2.拠点は喫茶店

「いらっしゃいませー」


 扉を開けると同時に冷たい空気が肌を刺す。にこやかな営業用の笑みで出迎えた少年は、眼帯に覆われていない方の目で無遠慮に二人の姿を観察する。


「香山さんはとにかくさぁ、絹谷さんが汗だくって面白いね」

「俺はともかくって何だよ」

「だって絹谷さんって顔がいいし、こういう汗だくで走り回るような作業って似合わないじゃない」


 どうぞ、とハルは店の奥を示す。カウンターからも入口からも離れた場所には、木製の黒い衝立が置かれている。その向こう側には四人用の席が用意されていた。他の客に迷惑を掛けないことを条件に、ユキトたちはこのスペースを使うことを許されている。尤も、それを店主に掛け合ったのは他ならぬハルだった。


 「友達と群青区について調べている」という胡散臭いことこの上ない理由を、店主はあっさりと信じ込んだ。それどころか、ユキトたちにも非常に寛容に接してくる。最初は戸惑ったものの、店主がやたらと連呼する「ハルの友達」という言葉で合点がいった。どうやら店主は、ゲームに明け暮れるハルが友達を作って健全に遊んでいると思ったようだった。


「ユキちゃん、お疲れ様」


 衝立の向こう側には、ナオがいた。充電器に繋いだスマートフォンを傍らに、冷えた麦茶の入ったグラスを持っている。その顔には汗ひとつなく、朝から此処にいることを物語っている。


「いいよな、お前は。涼しいところで悠々自適って感じで」


 思わず愚痴を溢したユキトに、ナオが呆れた視線を向けた。


「ファッションの相談受けるの嫌だって言ったの、ユキちゃんじゃない。別にナオは外行ってもいいのに」

「はいはい、そうでした」


 ユキトはナオの隣に腰掛けると、余っている充電コードを手元に引き寄せた。ツカサも少し遅れて、二人の向かい側に座る。


「巫女さんは?」

「今はお手洗いです。麦茶どうぞ」

「ありがとう。二人はどれぐらい片付けた?」


 ツカサの問いは当然、Nyrの中の願い事のことである。ナオは自分のスマートフォンを確認してから、「えっと」と口を開いた。


「ナオとれんこちゃんで二十個ずつかな?」

「ファッションの相談?」

「あとはコスメとか、デートコースとか。あまりポイント多くないから、数こなさないと」


 残念そうにナオが溜息をつく。それに被せるようにれんこの笑い声が聞こえた。トイレから戻ってきたれんこは、残っている席に腰を下ろす。喫茶店の雰囲気に合わせるためか、化粧も服装も控えめだった。だが、一つに高く結んだ金髪と、所々に取り入れた猫のモチーフは毎日変わらない。


「ナオちゃんたら、大袈裟なんだから。地道にやるって決めたでしょ」

「そうだけどぉ」


 ナオは口を尖らせた。いくら此処が涼しくて居心地が良くとも、朝から晩まで淡々とスマートフォンを操作するだけでは、飽きてくるのも仕方のない話だった。


「れんこちゃんは飽きないの?」

「別に。早く終わらせて、元の場所に戻りたいもん」

「それって、前に言ってた町のこと?」


 投げかけたナオの問いに対して、れんこは首を縦に振る。


「ここより田舎だよ。でも神様がいっぱいいて、私は好き。狐とか蛇とか、他にも沢山いるから飽きないし」

「実家ってわけじゃないんだよね? れんこちゃんってどこ出身?」

「出身って言われると困るんだよね。一族代々渡り巫女や神官やってるから、親も未だに転々としてるし。でも……まぁ、東京出身かなぁ?」


 少し自信なさそうに言うれんこが少々可笑しくて、ユキトは思わず吹き出した。


「余程、引っ越しが多かったんだな」

「神社に住んでいることが多かったんです。一応、実家はあるんですけど、殆ど物置ですね。今は家族全員、別々に住んでいるので」


 れんこはそこまで言ってから、慌てて付け加えた。


「あ、でも仲はいいんですよ。仕事でバラバラなだけなので」

「変わった家だってことはわかったよ」


 そんな当たり障りのないコメントに留める。恐らくユキトたちがこれ以上聞いたところで、渡り巫女の独特な生活を理解できるとも思えなかった。


「神様がいる町か。ちょっと気になるな」

「じゃあ今度来ますか? 長閑だから退屈するかもしれませんけど」

「ちょっと」


 弾んだ声のれんこを制したのは、銀色のトレイを持って現れたハルだった。山積みにされたサンドイッチとミスマッチな仏頂面で、抗議を表明している。


「オレが先だからね。約束したでしょ」

「はいはい、勿論。一番最初に神様を見せてあげるのはハル君だから、安心して」

「言っておくけど、オレは神様なんて信じてないから。その証明のために行くだけだからね」

「わかってる、わかってる」


 ムキになる年下の少年を、れんこは面白がっているようだった。そこには「神様の存在」を疑う余地のない人間の、余裕みたいなものも見受けられる。存外、似合いの二人なのかもしれないと、ユキトはふと考えて、しかし中年男の思考のようだと気がつくと、急いでその考えを封印した。


「で、そっちはどうなんだ?」


 話を変えるために、ハルの方に視線を向ける。サンドイッチをテーブルに置いた少年は、小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「問題ないよ。この仕事終わってから、ゲーム関係の投稿を片っ端から片付けてるからね。大体、この場所を確保したのはオレなんだから、多少の猶予はあってもいいだろ」

「別に責めちゃいねぇよ。聞いてみただけだ」


 額から冷えた汗が垂れる。冷房によって急激に冷やされつつある頭皮は、未だに体温調整に戸惑っているようだった。


「それより、ご飯にしようよ。俺、もう空腹で死にそう」


 目の前のサンドイッチに我慢出来なくなったらしいツカサが、皆を急かしたてるように言う。まだ午前が終わったばかりで、午後の時間はたっぷりと残っている。それを乗り越えるためには、何よりも栄養補給が必要だった。

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