9.神脈を操る

 図書館から一番近い場所にあるコンビニは、一つしかない。ユキトは図書館に縁はないが、駅を中心として徒歩で行ける範囲のコンビニの場所は把握している。未だ騒がしい図書館を置き去りにするように住宅街の路地を駆け、数分後には目的の場所に辿り着いていた。


「ユキちゃん!」


 コンビニの外にあるゴミ箱の近くから、ナオが黒髪を揺らしながら飛び出してきた。縋るような表情は、しかしユキトと一緒にいるツカサを見て戸惑いに変わる。続けて発せられたのは、当然の疑問だった。


「誰?」

「前に話しただろ。俺がシステムのこと教えちゃった……」

「絹谷ツカサでーす。よろしくねぇ、ナオちゃん」


 ツカサは軽い調子で手を差し出した。ナオはおずおずとその手を握り返す。暫く外にいたのか、ナオの手は汗が浮かんでいた。


「絹谷、さん……?」

「ツカサでいいよ。細かいことはとりあえず後にするとして、現状を教えてくれるかな? 俺たち、さっきまで図書館にいたから木が倒れたことは知ってるんだけど」


 流れるような調子で、ツカサが話の主導を握る。ユキトは内心ありがたいと思っていた。頭の回転が速いツカサに任せられれば、その間思考に余裕が生まれる。ナオにしても、初対面の相手に冷静さを欠くことはしないと思われた。


「……ツカサさんは、祈願システムについてはどれぐらい知ってるの?」


 案の定、ナオは静かな口調で切り出した。さっきの電話口での途方に暮れた様子は微塵もない。


「うーん、結構ユキト君が教えてくれたからねぇ。彼と同じぐらい?」

「ユキちゃん」


 咎めるような視線をナオが向ける。ユキトはわざとらしく明後日の方向を見た。遠くから聞こえるサイレンの音は、恐らく図書館に向かっているものだろう。すぐ近くで起きていて、自分でもこの目で見たものが、どこか遠く感じられた。

 そんなユキトの様子に、ナオは諦めたような溜息をついた。といっても高校生であるナオに年季の入った溜息など出来るはずもなく、単に息を吐き出しただけという表現が近い。


「今日は神社で、朝から願い事を叶えるためにシステムを操作してたの。でも殆ど上手くいかなくて……。縁結神社が妨害してるせいだと思ったの」

「上手くいかないというのは、願い事の実行がエラーになるってことだよね?」


 ツカサが確認すると、ナオは一度頷いた。


「でも成功するのもいくつかあったから、何が違うのかと思ってナオなりに調べてみたの。内容は殆ど同じなのに、片方だけ失敗しているのとかもあったから」


 ナオはなるべく誤解を生まないように、言葉を選んで話しているようだった。あるいは、そうすることによって気持ちを落ち着かせているのかもしれない。ユキトから見ると、随分と大人びた行動に見える。少し甘えたがりな少女の姿しか知らないユキトにとって、今の光景はどうにもむず痒かった。


「それで、何か違いがあったの?」

「使っている神脈が違った」


 神脈。願い事を叶えるためのネットワークのようなもの。

 システムはそれを使って、様々な情報を得て願い事を叶える道具とする。

 ユキトは一番最初に聞いた情報を、再び脳の中で反芻した。


「神脈にはいくつか、ポイントみたいなのがあるの。多分、人に行動を起こさせるための目印みたいなものだと思う。えーっと……」


 ナオは首を傾げて少し考え込んでから、説明を続けた。


「道案内とかに似てるんだけど、人に特定の場所を教えたいときって、目立つ建物や看板を目印にして話すでしょ?」

「つまり、願い事を叶えるためのルートには、その「目印」があるわけだね」

「そう。群青駅とかはよく使うポイントなんだけど、他にも結構頻繁に使うものって多くて。今日成功した願い事は、どれも図書館の記念樹を起点にするものだったの」

「記念樹を起点に?」


 ツカサは顎を少し上に向ける仕草をして、短く呻き声を出した。


「要するに……「図書館を通過してどこそこに行く」とか、そういう願い事なら成功したってこと?」

「そう、そういうこと」


 ナオは話が通じたのが嬉しかったのか、そこでやっと笑みを浮かべた。ユキトはそれを見て、言い様のない気持ちが腹の辺りに湧くのを感じる。端的にそれを表すとするならば「面白くない」。しかし何がそんなに不愉快なのかはわからなかった。


「それで、どうしたんだよ」


 思わず横から口を挟む。ナオが驚いたように目を瞬かせたのは、ユキトの声が若干硬かったからに違いない。しかし、それを問い詰めることはなく、少女はそのまま説明を続けた。


「駅とか、公園とかをポイントとした願い事はエラーになっちゃうから、多分そっちを縁結神社が妨害してると思ったんだ。だからナオは、他の願い事を無理矢理、図書館を通るルートにしたの」


 ユキトの脳裏に浮かんだのは、恋する男子高校生の願い事だった。あの時、ナオは二人の行動経路をねじ曲げた。恐らくあれと同じようにしたのだろう。


「願い事を叶えるときって、殆どはシステム任せにすれば良かったんだけど、確かに今までも微妙に上手くいかないとか、ナオが方法を選ばないといけないものもあったの。だから今回は全部、自分で願い事の方法を変えて……」


 そこでナオは口ごもる。続けていう言葉を、その頭の中から探そうとしているかのようだった。


「でも、今度はシステム自体が動かなくなっちゃって。ある願い事を叶えている途中の状態で止まっちゃったの。どうしてだろうと思って、此処まで来て……」

「図書館で何か起きていると思ったわけだね?」


 ツカサが助け舟を出すように優しく訊ねる。ナオは何度か首を縦に振った。


「願い事が叶えられなくなる要素というか、そういうものがあるのかなって。でも、図書館はいつもと同じで……。だからもう一度システムを見てみようと思って、此処に来たら」


 記念樹が倒れた。

 ナオはそれを口には出さなかったが、細い肩を震わせたのを見れば十分だった。突然起きた不可解な出来事と、自分のした行動を結びつけることは至極自然なことである。しかしそれを素直に認めて良いものかと聞かれれば、答えは否だろう。だからナオはユキトに電話をした。縋るべき唯一の人間として。


「ユキちゃん」


 唐突な呼びかけにユキトは少し反応が遅れた。ナオは怯えたような表情を目の奥に浮かべていた。


「誰も怪我してないよね? 倒れた木で怪我しちゃった人、いないよね?」


 その疑問は、願いに近かった。願い事を叶える力を持った少女は、それを持たぬユキトに、見ず知らずの人々の無事を願っていた。

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