り越し苦労ってやつだな」
「いや、だから学校はちゃんと行ってるよ」
ハルは何度目になるかわからない訂正をする。この説明は両親以外のあらゆる親戚にしたような気もしたが、今のところ理解してくれたのは祖母だけだった。
「オレの学校、単位制なんだってば。だから学校に行かない日もあるだけ。それをおじさんたちが、不登校だのイジメだの勘違いしただけじゃないか」
「あれ、そうだったか?」
店主は苦笑いしながら頭を掻く。
ハルがこの店でバイトをするようになったのも、この店主の勘違いが原因だった。学校に行かずにゲームをしている引きこもりの親戚。それを更生させんと言わんばかりに、ハルのところにバイト話をもってきた。
両親は好きにしろと言ったし、ハルとしても新しいゲーミングパソコンを買う金がほしいので承諾したが、そのせいで親戚一同からの誤解はなかなか解けない。
「で、でもなかなか面白い友達じゃないか」
勘違いを指摘されて気恥ずかしいのか、店主は話題を切り替える。
「絹谷君とそこまで仲がいいとは思わなかったから、最初は驚いたよ。それに女の子までいるし。金髪の子はちょっと変わってるけどいい子だな」
「おじさん、鼻の下伸びてるよ」
ハルは少々呆れながら指摘する。相手は慌てて口元を隠した。
「の、伸びてなんかないぞ。あんな若い子相手に」
「隠しても無駄だよ。おじさん、若い女性客にはいっつも同じ顔するんだから」
「女性に優しくするのが、この店のモットーだ」
「モットーって何。死語?」
「し……っ」
男が絶句するのを、ハルは不思議に思って見ていたが、すぐに興味を無くして視線を逸らした。客がいない今のうちに、床を磨いてしまいたかった。眠気覚ましにもなるし、何より床が綺麗になる。非常にシンプルかつ効果のある行動と言えた。
カウンターの奥にあるモップを手にとり、客席へと戻る。たっぷり水を含んだモップを静かに床に押しつければ、ゆっくりと水が滲み出てきた。その軌跡を見つめながら、ハルは再び口を開く。
「学校の先生もおじさんも、友達作れって言うけどさ。無闇に作るもんじゃないでしょ?」
「無闇に作れなんて言ってないだろ。適度に、でも多くいたほうが楽しいぞ」
「そうかなぁ」
納得は出来ずに首を傾げる。ハルには友達がいないわけではないが、小さい頃から、一緒に何かすることと言えば、ゲームばかりだった。ゲームのハードとソフトが変わるだけで、いつも同じようなことばかりしていた。だから友達が増えたところで、ハルにとっては「出来るゲームが変わる」ぐらいにしか思わない。
「ゲームするなら、別に知らない人でもいいし」
「だってあの子たちは、ゲームの友達じゃないだろ?」
店主の指摘に、ハルは口を閉ざす。確かにあの四人は今までの「友達」とは違う。それぞれ同じ目的をもっているだけである。
ツカサとユキトは友達だろうし、ユキトとナオは幼なじみである。れんことナオはここ数日で急激に仲を深めていて、友達といっても違和感はない。
ではその中でハルの立ち位置と言えば、極めて不確定だった。四人とも普通に話すし、行動もするが、友達かと言われれば首を傾げざるを得ない。誰とでも仲良く、しかしそれ以上ではない。
「……まぁ、そうだけどね」
だが、ハルは今の状況を決して嫌ってはいなかった。自分が今まで感じたことのない、誰かと密接に関わっている感覚を楽しんですらいた。
こんな体験は、ゲームだけでは得られなかっただろう。このバイトをしていなければ、ツカサにもれんこにも出会わなかった。
「おじさん」
モップを床に滑らせながら、店主のことを呼ぶ。
勘違いからとはいえ、自分を此処に導いてくれた存在。
「おじさんは、僕にとっては神様なのかもしれないね」
「なんだ、突然? お前、無神論者だろ?」
「そうだよ。でも誰かが誰かの神様みたいな、そんな行動をすることってあるのかもしれないなって。そんなことを、ちょっと思ったんだ」
ハルはそう言って、年相応の無邪気なものを口元に浮かべた。
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