2.巫女の雑談

 夏休みということもあって、カラオケ店は昼間から賑わっているようだった。個室から漏れ聞こえる歌声は多種多様で、マイクの反響も手伝って少し間延びして聞こえる。

 駅前に陣取る形で建っているカラオケ店は、この辺りでは最も古くから存在している。他にも新しい店はいくつかあるが、どれも立地条件ではこの店に劣るようで、平日昼間には看板を担いだ店員が大通りまで出て来て、客の呼び込みをしている姿を見かけた。


 ユキトはカラオケが好きなわけではない。ツカサも同様である。二人が此処に来るのは、安くて手頃なレンタルルーム感覚だった。防音性に優れ、飲み物が手に入り、ソファーとテーブルまでついている。ボードゲームの内容を考えたり、シミュレーションしたい時にはうってつけの場所とも言えた。


「……あ、いけね」


 ユキトはそこで漠然とした思考から現実に引き返した。トイレの洗面台には水が跳ねる音が続いている。鏡の中では口をやや開いたままの自分がこちらを見返していた。その視線から逃れるように、顔を下へ向ける。

 洗面台の縁に引っかかるようにして、ポケットティッシュが水を浴びていた。ついさっきまで口に咥えていたのだが、考え事をしているうちに落ちてしまった。指先でつまみ上げるようにして拾うと、そのまま傍のゴミ箱へと放り込む。街頭で配っていたティッシュに未練も何もない。

 トイレから出て、部屋に戻るため階段の方へと足を向ける。その時、背後から笑い声がした。


「ハンカチ忘れたんですか」

「は?」


 振り向いた途端に、ユキトの視界に入ったのは金色に脱色した髪だった。続けて、その下にある白いサマーセーターと、灰色のスカート。新品らしいローヒール。最後に、昨日とよく似た、しかし化粧をほとんどしていない顔を認識した。


「お前……!」

「お前じゃないです。美鳥れんこ」


 静かに訂正されて、ユキトは喉元まで出た言葉を飲み込んだ。区立高校の制服を着たれんこは、両手に飲み物が入ったカップを持っていた。どうやら誰かと一緒に来たようだが、廊下に響く複数の声のうち、一体どれがそうなのかはわからない。

 訝しげにれんこを見たユキトだったが、相手はそれを別の意味で解釈したようだった。


「濡れた手のままで出て来たから、ハンカチ忘れたのかなって」

「……ティッシュ持ってたけど、落としたんだよ。ペーパータオルも無かったし」

「それは災難ですねー」


 れんこは右手のカップに刺さったストローを口に含み、中の炭酸飲料を一口飲んだ。手首には猫柄の布で作られた髪飾りがぶら下がっている。髪に隠れてわかりづらいが、耳に空けたピアスも猫のシルエットの形をしていた。


「ナオちゃんと一緒に来たんですか?」


 馴れ馴れしい調子で続けるれんこに、ユキトは思わず一歩後ずさった。社を背にして宣戦布告してから、まだ二日である。手のひらを返したかのような態度に、警戒するのは当然の反応だった。


「ナオちゃんだよね、あの子。違いました?」

「……どういうつもりだ?」

「それはこちらの台詞、なんですけど」


 意を決して投げかけた問いは、あっさりと同じように打ち返された。完全な敬語ではなく、所々に気安い口調が混じるのは、彼女の話し方の癖らしい。


「貴方、河津神社とは何の関係もない人ですよね。システムの使役者でもない。なんで、一緒に行動してるんですか」

「……ナオに頼まれたからだ」

「頼まれた?」


 その答えが意外だったらしく、れんこは目を見開いた。制服姿であることから考えて、おそらく今日は登校日か何かだったのだろう。昨日とは髪の色以外の雰囲気が違うのが奇妙に思える。


「随分信用されてますねー。羨ましいかも?」

「なんで疑問形……。別に俺たちのことはどうでもいいだろ」


 追求を避けるように、そんな言葉で防御する。


「それより、この前のことだけど」

「あぁ、それですか」


 れんこは嘆くように息を吐いた。髪を束ねた猫の髪飾りが左右に揺れる。


「もしかして、まだ諦めてないんですか? 頑張って妨害してあげてるのに」

「寧ろ、あいつのやる気に火がついてるよ」

「ふぅん。……じゃあ貴方から言ってくださいよ。願い事をあまり叶えないようにって」


 ストローを再び咥えたれんこは、先ほどよりも少し長く中身を吸った。


「どうにも理解出来ないなぁ。郷土愛……あるいは家の責務とかそういうことかな。真似はしなくないけど」


 半ば独り言のような台詞は、ナオの行動のことを指しているようだった。ユキトは先ほど話していた内容を思い出しながら、それに返した。


「あいつは神社を元通りに復興させたいだけだよ。そっちは仕事なんだろ? 後から出て来たナオが邪魔してると思うのは仕方ないけど、あいつの気持ちも理解してくれよ」

「仕事だからこそ、譲れません」


 二日前と同じ、突き放すような冷たい口調だった。元々空調が効いている廊下が、一度か二度気温が下がったように感じられる。数秒の沈黙の後、れんこが口を開いた。


「単純な質問なんだけど、神様って見たことある?」

「……それは信仰的な話か?」

「違いますー。実際に見たかどうかの話」


 口調は真剣そのものだった。だが、ユキトにはどうにもその質問の意図が読めなかった。だがそんな困惑をお構いなしに、れんこは質問を重ねる。


「あるんですか。ないんですか」

「ない、けど」

「ナオちゃんは?」


 見たことがあるのか、という言葉を省略した質問だった。ユキトは少し悩みながらも、同じように回答する。


「無いと思う。その神の役割を果たしているのが、あの祈願システムなんだろ?」

「……じゃあどちらも、神様を見たことがないと」


 ふんふん、とれんこは鼻先を突き上げるような格好で頷いた。猫が何かに興味を惹かれた時の仕草に似ていた。


「まぁ、ナオちゃんも巫女ではなさそうですからね。見えないことはおかしくないと思いますよ」

「何言ってるんだ?」

「別に。ただの再確認です」


 右手のカップの中で氷が崩れる音がした。れんこはそれをユキトに見せつけるように緩く振る。待っている相手がいる、というジェスチャーだった。

 そのまま踵を返したれんこを、ユキトは咄嗟に呼び止める。


「何でしょーか」

「……神様を見たことがあるのか?」


 意味のある質問とは思えなかった。まるで何かの問答のようだと思いながらも、ユキトは相手の答えを待つ。両手に飲み物を持ったまま、れんこは思ったよりあっさりと答えた。


「あるよ。巫女ですから」

「どこで」

「神様のいるところなら、どこでも。それが渡り巫女の条件なんで」


 でも、とれんこは一瞬だけ難しい顔をした。


「あり得ないことだけど……群青区には神様がいない」


 廊下の音が遠ざかり、金髪の巫女の声だけがユキトの鼓膜を震わせた。


「此処には、神様なんていない。きっと滅びたの」


 呆気に取られてユキトはその場に立ちすくむ。れんこはそれには一切目もくれずに、廊下の先へと消えていった。

 すぐ近くの個室から、濁声のシャウトが聞こえる。何を言っているのかすらわからない声が、今のユキトの心情を表しているかのようだった。

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