11.渡り巫女

 古臭い階段の様子が一変したのは、四階と五階の間にある踊り場に差し掛かった時だった。そこから世界を切り替えたとでも言うかのように、床材は木の板に代わり、ゴミ一つ落ちていない清潔な階段へと変わっていた。どこからか香の匂いが漂い、そこが雑居ビルの中だということを忘れさせる。


「これ、何?」


 不安を覚えたナオが、ユキトの服の裾を手で掴んだ。だが歩みを止めることはなく、そのまま上へと進む。ミシリと床板が鳴り、五階に到達した時に見たのは、大きな白い鳥居だった。あまり高くはない天井ギリギリに作られており、河津神社の鳥居よりも低い分、横に大きい。鳥居の下からは石で出来た参道が数メートルだけ出来ていて、その先に鳥居と同じ色の社が佇んでいた。


 色のないその二つを補うかのように、周りを鮮やかな布が幾重にも垂れ下がっている。布地は上等で、上品な柄のものが多く、互いの色に干渉することなく存在感を主張していた。


「神社……だよな」

「鳥居も社も結構古いみたいだよ」


 雑居ビルに押し込められた神社は、厳かな空気を放っていた。テーマパークなどにある仮初のものでなく、ずっと前から此処に存在していたことを物語っている。

 二人が暫く呆然としていると、不意に猫の鳴き声がした。子猫特有の、どこか甘えた響きのあるものだった。ユキトはその発生源を探そうとして左右を見回す。だが、先に見つけたナオが天井を指で示した。


「あそこ」


 鳥居の上に小さなサバトラ柄の猫が蹲り、ニャアと鳴いた。


「子猫だ。可愛いね」

「この神社で飼われてる猫か?」

「違いまーす」


 今度は急に人の声が割り込んだ。猫の時より数段驚き、ユキトは後ずさる。白い社の前に、いつの間にか人が立っていた。

 金色の髪をツインテールにまとめて、派手な化粧をした若い女。今まで完璧な調和の下にあった神社の色彩を、一瞬で粉々にするかのような格好だった。化粧でわかりづらいが、二人と殆ど変わらない年齢に見える。


「その子は、私が借りてる猫ちゃんです」

「君の飼い猫? ここって猫連れて参拝していいのか?」

「この子は此処に住んでるから問題ないです。それに、そのあたりは規約には書かれていなかったし」


 女は少々意味不明なことを言いながら、二人のすぐそばまで近づき、鳥居の方に両手を上げた。サバトラは待っていたと言わんばかりに手の中に飛び込み、とびきりの甘えた声を出す。女は猫の顎の下を何度か撫でた後、ユキト達に向き直った。


「えーっと、……それで何か御用ですか? 河津神社の方ですよね」

「は?」


 ユキトは相手の格好を一瞥した後、今し方のおかしな言動について考え直す。思考にして一秒。だが、全てが繋がった瞬間、まるで一分間息を止めていたかのような感覚が全身を襲った。


「此処の神社の関係者か?」

「何、その驚いた顔。知ってて来たのかと思ったのに」


 少女は子供のつまらない失態でも見つけたかのような表情を見せた。


「いや、だって……」

「別に巫女が髪を染めたりカラコンしたりしてはいけない理屈はないんで」


 あっさりとした受け答えから察するに、彼女はこのような場面には慣れきっているようだった。ユキトが何を言おうか悩んでいると、後ろからナオが興奮気味に口を出す。


「この神社の人って、あなた以外にいるの?」

「いませんよー。だって河津神社とは違って、管理人がいなくなった場所だし」

「じゃああなたは何で此処にいるの?」

「私は渡り巫女だから」


 聞き慣れない言葉が、ピンク色のグロスを塗った口から飛び出した。


「ワタリミコ?」

「一つの神社に所属せずに、色々な神社を渡り歩く巫女のこと。私の所属する「協会」では、管理する人間がいなくなった神社を保持するために、渡り巫女や渡り神主を派遣する仕事をしています」


 これまた何度も説明したことなのか、流れるような口調で続けた。腕の中のサバトラは、呑気に欠伸を一つ放つ。


「ハウスキーパーならぬ、神社キーパー。この神社も半年前に雑誌で取り上げられて人気が出たはいいけど、管理できないからって協会に依頼が入ったんです。丁度別の神社の仕事が手隙だったから、手伝い程度のつもりで来たんだけど……」


 女はそこで天井を仰ぎ、嘆く仕草をした。


「まさか、こんな面倒なことになるとはね。願い事を叶えるなんて巫女の仕事じゃないのに」


 その口ぶりと態度から、二人は相手がシステムのことを知っていると確信した。神社の中に緊張が漂い、沈黙が続く。やがてそれを破ったのは渡り巫女の少女だった。


「それで、わざわざ来たってことは、私に何か用事なんでしょう?」

「そ……そうだよ!」


 雰囲気に飲み込まれかけていたナオが、上ずった声を出して一歩距離を縮めた。サバトラが驚いたように尻尾を立てる。


「今朝の妨害はあなたなんでしょ? 折角、あと少しでお願い事が叶えられそうだったのに」

「だから?」


 短い言葉を返されて、ナオは虚を突かれた顔になる。少女は不思議そうにナオを見返した。


「五千万円の宝くじが、何枚も群青区にくるわけないでしょ? そっちばかり願い事を叶える必要もないし」

「で、でも……邪魔されたら気分悪いもん」

「邪魔?」


 少女は目を大きく見開くと、信じられないようなものを見る眼差しを向けた。それから一瞬だけ眉を寄せて何かを考えこんだ後、緩く首を振った。


「私が邪魔したって言いました?」

「……実際、そうじゃない」


 少し気圧されながらも、ナオが必死に言い返す。


「ナオは、ご先祖様から続いてる神社を守らないといけないんだから。あなたはお仕事で管理してるだけでしょ。だったら邪魔しないでよ!」


 最後の方は早口になってしまって、甲高い声が階段の方に響いていた。ナオの顔は興奮のためか少し青白くなっていて、唇の端も震えている。対する少女は口元だけで笑みを浮かべていた。


「なるほどね。そーいうことですか」


 含み笑いを一つ残して、二人から離れた少女は、社を背にして立ち、巫女らしい仕草で一礼をした。


「河津神社の意向はわかりました。それでは縁結神社の臨時管理人、美鳥みとりれんこが回答致します」


 わざとらしいまでの丁寧な口調の後、金髪の巫女は口元の形はそのまま、鋭い目で二人を睨みつけた。そうして放たれたのは、あまりに冷たく激しい言葉だった。


「これからも全力で邪魔してあげるから、精々頑張って下さいな!」


 第二幕 終

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