第三幕:二つのシステム

1.信仰心の奪い合い

「俺は愚痴聞き役じゃないんだけどなぁ」


 ツカサがそう言いながら、オレンジジュースを啜った。喫茶店のような上等なものではない、プラスチック製のカップの中でクラッシュアイスが不安定に動く。


「ナオちゃんが機嫌損ねるたびに、俺のところに来るのやめた方がいいよ」

「何でだよ」

「いや、なんか本妻の相手に疲れて愛人のところに来る男みたいだから」

「バーカ」


 ユキトは軽い口調で返し、そのついでに手にしていた烏龍茶を飲んだ。氷が入っていることを考慮しても薄すぎる味が口の中を撫でていく。それに不満がある訳ではない。三時間で千円足らずのカラオケ店にあるドリンクバーなど、どこも似たようなものだろう。


「でも俺も見たかったなぁ、金髪の巫女さん」

「占いの森に行けば会える」

「一人で入るのはちょっと。ユキト君が付き合ってくれるならいいよ」

「絶対嫌だ」


 二人から少し離れた場所で光っているモニタには、ここ最近話題の女性アーティストが映っている。音を消しているためによくわからないが、椅子に腰掛けてにこやかな笑顔を向けている時点で想像はついた。カラオケ客に語りかけるような内容で、新曲の告知をしているに違いない。この手の動画は常に同じである。


「でもさ」


 視線を逸らしていたユキトを咎めるかのように、ツカサが不意に呟いた。


「なんで、その巫女さんは河津神社のことを敵視してるの?」

「あぁ、それはナオとも話してた。多分、「信仰心」が奪われたせいじゃないかって」

「あぁ、地図の上に出てくる数字だっけ」


 ユキトは一度首を縦に振ったが、同時に昨日のことも思い出す。

 縁結神社を訪れてから、既に二日が経過していた。ビルを後にしたナオは、一時間ほどは呆然としていた。あれほどまでに強い敵意を向けられたのは、恐らく生まれて初めてのことであり、一介の女子高生に過ぎないナオには刺激が強過ぎたものと思われた。


 一方のユキトは、れんこの態度に多少の憤りは覚えたものの、当事者でない分冷静だった。だからナオをそのまま近くのファストフード店へ連れて行き、バニラシェイクを奢ってやった。そこまでは問題なかったと自負している。

 問題だったのはその後のことで、あり大抵に言えばユキトは「やりすぎた」。落ち込んでいるナオを慰めるために、発奮させるような言葉を重ねてしまった。恐らくは冷静なつもりでも、ナオの姿を見て焦っていたのだろう。それに気がついたのは「あの子を見返してやろうぜ」と言った後、ナオの目に宿る闘志を見た時だった。


「数字が減ってたんだよ。細かい数字は忘れたけど、百ぐらいかな? 多分、あの子が願い事を叶えた分、減少してるんだと思う」


 ナオがそのことを電話越しに、キンキンと響く声で伝えてきたのが昨日のことである。何を言っているのかよくわからない言葉を遮り、神社に向かったユキトが見たのは、社務所の中で泣きそうな顔をしているナオだった。

 見せられたのは地図の上の数字で、明らかに数が減っていた。ナオが言うには、朝起きたらこの状態になっていたらしく、願い事の一覧も実行不可のものが多く目立った。状況から考えて、れんこが妨害をしたと考えるのが普通である。


「今までも願い事の種類によっては数値が減ることはあったけど、ここまで派手に減ることは無かったらしい」

「妨害すると数値が減る……。つまり、共通のシステムで信仰心を奪い合ってる状態ってこと?」

「俺とナオが考えたのはそうだ」


 ツカサは眉を寄せて首を少し傾げる仕草をした。少々古臭いが、目鼻立ちが整った男がやると絵になる。


「となると、上限が存在することになるね」

「上限?」

「無限に信仰心が存在するなら、奪い合いなんてせずにそれぞれ増やしていけばいいだけだよ。なのに増減するってことは、最大値があるってこと」


 自分の言葉に納得するように、ツカサは何度か頷いた。


「で、縁結神社の持つ数値は、河津神社よりかなり少ないんじゃないかなぁ。だから巫女さんはそれを取り戻そうとしている」

「取り戻す?」

「縁結神社はメディアに取り上げられて話題になって、それから巫女さんが派遣された。それ以降は巫女さんがシステムを使って願い事を叶えていたんだと思う。彼女がコツコツ貯めていた信仰心を、河津神社が奪ってしまった。そういう解釈も出来るんじゃない?」

「あ、なるほど」


 ツカサの仮説は、非常に納得出来るものだった。信仰心に上限があり、それが元は縁結神社が蓄えていた物だとするならば、れんこの敵意にも説明がつく。彼女から見れば、河津神社は後から出てきた略奪者であり、今はそれを元通りにしようとしているに過ぎない。


「その巫女さんはお仕事でやってるんでしょ? 自分の管理する神社の信仰心が減っていくのは気分が悪いんじゃないかな」

「確かに、口ぶりからしても別のところから来た子みたいだったし……。いや、待てよ」


 ある事に引っ掛かりを覚えたユキトは、眉間に皺を寄せた。


「あの子、システムのことは想定外みたいな感じのこと言ってたぞ。信仰心が減ろうが増えようが、所属する協会には関係ないんじゃないか?」

「でもさ、例え自分の持ち物や責任じゃなくても奪われたら気になる物ってあるじゃない。えーっと……学校の花壇の花みたいな」


 あまり良い例えではないことを自覚しているらしく、ツカサは困惑したような顔で言った。だがユキトは何となく、相手の言いたいことを察知する。確かに自分の関わる場所から物が奪われたり、壊されたりするのは気分が悪い。縄張りが荒らされたような気持ちになる。


「つまり、あの子から見たら俺たちが悪者ってことか」

「そういうこと。それと……」


 何か続けようとした相手を、ユキトは手の挙動で遮って立ち上がった。

 先ほどから感じていた空調の低温が余計に肌に染みる。個室の小ささに対して、温度設定が低過ぎていた。


「トイレ」

「この階じゃなくて下の階だよ」

「マジかよ。漏らさないように祈っててくれ」


 下品、とツカサが零した言葉は、分厚い防音扉を開いた音により掻き消された。


 

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