4.そしてその頃

 れんこは両手にカップを持ったまま、肘と腕を器用に使って個室の扉を開けた。カラオケ店の扉は多少分厚く作られているものの、全体的にチープな構造をしているため、建て付けが良いとは言えない。ギリッと蝶番が歪むのを感じながらも、そのまま扉を引いて中へと入った。カップをテーブルの上に置いてから、半開きの扉を閉める。

 彼女の冷静な行動はそれまでだった。


「意味不明。意味わかんない!」


 堰を切るかのように言葉を吐き出し、ソファーの上に乱暴に腰を下ろす。スカートの裾が乱れたまま押し潰されたが、それには目もくれず、まるでトドメを刺そうかと言わんばかりに何度か体を跳ねた。

 その突然の大声に、テーブルを挟んで向かい側にいた友人が驚いたように振り向く。口を開かずとも、何を言いたいのかはれんこにはわかっていた。「そんなに怒ってどうしたのか」と、相手の目は問いかけている。


「河津神社のナオちゃんにくっつき回ってる大学生」


 ドアの向こう側を指差しながられんこが言うと、相手は納得したようだった。


「神様も見えない、神社の神主や巫女の血筋でもない。我が物顔で首を突っ込んでくるくせに、中途半端に疑り深いんだもん。あぁいう人は意味わかんない」


 不貞腐れたようにれんこは言ったが、相手が何か言おうと口を開いたのに気がつくと先回りをして遮った。


「そういうものだ、って言うんでしょ。それが普通の反応だって。確かにあの人が、システム自体を知らなければ正しいと思うよ。でも、知った上であの反応は……えーっと」


 適した言葉が見つからず、れんこは首を傾げて考え込む。個室にあるモニタには、少し前に流行した歌のプロモーション映像が流れていた。白抜きの文字が、メロディに合わせて赤く染まっていく。飲み物を取りに行く前にれんこが予約したものだが、今更歌う気も失せていた。

 空虚な音と共に消費されていく文字を見つめていると、痺れを切らしたのかテーブルの向こうの友人が口を開いた。


「無責任」


 れんこは求めていた答えを得て、表情を明るくした。顔を上げた拍子に、猫の髪飾りも揺れる。


「それ、それ。無責任だと思う。システムのことなんて考えてなくて、ナオちゃんの行動に引っ張られてるだけ」


 既に半分近く減ってしまった炭酸水をストローで吸い上げる。細かく砕けたクラッシュアイスも一緒に口腔内に流れ込んだ。


「ナオちゃんが巻き込んだのかな。一人では寂しいからってこと? だとしても使役者は一人だし、システムの力を二人で使うことなんて出来ないのに」


 まるで独り言のように、れんこは考えていたことを次々に口にする。相手の存在も相槌も必要とはしていない。視線はモニタの中、派手なライトの下で歌うアーティストに注がれている。


「意味不明と言えば、ナオちゃんもだよね。神社の復興が目的って言ってたけど、こっちの取り分まで奪うほど必死になる理由がわからない。跡取りとはいえ、ちょっと過剰かも」

「向こうもそう思っているかもよ」


 高いような低いような曖昧な声質が、音に紛れながられんこの耳に届く。


「渡り巫女がどうして邪魔するのかって」

「別に好き好んで邪魔してるわけじゃないもん。ナオちゃんがどうしようと勝手だけど、仕事は仕事だし」


 廊下がふと賑やかしくなった。何処かから団体客が出てきたらしい。日の高いうちから酒でも飲んだのか、大声で笑いながら二人のいる個室の前を通過していく。靴か荷物か、あるいは両方が扉に当たり、ガタガタと不快な音を立てた。

 れんこはそちらに一瞥をくれたあとに、今度はモニタではなく相手に視線を合わせた。


「でも君のお陰で河津神社の人には会えたから、大きな一歩かな。こっちから探しに行く手もあったんだけど、一応神主がいる河津神社と比べて忙しかったし」

「……約束、忘れてないよね」


 探るような静かな言葉に、れんこは笑顔を返した。


「勿論。この仕事が終わったら、君の願いを叶えてあげる。でもそれにはシステムのことを、もっとよく知らないといけないの」

「わかってるよ。……香山さんよりも、絹谷さんのほうが頼りになる」


 曲が終わり、画面が暗くなる。予約した曲のリストが青い背景と共に表示され、その光が二人を淡く照らした。


「適度に興味を引くようなことを言っておいたから、上手いこと乗ってくれると思うよ」


 テーブルの上に転がったままのマイクに手を伸ばしながら、相手は自信ありげに言った。れんこはライトで青く染まった相手の眼帯を見て、少し考えた後に大きく頷いた。


「期待してるからね」


 ハル君、という呼びかけは突然始まった古いアニソンのイントロダクションに掻き消された。

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