3.消去法の信用

 階段を昇って個室に戻るまでの間、ユキトは殆ど無意識だった。何を考えていたのか、あるいは考えること自体していたかすらも定かではなかった。窓を一枚隔てた向こうの真夏の温度に当てられたように、脳の中はすこぶる怠惰だった。


「お帰りー」


 遮音扉を開けるとほぼ同時に、ツカサが空虚な声で出迎えた。視線は手元のスマートフォンに注がれている。画面が放つ青白い光が、ぼんやりと胸のあたりを照らしていた。


「遅かったね」

「……あの渡り巫女に会った」


 扉を閉めながらユキトが端的に告げると、ツカサは不思議そうに目を瞬かせた。だが、その意味を理解すると、個室に驚愕の声を響かせる。


「嘘。どこで? 男子トイレ?」

「女子高生が男子トイレにいたら事案だろうが。下の階で誰かとカラオケしてるみたいだった」

「みたい、ってどこか確認しなかったの?」


 責めるような口ぶりに、ユキトはわざと呆れたような顔を返す。


「女子高生がいる個室を覗いてこいって?」

「そんな凝視するわけじゃないからいいじゃない」

「いいか、女子高生ってのはこの世で一番残酷な生き物だぞ。お前みたいなイケメンには優しくても、それ以外は虫扱いだ」

「……なんか、凄く実感の籠った言葉だね」


 ツカサは少し引き気味に言った。それに鼻で笑ってから、話を続ける。


「あの巫女、変なこと言ってたぜ。この群青区には神様がいないって」

「何それ」


 オレンジジュースを一口飲んだツカサが首を傾げた。


「巫女さんだけあって信心深いのかな」

「あの子には神様が見えるらしい」


 極めて単調に言ったユキトは、黙って相手の反応を見守った。改めて口に出すと、その荒唐無稽さが際立つ。それを事実として他人に伝える自分の姿すら、客観的に見て愚かしい。

 笑い飛ばされるか、宗教の勧誘を懸念されるか、どちらにせよ碌な反応は得られないだろうとユキトは踏んでいた。その場合の言い訳も一応考えてある。自分は彼女の言葉をそのまま言っただけだと、笑いながら言えばよい。

 しかし、ユキトの予想に反してツカサは大真面目に「そう」と短く呟いただけだった。


「だったら、此処には神様がいないんだろうね」

「……信じるのか?」

「消去法だよ。カードの読み合いと一緒でさ、相手が切る訳のないカードってわかるじゃない」


 笑みを浮かべながらツカサは自分の考えを展開する。


「巫女さんはユキト君にわざわざ声をかけてきた。状況からして、無視することだって出来たはずだ。ということは何かしら伝えたいことか、聞きたいことがあったんじゃないかと思う。何か言われなかった?」

「……なんでシステムの使役者でもないのにナオと一緒に行動しているんだ、って聞かれた」

「二人で縁結神社に来たから気になっていたのかもね。じゃあ彼女の目的はそこで果たされたこととなる。その後に「神様が見える」なんて嘘をつくメリットは?」

「メリット?」


 いまいち飲み込めないユキト相手に、ツカサは呆れるでもなければ困るわけでもなく、説明を繰り返した。


「例えば、これが「あのシステムに関わると死ぬ」とかならわかるよ。単純な数で言えば、一対二。嘘でもついてユキト君を遠ざけられれば、巫女さんにとっては有利になる。でも「神様が見える」と言って得るものなんてないでしょ」

「単なる中二病の嘘かもしれないだろ」


 ユキトがそう言うと、今度は疑問が返された。


「ユキト君とナオちゃんは神様見えるわけ?」

「いや。……それも聞かれたから答えた」

「二人が神様が見えないって言ったなら、それこそ「此処には神様がいる」っていう方が効果的じゃない。見えない、いない、なんて言う意味はないよ」

「だから、嘘はついてないってか」

「少なくとも、彼女がユキト君を騙すために言ったわけではないと思う」


 自分で言った言葉に納得するように、ツカサは「うん」と頷いて話を締めくくった。ユキトは釈然としない気持ちで腕を組み、うめき声を出す。

 れんこの言ったことが真実であることは、何となくであるが悟っている。それこそ、ツカサが言う通り、れんこには嘘を吐く理由がない。だが、あれが真実だとすれば何故ユキトに知らせたのかがわからない。そこには何か目的があるような気がした。

 静かな声で告げられた、あの言葉が鼓膜から離れない。


「ユキト君」


 考え込んでいたユキトに、ツカサが声を掛けた。


「なんだよ」

「俺、ちょっと気になることがあるんだよねぇ。トイレ行く前に話そうとしていたことなんだけど」

「気になること?」


 ユキトは少し居住まいを正して、相手の話を聞く姿勢になった。まだ頭の中では疑問が鎮座している状態だったが、それは結論が出そうになかったため一旦保留する。


「縁結神社のことなんだけど、ユキト君の話聞いてたら、俺が想像していた神社と違ってたんだよね」

「どういうの想像してたんだ?」

「占いの館にある縁結びの神社って言うから、所謂テーマパークにあるようなイベント用の神社だと思ってたんだよ。ポップでスイートなやつ。でも看板の状態とか神社の作りから考えて、ずっと前からある神社みたいだ」

「確かに、結構本格的な神社だったな。屋外にあったものを、そのまま引っ越してきたみたいだった」

「うん、それで調べたんだけど、そういう神社って多いらしい」


 ツカサは自分のスマートフォンを操作しながら話を続ける。


「土地開発でビルとか建てる時に、そこに元々あった神社を移動させることがあったんだって。あとは単純に建て替えるついでに、管理してくれるビルを間借りしたり。流石に神社壊すのって罰当たりそうだから、そういう手段を取ったんだと思う」

「縁結神社もそのパターンってことか」

「そう。だから、元は普通の神社として群青区にあった筈なんだ。でも調べても縁結神社についての情報は、所在地ぐらいしか出てこない。ネットのない時代に移動して、そこから最近まで忘れ去られてたせいだろうね」

「神社を管理する人間がいないから、渡り巫女が雇われたって話だったしな」


 忘れられた神社。ユキトは寂れた河津神社のことを思い出して、少し暗い気持ちになった。場所が違えば、雑居ビルに押し込められたのは河津神社の方だったかもしれない。縁結神社は運よく人気を取り戻すことが出来たが、全ての神社が同じとは限らない。


「二つの神社は昔から群青区に存在した。そして二つの祈願システム。恐らくはシステムそのものが、群青区全体にかかわる代物なのかもしれないね」

「神社じゃなくて、群青区全体?」

「巫女さんが言った「群青区には神様がいない」というのも、そこに関係があるような気がするんだ。まぁ、憶測だけど」

「でもいい線いってると思うぜ。渡り巫女はわざわざ「群青区には」って言った。此処だけ特別な何かがあるってことだ」


 だが、あの口ぶりからして、れんこもその理由にまでは行きついていないようだった。思わせぶりな態度を取るようなタイプでないことは、昨日と今日で察しがついている。


「縁結神社について調べれば、何かわかるかもしれないね。図書館で調べてみようか」

「図書館?」

「大体の図書館には、その土地の歴史が書かれた文献が保存されてる筈だよ」


 ツカサは素早く荷物をまとめながら、ユキトにもそうするように視線で促した。


「俺、図書館苦手なんだけどな」

「大丈夫だよ、ご本は人を襲ったりしないから」


 それでもユキトは、何となく面倒でソファに腰を据えたままだった。

 だが、テーブルに置いたままだったスマフォを取り上げられると、漸く観念して立ち上がる。図書館までの道のりと、今日の最高気温のことを考えると非常に気が重かった。

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