2.カフェオレ

 ミルクをたっぷり注いだカフェオレは、洒落た円錐型のグラスに入っていた。


「これが……お高いカフェオレ」

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと飲めよ」

「だって普段学校で飲んでるコーヒー牛乳の十倍だよ、十倍」


 声を潜めながらも可能な限りの喜びを込めて、ナオが囁く。店内には他に客がいないとはいえ、ユキトは少し恥ずかしかった。その様子を向かいの席で眺めていたツカサは「かーわいー」と素直な感想を声に出す。下手をすればセクハラになりそうな言葉も、顔立ちが整った男が言うと問題にならない。


「何で此処なんだよ。ボドゲカフェでも良かっただろうが」

「この店、雨の日はポイント二倍なんだよね」


 窓に大粒の雨が叩きつけられ、そのまま他の水滴と混じり合っていく。長く続いた晴天も、本州に近づきつつある台風相手には無力だった。上陸はしないようだが、風を伴う土砂降りを見ると、いっそのこと上陸してくれたほうが納得出来る気もする。

 雨の中呼び出されたナオは最初は不機嫌だったが、カフェオレを奢ってやると言った途端に機嫌を直した。因みに奢ると言ったのはツカサだが、払うのがユキトであることは目に見えている。


「それに冷静に考え事をするには、こっちのほうがいいと思って。ボドゲカフェだと、気が散る」

「というかお前の場合は、ボドゲしたくなるんだろ」


 ユキトが指摘すると、ツカサは誤魔化すように笑った。右手に持ったアイスコーヒーを一口飲んでから、それをテーブルの縁の方に置く。そして指先についた水滴を馴染ませるように両手を何度か組んだ後、漸く話を切り出した。


「ナオちゃん、今日はシステムを動かした?」

「明け方に一回。でもやっぱり、実行エラーになりました」

「そのあとは?」

「昨日のこともあるから、それ以降は動かしてないけど……」


 ナオは語尾を濁して、ツカサを見やる。自分の答えがこれで正しいのかどうか、伺っているような目だった。勿論その答えを知っている者は何処にもいない。


「まぁ何度やっても結果は同じだろうね。無理に願い事を連発したら、昨日と同じ展開になるかもしれないし。駅舎の崩壊とか、交差点の陥没とか起きたら、今度こそ死人が出る」


 ツカサがそう言うと、ナオは若干青ざめた表情で唇を噛んだ。だが、すぐにそれを止めると、短く息を吐いてから言葉を続ける。


「このままだと、縁結神社に遅れを取る一方です。どうにかして、抑えられているポイントを解放しないと」

「まぁ、そうだろうね。ナオちゃんの気持ちはよくわかる」


 そこでツカサは、ユキトの方を見て意味ありげな笑みを零した。それを真正面から受け止める羽目になったユキトは、可能な限りの不機嫌を眉間に刻む。


「なんだよ」

「そんなに怖い顔しなくても、ナオちゃんにちょっかいなんて掛けないよ」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇ。それより、わざわざ呼び出したってことは、何か案があるってことだろ」


 ユキトは冷静を装いながら、急いで話の方向を変える。ただでさえややこしい事態になっているところに、わざわざ他の火種を持ち込もうとする相手が理解出来なかった。

 ツカサは面白そうにクツクツと笑ってから


「まぁね」


 と、やや間延びした声で返す。明らかにユキトの反応を面白がっていた。


「ユキト君はどう思う? どうしたら、抑えられているポイントを解除出来るか」

「今は要するに、「願い事を叶えている途中」なんだろ。じゃあ単純に考えたら、その願い事を叶えてやれば解放されるんじゃないか?」


 それはユキトが昨夜の時点で思いついていたことだった。願い事により使えなくなったのなら、その願い事を消せば良い。それは単純な理屈だった。だが、それが言うほど簡単でないことも理解している。


「本当?」


 しかし、それを聞いたまま解釈したナオは、期待に満ちた眼差しでユキトを見上げた。体の一部がテーブルに当たり、少し鈍い音が鳴る。ユキトはそちらを一瞥したあと、投げやりな溜息をついた。


「でも方法がわからない」

「えー、それじゃ意味ないじゃない」

「わかってたら、昨日のうちにやってる」


 ナオはその答えに不満そうに頬を膨らませた。黙っていればクールな顔に、その表情はミスマッチだった。


「仕方ないだろ。どうやって向こうのシステムに登録されている願い事を知るんだよ」

「それは……そうだけど」


 願い事が特定出来なければ、それをユキト達が叶えることは出来ない。まさか、れんこに聞き出すわけにもいかなかった。それが出来るのであれば、そもそもこんな状況になっていない。


「ツカサはどう思う?」

「俺も同じ意見かなぁ。でもちょっと違うのは、願い事の候補ぐらいは絞り込めそうってこと」

「候補?」


 思わぬ言葉に鸚鵡返ししたのは、ユキトではなくナオだった。テーブルに身を乗り出すような格好になり、ツカサの方に視線を合わせる。先ほどまで自分に向けられていた期待の眼差しが、あっさりと違う人間に向けられたことにユキトは不愉快になった。


「どういうこと、ツカサさん?」

「巫女さんが叶えるのは、どういう願い事かなと思ってね」


 ツカサはナオの問いに、静かな声で返した。雨音に混じりそうな声量だが、それでも二人には十分だった。


「俺は巫女さんには会ったことがない。でも君たちの話を聞いていると、随分と仕事熱心な子のようだ。そういう人が、願い事を片っ端から叶えるとは思えない。切羽詰まった重要な願い事だけを叶えようとするんじゃないかな?」

「……確かに、そうかも。邪魔したって言った時も怒ってたし」


 ナオが同調しながら、ユキトに意見を求める目を向けた。


「そうだな。神様が見えるとも言っていたし、そういう……プライドみたいなものもありそうだ。でも、それがどうした?」

「切羽詰まったお願い事をする人ってさ、一つの神社にお参りしたぐらいで満足するのかな? 受験生が大量にお守りぶら下げるみたいにさ、複数のものに縋りたくなると思わない?」


 ユキトはその言葉に、何日か前のことを不意に思い出した。縁結神社ではなく、まさにこの場所で見た映像が脳裏に蘇る。

 スマフォのアプリ。誰かの願いを誰かが叶えることによって成立する、コミュニケーションツール。


「……『Nyrニアー』か?」


 辛うじて思い出した名前を呟くと、ツカサは「ピンポーン」と軽快な声で返した。ユキトは相手が此処を待ち合わせ場所にした理由を何となく悟る。ツカサもこの結論に自信があったわけではないのだろう。だから、ユキトの口から同じ答えを引き出すために、Nyrのことを知ったこの店に来た。

 今まで余裕たっぷりに見えた友人の、思わぬ一面を見た気がして、ユキトはつい口元が緩むのを抑えられなかった。

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