7.珈琲とゲーム

「それで八つ当たりされて逃げてきたってわけ? 勇敢な戦士よ、永遠に語り継ごう」


 ふざけた調子で胸の前に手を組んで天を仰いだツカサを、ユキトは軽く睨みつけた。人が少ない店内には、何処かで聞いたジャズが静かに流れている。二人が腰掛ける椅子はビロード張りの立派なもので、テーブルの上に置かれた水の入ったグラスも、わざわざ陶器製のコースターに載せられていた。

 少し離れたところにあるカウンターの中では、四十前後のマスターが注文した珈琲を煎れる準備をしている。


「俺は人の八つ当たりを寛容に受け入れられるほど、人生諦めてねぇんだよ」

「ごめん、ごめん。面白かったら、つい」


 ツカサは持っていたボールペンを器用に指だけで回しながら、心の籠もらない謝罪を口にする。願い事が誰かに妨害されたことにより不機嫌になったナオから、逃げるように神社を後にしたのが半刻ほど前のこと。ツカサに連絡を取ったところ、駅南口の喫茶店にいると知らされたため、迷いもなくそこを避難所に決めた。


「祈願システムのことも、お前に話すなって言われた」

「話しちゃいけないことだったんだ?」

「人に知られると、皆が神社じゃなくてナオに願い事をしに来るようになるから、ってさ」


 ユキトがそう言うと、ツカサは口角を吊り上げるような笑みを見せた。


「その点は安心してよ。俺、言いふらすつもりないもん」

「お前はそういうタイプだって俺も知ってる。でもナオには伝わらないし」

「まぁそこは仕方ないね。俺もナオちゃんのことは、ユキト君のお気に入りの女の子ってことしか知らないもの」

「だから、そんなんじゃねぇよ」


 否定はしてみたものの、その語調は強くなかった。遠慮のない好意を惜しみなく向けてくるナオに対して、ユキトはそこまで無関心を貫けない。だが、好意を抱いてくれるからとそれに応じるほど、軽い男でもなかった。


「あのさ、ユキト君」


 ボールペンが軽やかに回る。ツカサは、年上の女に向ければ無敵であろう笑みを浮かべて、ユキトの方を見ていた。


「ナオちゃんには内緒で、システムのこと教えてくれない? 勿論、言いふらしたり邪魔したりはしないから」

「何で?」

「昨日も言ったけど、いいネタなんだもん」


 ツカサはボールペンの先で、テーブルに広げていたノートを示した。罫線のみが入ったシンプルなノートには、色々な物が書き込まれている。ルーレット、サイコロ、数字、英字、何かわからない幾何学模様、犬の尻尾のようなもの。ユキトはそれが何かよく知っていた。


「ボードゲームのネタにする気か?」


 そう尋ねると、ツカサは何度か頷いた。


「正直、アイデアがマンネリ化しててさ。アイデア公募の締切も迫ってるのに、手持ちのネタが「クトゥルフ将棋」しかない」

「あぁ、駒が途中で四大霊になって他の持ち駒喰うやつか。あれはやめとけよ。ルールややこしいし」

「ユキト君の発案なのに」


 二人が共通の趣味とするボードゲームは、昨今は様々な新作が出ており、有名な会社が一般からアイデアを公募することもある。選ばれたアイデアを元に商品が作られることも多く、そのいくつかは二人が通うカフェでも人気のゲームとなっている。

 ツカサは高校時代から何度か公募に出しているが、未だ佳作にすら届いたこともないらしい。アイデアの元になりそうな事を、その手元のノートに書き込んでは、新しいゲームを考えることに没頭している。そんなツカサにとっては、祈願システムも面白いネタの一つに過ぎないに違いなかった。


「ねぇ、いいでしょ? ユキト君が話したくないことは話さなくていいし、本当にアイデアをもらうだけだから」

「そのままゲームに転用したりしないよな?」


 念のためにユキトが確認すると、ツカサは苦笑して首を左右に振った。


「それはない。だって今聞いている限りだと、システムに戦略性がないからね」

「戦略性って言うと……」


 そこにユキトが頼んだ珈琲が運ばれてきた。適当に頼んだので、豆の種類もその味もよく知らない。だが、一口飲んだ途端に爽やかな酸味が口の中に広がり、自らの選択に満足した。


「対戦相手がいないじゃない。だからシステム自体がいかに興味深くても、ゲームにそのまま転用は出来ないな」


 途切れた言葉を補うように、ツカサが少し早口で言った。


「聞いた限りだと、一方的に願い事を叶えるだけだもんね。祈願する側とされる側で、所謂「三すくみ」に似た状態が作られれば面白いけど」

「三すくみって、ジャンケンのことだろ。グーはチョキに強くて、チョキはパーに強くて、パーはグーに強い」

「うん。そういう力の相互関係があるゲームは面白いからね。考えるとなると、どうしてもジャンケンレベルから昇華出来ないんだけど」


 ユキトは、先ほどのことを相手に話すべきか迷った。

 あのメッセージを素直に受け止めるのであれば、同じシステムを持った人間がもう一人群青区にいることになる。そしてどうやったかはわからないが、ナオの行動を妨害している。恐らくはナオよりもシステムの扱いに慣れているにんげんだろう。

 何故妨害をしたかは不明だが、このまま放置しておくわけにはいかない。ユキトにとっては神社の再興よりも、ナオの機嫌のほうが問題だった。妨害が続けば続くほど、ナオが落ち込むことは目に見えている。

 ツカサに話せば、「もう一人」を探すのを手伝ってくれるかもしれない。それこそ、ゲームのネタになると言って。同じシステムを使う人間が見つかれば、システムの知識も更に深まる。


「……ゲームのネタになりそうな機能とかあったら教えるよ」


 出した答えは「話さない」だった。ツカサのことは信用しているが、もう一人の正体がわからない以上は巻き込む訳にはいかない。流石に何処かの都市伝説ゲームよろしく、突然鉈を持った怪物が出てきて襲いかかってくるとは思っていないが、念には念を入れるに越したことはない。

 珈琲を再び飲もうとした時、店舗の入り口のドアが開いて、取り付けられたベルが何度か鳴った。外の気温に負けたかのような、やる気のない音だった。


「オジサン、買ってきたよ」


 どこかで聞いた声がした。マスターがそれに対して感謝を述べたが、それはユキトの耳には届かなかった。中途半端に持ち上げたカップをそのままに、カウンターの方へと振り返る。

 最初に目が合ったのは、銃を構えた三毛猫だった。続いて眼帯が目に入る。黒縁眼鏡の奥で、視線がゆるりとユキトの方を向いた。


「あっ」


 声を出したのは果たしてどちらだったか。

 カウンターの前で業務用の調味料を山ほど抱えた少年は、朝出会ったばかりの、願い事のない参拝者だった。

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