9.対峙する

 れんこは猫の形をしたクッキーを前歯で半分にかじり、そのまま咀嚼して飲み込んだ。口の中に水分が足らず、舌と頬の間で細かく砕けたクッキーの欠片が煩わしく上下する。頭上にある背の低い鳥居では、子猫が優雅に昼寝を決め込んでいた。


「ご参拝でしたら、お守りをどうぞ」


 階段を昇ってきた二人組にそう告げると、想像通りに片方が高い声を上げた。


「参拝に来たわけじゃないの、わかってるでしょ」

「わかってるよ、ナオちゃん。今日はそっちの人が付き添いなの?」


 れんこはナオの横にいる若い男を見て尋ねた。整った顔立ちに知性が滲む、所謂美形の部類に入る男。それがハルの言っていた「絹谷さん」だと、れんこにはすぐにわかった。


「初めまして、巫女さん。俺たちが来た理由、わかるよねぇ?」


 緩やかな口調と笑みは、れんこの警戒を解く目的の他に、牽制も入っているようだった。だがれんこはそれをまともには受けず、極めて不愛想に頷いてみせる。


「願い事が叶えられなくなった原因がわかった。そんなところでしょ?」

「まぁ、そうだね。ハル君にうまい事誘導されちゃって危なかったけど、ユキト君が辛うじてそれに引っ掛からなかったから」

「そうですか」


 淡々と返したれんこに、ツカサは苦笑いをしながら首を傾げた。


「あまりダメージ受けてないね。てっきり悔しがるかと思ったのに」

「何事も予想通りにはいかないですよ」


 自戒も込めてれんこは呟いた。実際は内心悔しくて仕方ないが、今ここでそれを曝け出したところで、惨めになるだけだとわかっていた。これがせいぜい、学校の体育祭の勝敗程度だったら、惨めだろうと哀れだろうと構わないが、前提条件が大きく異なる。

 互いに口を閉じ、訪れた沈黙。それをすぐに掻き消したのはナオの声だった。


「もう全部バレてるんだから。願い事を独り占めするような真似しないでよ」

「独り占めなんてしてないよ。図書館の方面は譲ってあげたじゃない」

「そ……っ」


 ナオの声が上擦る。そのまま言葉が続くのかと思いきや、ナオは一度呼吸を整えてから、落ち着いた声を出した。神社の娘として、一応このような場所で騒ぎ立てまいとする意識はあるのかもしれない。れんこはそう考えた。


「そのせいで、図書館の木が倒れたのに。一歩間違えたら怪我人が出てたかもしれないんだよ?」

「それは、ナオちゃんが欲張って願い事を集中させたからでしょ。そんなことまで、こっちのせいにしないでよ。ジゴージトク、インガオーホー」

「だって、あんなことになるなんて知らなかったんだもん」


 子供っぽい抗弁だった。れんこはそれに対して、特に呆れも怒りもしなかった。自分が同じ立場だったら、似たような感情を抱くに違いないと理解していたためである。幼さが残る年齢と、浅い人生経験、そこに超常現象にも似たシステムが絡めば、多少の「子供っぽさ」が出ても仕方ないことだった。

 それよりもれんこには、どうしても相手に確かめたいことがあった。


「ナオちゃん、あのシステムは河津神社にあったの?」

「え? ……そうだけど」

「誰かから引き継いだの?」

「境内の掃除してたら、体の中に入ってきたの。それを勝手に使ってるだけだよ」

「いつから」

「ちょっと待って」


 横からツカサが口を挟んだ。動物同士の喧嘩を仲裁するかのように、両手を前にだして「どうどう」とおどけた調子で言う。


「願い事を独り占めにしない。というか、こちらの妨害をしないという点について確約を得られてないんだけど」

「女子高生相手に確約とか難しい言葉使わないでくれませんか。それに繰り返しますけど」

「独り占めしているわけじゃないのはわかったよ。でも意味が通じるなら事足りるでしょ」


 ツカサの余裕のある口調に、れんこは口を尖らせた。


「そういうのは好きじゃないです」

「一方的に質問攻めにするのも、俺は好きじゃないかな」


 話しにくい、とれんこは素直に思った。元々、れんこは見た目は派手だが、中身は古風でのんびりとした性格である。ツカサのように、わざわざ切り込んでくるような話し方をする人間は、あまり得意ではない。


「わかりました。今の方法については止めます」


 端的に答えると、ツカサはわざとらしく眉を持ち上げた。


「別の方法はやるってこと?」

「駄目な理由はないでしょ」

「君たちが妨害行為をすると、ナオちゃんは願い事を叶えられなくなる。神社の復興も先になってしまう。君だって神社の保持を目的とする渡り巫女なんでしょ? そのあたりを思いやってくれてもいいんじゃないの?」

「群青区に神様はいません。この神社も、河津神社も、ただの空っぽな社です」

「空っぽでも、神社ってことには変わりないもん!」


 傍で聞いていることに耐えきれなくなったのか、ナオが遂に大声を出した。


「貴女は神様が見えるかもしれないけど、殆どの人は見えないでしょ。でも、神社にお参りする人は、そこに神様がいるって信じてるんだから、それでいいじゃない。ナオは神様が欲しいんじゃない。神社を残したいだけだよ」


 殆ど泣きそうな声で訴えかけるナオに、れんこは言い返そうとして思いとどまった。切羽詰まった表情は、あまりに純粋すぎた。自分が何か、相手に対して酷いことをしているような気分になる。


「ナオちゃん。さっきの質問に答えてくれない?」

「システムをいつ見つけたかって質問?」

「そう。もしかして……三ヶ月ぐらい前?」


 ナオが驚いた表情になる。れんこは自分の問いが正しいことを確信した。


「祈願システムのことは、神社に何か言い伝えとかあった?」

「ないよ。何も知らない。使いながら覚えて行っただけだもん」

「何も?」


 今度はれんこが驚く番だった。その気持ちが伝染したかのように、鳥居の上で猫がぐずるような鳴き声を上げる。


「何も知らないでシステムを使ってたの?」

「で、でも願い事の叶え方は……」


 ナオが言いかけた言葉を、れんこは手を振って制した。


「だから、あんなに次々と願い事を叶えてたんだ……。知らないならそうなるよね。最初にもう少し聞いておけばよかったかなぁ。でもまさか知らないまま使う人がいるなんて……」

「ど、どうしたの?」


 怪訝そうにこちらを見るナオに、れんこは短く溜息を吐いた。

 先ほどまで、れんこは一つ勘違いをしていた。河津神社が祈願システムを使うに至った理由である。れんこはナオが祈願システムを誰かから託されて、故意に使い始めたと思い込んでいた。だが、それは覆された。


「……神様の持ち物や、それに近いものは、人間が軽々しく使っちゃいけないの。でも、ナオちゃんは知らずにシステムを使っちゃったんだよね。放っておけばよかったのに」

「どういうこと?」

「あのね」


 れんこは三毛猫模様に装飾した爪の先を、ナオの胸元に突き付けた。


「あれは使役者の寿命を操っているの」


 指先を緩く動かし、ハートマークを作る。丁度そこにあるであろう心臓をなぞるかのように。


「システムに、願い事を叶えるたびに変動する数字があるでしょ? あれがナオちゃんの寿命だよ」

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