第四幕:いくつかの交錯

1.縁結神社の朝

「まさか、図書館の木を倒しちゃうとはねぇ」


 ハルのまだ成熟しきっていない声に、サバトラの仔猫が呼応する。

 時刻はまだ朝の八時前で、『占いの森』の営業開始時刻まではまだ二時間もある。占い師達はいつもギリギリの時間にやってくるため、この時間だとまだ殆ど人はいない。当然、縁結神社にも参拝客はおらず、ハルとれんこの会話を聞いているのは仔猫だけという状態だった。


「流石にオレも予想外だったよ。美鳥さんは?」

「驚きはしたけど、システムへのこだわりを見れば納得かもね」


 れんこは鳥居の下に腰を下ろして、システムを指で操りながら言った。主旨の掴みにくい漠然とした答えに、向かい側に座り込んでいたハルは口を尖らせる。


「そういう返しはズルイんじゃないの」

「何が?」

「わかっているような、わかっていないような、曖昧な答え方だよ。システムを「停止」させる手段を考えたのはオレなんだから、もうちょっと真剣に会話をしてほしいな」

「真剣、ねぇ」


 れんこは小さく欠伸をしながら、願い事の一つをリストから展開する。場所柄、恋愛関係の願い事ばかりで、中身も似通っていた。もはや何ヶ月も前にルーチンワーク化した作業だったが、だからといって退屈が紛れる訳でもない。


「別に私もふざけているつもりではないんだけどな。ハル君と違って、頭の回転が早くないだけで」


 櫛を通しただけの金髪は、緩やかな癖と共に両肩に掛かっている。化粧をしていないために幼く見える顔立ちを、しかしれんこは特に隠す気もなくハルに晒していた。

 ネイルを施された指が、宙を何度も行き来する。システムはその度に表示内容を変えながら、地図上にあるいくつかのポイントを「停止」させていった。


「……でもさぁ」


 その指先を視線で追いながら、ハルはまた口を開いた。


「これじゃ、美鳥さんだって殆ど願い事を叶えられないじゃない」

「それでいいの」

「良くないよ。まさか耐久戦にでも持ち込むつもり? 河津神社を潰すって言ったのは美鳥さんだろ」

「そんな物騒なこと言ってないよ。ゲームのしすぎです。一日一時間にしなさい」


 母親が子供を叱るような口調で、れんこは相手に告げた。だが視線はシステムの表示する地図の上に注がれている。殆どのポイントは、日付が変わる直前まで使えない状態で、駅から離れた場所にある数ヶ所のみが使用可能となっている。れんこはそれを確認すると、手を宙で払う仕草をしてシステムを終了した。


「長期戦にするつもりはないよ。ハル君のお願い事を叶えてあげないといけないし」

「本当にそう思ってる? オレの願い事を叶えられないから、わざとノロノロしてるんじゃない?」


 猜疑心に満ちた問いをハルはれんこへ投げた。しかし、れんこはそれに対してきょとんとした表情を浮かべる。


「願い事は叶えてあげるよ。今の状況さえ抜け出せば簡単なことだもん。「神様が見たい」なんて」

「どうだか」


 ハルは鼻で笑おうとしたが上手くいかず、そのまま「ハンッ」という言葉が口から零れた。


「ついそんなこと言っちゃったけどさ、オレは神様の存在なんて微塵も信じてないからね」

「でも見たら信じるんでしょ?」

「だから、それは美鳥さんがあまりに神様の存在を熱弁するから」

「神様はいるの。この群青区にはいないだけ」


 語気を強めて、巫女はそう言い切った。ハルは何か言おうとしたが、ふと口を噤んで視線を自分の右手へ向ける。板張りの床の上に置いた右手に、サバトラ柄の毛玉がまとわりついていた。


「その子だって、本来は別の姿をしてる。此処には神様の力が及ばないから、仔猫の姿になってるけど」

「本来は神様の眷属なんだっけ? 嘘くさいんだよね」


 猫を抱き上げたハルは、大きく丸い瞳を覗き込むように姿勢を前傾する。仔猫は嫌がる素振りもなく、甘えた声を二度上げた。ハルは笑顔を浮かべると、その柔らかな毛皮に頬擦りをする。


「どう見たって猫だもん」

「可愛いでしょ?」

「可愛いけど、神様の証明にはならないよ」


 れんこは「あ、そう」と素っ気なく言った。ハルの猜疑など大したことではないと言わんばかりだった。手持ち無沙汰になった両手で髪を何度か梳き、手首に巻いていたゴムを使って一つに束ねる。


「河津神社の二人は、何が起こっているのか気付いたかな?」

「木まで倒して、何も気付かないってことはないと信じたいなぁ。絹谷さんもいたんだし」


 ハルは猫を愛でながら、クスクスと笑う。


「でも気付いたとしたら、何か手を打ってくる筈だよ」

「こっちが押さえているポイントを解放しようとするってこと? でもハル君、この作戦はほぼ完璧だって言ってたじゃない」

「ほぼ、ね。それに、ゲームでも優勢な時ほど劣勢になりやすい」


 猫が身動ぎしたのを見て、ハルは手を床へと下ろした。解放された猫は、飛び跳ねるような走り方で賽銭箱の方へと向かう。れんこはそれに視線を向けながら口を開いた。


「もし、ポイントが解放されたら、ナオちゃんはまた願い事を叶えようとするよね」

「まぁ、そうだろうね。記念樹倒すぐらい熱心な人みたいだから」

「じゃあ、その時は止めないとね」


 れんこは中途半端に明るい口調で言った。内面の何かを表に出そうとして、しかし途中で飽きて放棄したような、そんな印象を受ける表情と口調だった。ハルは相手の不自然な振る舞いに驚いて、少し上擦った声を出す。


「何するつもり?」

「どうしようかな」


 思案するような口ぶりだったが、表情に変化はない。答えを知っていながら、それをはぐらかしている態度だった。だが、やがて口元に笑みが浮かぶ。皮膚の内側にあった感情が、そのまま綻び出たかのようだった。


「人が死んだら、考えも変わるんじゃない?」


 賽銭箱の上で、猫が小さく鳴き声を上げた。

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