4.常識への甘え

「甘えていた?」


 ユキトは相手の口から出た言葉を鸚鵡返しする。そして、漸くそこで振り返ってれんこを見た。思ったよりも近い距離にいた少女は、曖昧な笑みを浮かべている。


「どういう意味だ?」

「神様って、いて当然の存在だったんですよ」


 れんこはそう切り出した。


「空気みたいなもので、話しかければ応じてくれるし、掃除をすれば喜んでくれる。まぁ偏屈な神様だっていますけど、それもそれで楽しいかな。小さい頃から神様と触れ合ってきたから、私はそれを当たり前だと思ってたんです」


 訥々と話す少女の目的がどこにあるのかわからず、ユキトは相槌すらも打たずに耳を傾ける。


「でも群青区には神様がいなくて、どこ探しても本当に見つからなくて、それで初めて焦っちゃった。渡り巫女としての仕事は好きだけど、神様がいない神社で自分が何をすべきなのか、全然わからなかったんです。だって私の仕事は神様がいなきゃいけないから」


 ビルに押し込まれた空虚な神社。そこに渡り巫女としてやってきたれんこの焦燥を、ユキトは理解出来なかったが、想像は出来た。今まで常識だと何の疑いもなく思っていたことが、根底から覆された。年齢相応以上にしっかりしているとはいえ、まだ高校生の彼女には厳しいものがあったに違いない。


「……本当は、祈願システムのことだって、冷静に考えれば手を出したりしなかった。でも私は、あの神社でどうしたらいいかわからなくて」

「突然現れたシステムに手を伸ばしてしまった?」

「……だと思います。今考えれば、ですけど」


 れんこは大きく溜息をついて首を左右に振った。自分でも上手く考えがまとまらない。そんな感情が目の奥に覗いている。自分の行動原理を何の疑いもなく説明出来る人間など、そう多くはない。


「すみません。何言いたいのか自分でもわからなくて」

「いや、大体理解した。今までは神様がいたから自分の仕事が出来たってことだろ。それがいなくなったから不安になった。だから「神様に甘えていた」と思った。そういうことだろ」


 箇条書きでも読み上げるかのようにユキトが言うと、れんこは少し驚いたような、それでいて嬉しそうな表情に変わった。


「そうです、そうです! ユキトさん、あったまいい」

「これで褒められても複雑なんだけどな。でも似たようなことって誰にでもあるんじゃないか?」

「そうですか?」


 れんこがきょとんとした表情になる。化粧を施した目元に幼さが滲み出て、年相応の顔に見えた。


「環境が変わって戸惑うことって普通に起こるだろ。それで焦って失敗したからって、責められるようなことでも落ち込むことでもないと思うぞ」

「失敗したら落ち込みますよ」

「必要以上に落ち込むなってことだよ。祈願システムを起動させたのは、確かに失敗だったかもしれない。でも今はこうして解決のために頑張ってるわけだろ。落ち込む余裕があるなら、少しでも動いたほうがお得だ」

「お得って」


 れんこはその言葉が面白かったのか、吹き出すような仕草をした。少し芝居がかった動作にも見えたが、夏の日差しの下では仔細な問題に過ぎなかった。


「変な慰め方ですね」

「慰めたわけじゃない。目の前で変な落ち込み方されると気になるだけだ」

「それを慰めてるって言うんですよ」


 少女特有の転がるような笑い声を立てながら、れんこは歩き出す。そしてユキトを追い越してから数歩分先に行ったところで振り返った。先ほどの表情から一点、無垢な喜びがそこにあった。


「ユキトさんって昔からそういう性格なんですか?」

「多分な」

「ナオちゃんのこともそうやって慰めてたの?」


 ユキトは眉間に皺を寄せて、少し考え込む。思い出すのは、あの祭りの日の約束だった。不用意に出した「結婚」という言葉は、確かに目の前で泣いている女の子を笑顔にしたいがためのものだった。


「そうかもしれない」


 素直に答えたユキトに、れんこは今度は「あー」とわざとらしい声を出して笑う。


「だからナオちゃんはユキトさんが好きなんですね」

「俺が慰めたから?」

「それだけじゃないとは思いますけどね。でも好きな人に優しくされたら、誰だって嬉しいですよ」


 れんこの言葉に、ユキトは思わず口を噤む。

 ナオと再開してから数週間。ユキトはナオに優しくしていたかどうか、全く自信がなかった。ナオからの一方的な好意に応えるかどうか悩んでばかりで、あるいはシステムのことに気を取られる一方で、ナオ自身のことをあまり考えていなかった。


「そういうもんか」

「それに好きな人が悲しむのは嫌ですよ。ユキトさんは違うの?」


 ユキトの脳裏に数日前の出来事が浮かぶ。縁結神社でシステムの真相と寿命のことを聞かされた直後、ナオは確かに震えていた。ユキトはそれをどうすることも出来なかった。今更ながら、自分自身に怒りを覚える。あの時どうすればよかったかはわからない。だが、恐怖に耐えていたナオを見過ごすべきでは無かった。


「……そうだな」


 急激に水分を失った喉を動かして、ユキトは同意を返した。乾いた喉の奥にある後悔は、そのまま体の底の方へと落ちていく。


「あいつが悲しい顔をしているのは、嫌だ」

「でしょ?」


 あいつ、というのが誰を指すのかは言うまでもなかった。れんこもそれを承知で笑顔を返す。


「ちゃんと言ったほうがいいですよ。そしたら、きっと喜んでくれますから」


 神のいないこの街で、れんこの言葉は正しく巫女の神託のようだった。



 

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