3.恋する少女の話

 食事を終えて、短い休憩を挟んでから外に出た時、太陽はユキト達の真上にあった。冷房で冷えていた体を、あっという間に茹で上がらせ、水分を奪おうとしてくる。胃の中にあるハムとチーズのサンドイッチが、妙に重たく感じるような日差しだった。


「何でこんな暑いんだよ」

「夏ですからねー」


 悠々と応じたのはれんこだった。薄く塗ったファンデーションの上を、今出来たばかりの汗が細い筋を作っていく。


「それで、どこから始めますか? 個人的には駅から少し離れた場所のほうがいいと思いますけど」

「そうだな。じゃあ、あっちの通りに入ろう」


 ユキトはそう言いながら、喫茶店の中を振り返る。丁度、ナオとツカサが店を出る準備をしているのが見えた。ナオが何か言って、それに対してツカサが返す。何を言ったのかはわからないが、楽しそうに笑う様子までよく見えた。


「というか、こっちで良かったんですか? ナオちゃんとのほうがいいんじゃないの」


 視線に気がついたれんこが、首を傾げて問う。


「私はユキトさんでもツカサさんでも構わないし」

「俺だってどっちでもいいよ」


 そう言ったのは本心だった。小学生の仲良しグループや思春期の中学生でもあるまいし、男女の組み合わせて一喜一憂する趣味はない。今優先すべきは、少しでも多くの願い事を叶えることである。サンドイッチを食べながら午後の作業分担をした結果、それぞれの得意分野や知識などから、この組み合わせが適任となっただけだった。


「それに俺、昔から読書感想文とか嫌いなんだよ」

「私も。夏休みの宿題、いっつも工作で誤魔化してました。お賽銭箱の貯金箱とか」

「貯金箱って先生の受けいいよな」


 ナオとツカサがこれから向かうのは、あの図書館である。今日は「読書感想文に向いている本を教えてください」「この本とこの本、どっちがいいですか」という本絡みの投稿が多く目立っていて、それらをまとめて片付けようとナオが提案した。ユキトとれんこは脊椎反射でそれを拒否して、ツカサは賛成を示した。要するに、これ以上ない適材適所とも言える。


「まぁこっちは地道に、ファッションと限定品関係の投稿を片付けましょ。手始めに、限定アイスの確認から」

「了解」


 二人はナオ達が出てくる前に店を離れて、若者向けのアパレルショップが多く立ち並ぶ通りを目指す。喫茶店のあたりは建物が多く密集していて日陰が多い。だが、風通しが悪いために蒸し暑い空気が足元から這い上る。ユキトは着ている服の襟に指を引っ掛けて、何度か前後に動かして風を取り入れた。

 暫くの間、二人は何も話さなかった。ユキトの歩幅に合わせるように、れんこの履いている踵の細いサンダルが小さく音を立てていた。二人の距離感を示しているような少しちぐはぐな音は、数分もするとすっかり自然なものになる。音が変わったわけではない。互いの耳がそれに慣れただけだった。


「ナオちゃんがね」


 れんこが唐突に口を開いた。


「ずーっと、ユキトさんのこと話してるんですよ。よっぽど好きなんですね」


 ユキトは何も答えなかった。何を答えれば正解か、全くわかっていないせいでもある。第三者から告げられる誰かの好意ほど悩ましい話題もない。


「最初ね、二人って付き合ってるのかと思ったんですよ」


 だが、れんこはお構いなしに次々と言葉を放つ。寧ろ、ユキトの困惑を見越した上の行動にも思えた。恋愛沙汰になると、女子高生という生き物は遠慮がなくなり、かつ賢くなる。


「それを聞かされて、俺はどう答えればいいんだよ」

「付き合ってないなら否定すればいいじゃないですか。否定したくないなら、それはそれってやつ」


 やはり、れんこはユキトの反応を楽しんでいるようだった。


「というかあの時は、ナオちゃんが寿命のことを知った上でシステム使ってると思ったし、それを止めない彼氏ってどうなのかなーって思ってたから、ユキトさんへの印象がもんのすごーくっ、悪かったんですよ」


 カツン、と揃った音が響く。どうやられんこがその場でジャンプしたようだった。


「強調するなよ。それに誤解は解けただろ?」

「解けましたよ。そしたら、ナオちゃんとユキトさんは付き合っていない幼馴染みで、でもナオちゃんは小さい頃に結婚の約束したって言うじゃないですか。そこはどうなんですか?」


 年相応の好奇心を剥き出しにして、れんこはユキトに詰め寄る。ユキトは敢えて視線を合わせないようにしながら歩幅を広げた。


「子供の頃の約束なんて、無責任なものばっかりだろ」

「それを一途に信じてるナオちゃん、可愛くないですか? キュンとしません?」


 しない、とも、する、とも言い切れなかった。どちらかに出来たら楽だとわかっている。だが、それを決めるのは少なくとも今ではない。


「俺たちのことより、そっちは彼氏とかいないのか」

「あー、そういうのいけないんだ。セクハラですよ」


 戯けた口調でれんこが混ぜ返す。自分の言動はすっかり棚に上げているが、ユキトはあまり不快にはならなかった。


「彼氏は何度か出来ましたけど、全然長続きしないんですよ。「神社の掃除なんかいいからデートしよう」とか「一日ぐらいサボってもいいだろ」とか言う人ばっかりで」

「まぁ想像はつくけどな。信仰心とかないだろうし」

「信仰心の問題じゃないですよ、そんなの。「俺の好みの服じゃないから捨てる」みたいなことですよ、これって」


 れんこの語気が強くなる。どうやら、過去の思い出と共に怒りも蘇ってしまったようだった。


「友達だってね「そんなことより、彼氏優先してあげなよ」とか言うんですよ。私がくだらないわがままや拘りで掃除してると思ってるんです。そうじゃないのに」

「その割には、ハルとは仲良くやってるみたいじゃねぇか」


 神様は存在しないと言い切る少年と、神様に仕える巫女。それだけ聞くと相性は最悪に思えるのだが、今のところ二人が諍いを起こしている様子はない。

 ユキトのそんな指摘に、れんこは少し言葉を止めてから軽快な笑いを零した。


「ハル君、私の話をいつもちゃんと聞いてくれますから。信じる信じない以前に大事なことでしょ?」

「確かにな」

「それに、此処に来て色々考え方が変わったんですよ」


 目指す通りが近くなってくる。建物の隙間から強い日差しが二人を射抜いた。思わず目を細めたユキトの耳に、れんこの少し恥じらうような声が届いた。


「神様の存在に、私は甘えてたのかもしれないなって」

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