4.夏のアイス

「何でそういう意地悪言うの。ユキちゃん嫌い」

「だから冗談だって。そんな怒るなよ」

「折角、アイスあげようと思ったのに」


 その単語に、ユキトは「おっ」と呟いた。夏の日のアイスは魅力的である。まして朝から呼び出されたせいもあって、多少小腹も減っていた。


「何のアイス?」

「ラプコ」


 二人が子供の頃からあるアイスの名前を、ナオはまだ不機嫌まじりに言った。それに対してユキトは思わず頬を緩める。


「いいじゃん。何処にあるんだ?」

「そこの社務所の冷蔵庫の中にあるけど、意地悪な人にはあげないもん」

「ごめんって。謝るから」


 口を尖らせて顔を背けたナオに、ユキトは両手を合わせながら下手に出る。先程の賽銭箱の前と比べて、数倍真剣な態度だった。何秒かそうしていると、ナオはちらりと一瞥を向ける。


「反省してる?」

「してます、してます。すっごいしてます。もうあんなこと言わないから」

「本当に?」

「本当です、本当。ほら、嘘ついている目に見えるか?」


 ユキトは一歩横にずれて、ナオの顔を覗き込んだ。ナオは虚を突かれたように目を見開いた後、慌てたように一歩飛び退いた。木陰のためにわかりづらいが、その頬は少し赤かった。

 まるでそれを誤魔化すかのように、ナオは少し早足で、参道を挟んで向かい側にある社務所の方へ移動を始める。平屋造の社務所は、社と比べると実に近代的な形をしていた。くすんだ白い壁。ガラスの引き戸、黒い瓦葺きの屋根。御守りを売るための窓口が側面になければ、普通の一軒家と変わらない。その窓口も今はシャッターが下されていて、暫く使われた様子がなかった。

 ユキトはナオの後ろを追いながら、シャッターの隙間に汚れた紙が挟まっているのに気がついた。雨風に晒されて破れているが、太い筆記体で書かれた「中吉」の文字が目立っている。初詣でそれを引いた人間が挟み込んだのだろう。


「おじさん達って、ここで仕事しないのか?」

「最近は殆どしないよ。お祭り無くなっちゃったから、夏は特に」

「あぁ、三年前だっけ」


 子供の頃の一大イベントだった河津神社の夏祭りは、子供の減少と人口の高齢化、そして受け継がれてきた神輿の老朽化などにより三年前に廃止された。ユキトはそれを祖父から聞いただけで、当時は何も思わなかった。それだけ、神社という存在は縁遠くなってしまっていた。


「エアコンもそろそろ寿命かなーって。買い換えるお金ないみたい」


 ナオはガラスの引き戸を開けて中に入る。ユキトがそれに続くと、冷たいがカビ臭い匂いが鼻を突いた。今のナオの言葉が嘘ではないことをそれで悟る。コンクリの玄関に靴を脱いで社務所に上がり、細い廊下を通って台所に向かう。掃除はしているが、何処か埃っぽいのは換気をしていないせいと思われた。

 台所は時が止まってしまったかのように、レトロな内装を保っていた。緑色を基調とした花柄の床。脚が斜めについた大きなテーブル。大きな台形の電気ポット。小さな冷蔵庫はその中で必死に存在感をアピールするかのように、煩い音を立てていた。

 二ドア式の冷蔵庫の上半分、冷凍庫となっている場所を開けたナオは、大量に霜のついた内部からアイスを二つ取り出した。黒い長方形の袋にサイケデリックな色で商品名が記されている。


「バニラとコーヒー、抹茶とオレンジ。どっちがいい?」

「コーヒー」


 手渡された袋には、小さい文字で「バニラ&コーヒー」と添えられていた。端から指で破って、中身を取り出す。出てきたのは直角三角形のクッキーアイス二つだった。二つが組み合わさるように入れてあるため、袋だけ見ると長方形のアイスに見える。

 「あなただけのラプコ! 二つの味を独り占め!」というキャッチフレーズで、子供の頃はよくコマーシャルが流れていた。何処か大人っぽいパッケージと、アイドル二人がそれぞれ異なる衣装で踊るコマーシャルが人気だった。もうコマーシャルは流れていないが、アイスだけはロングヒット商品となっている。


「なんか昔より小さくないか?」


 三角形の先端をかじり、ユキトはそんな感想を零す。ナオは抹茶味の方を頬張りながら首を縦に振った。


「ナオもそう思って調べたら、やっぱり昔より十グラム少なくなってた」

「十グラム増えるように願い事してみるかな」


 口の中にクッキーとバニラの味が広がる。冷たいそれが喉を伝って胃の方に拡がっていくのを感じた。子供の頃は、早く食べないともう片方が溶けてしまうことが多かったが、今はその心配がない。

 暫く食べ進めてから、ユキトは話題を変えた。


「さっきの実験で、何かわかったか?」

「ひょっほ、らって」

「はい、ちょっと待ちます」


 ナオは口の中の抹茶アイスを飲み込んでから話し始めた。


「ユキちゃんが鳥居をくぐった時に、システムは既に動き始めてた。多分、正当な手順を踏んでお参りするかどうかチェックするためだと思う」

「なるほどな」

「お賽銭入れて、二礼二拍手した時、願い事の一覧が一回更新されたの。多分願い事を登録する準備かも」

「更新されて、何か変わったか?」

「そこまでは見てなかったけど、何か無くなったりはしてないと思う。お参り終わって少ししてからユキちゃんの願い事は登録されて、そこで動きが終わった」

「ふーん。まぁ大した発見はないな」


 ユキトが呟くように言うと、ナオは首を少し傾げる仕草をした。


「そんなことないよ。「システムは神社に来た人全員をチェックしている」「お願い事をした後のことは判定しない」ってことはわかったもん」

「それがわかって、どうなるんだよ」

「手順のチェックを慎重に行うのに、その後のことは確認しない。つまりこれって、お願い事のキャンセルが出来ないってことじゃない?」

「今のなし、みたいなことか?」

「うん。まぁもう一度手順を踏んで「先ほどのお願いは取り消しで」って言えば、その登録はされるかもしれないけど、前のお願い事がその時点で取り消されるわけじゃないと思う」

「つまり……」


 ユキトは早々に食べ終わったクッキーアイスの残骸が指先に残っているのを、手首を振ることで床に落とす。それからもう一つのアイスを手にとった。


「後から気が変わったとしても、もうどうすることもできない願い事もあるってことか」

「ナオ達が叶えちゃったら終わりだからね。願いを叶えるかどうかはシステムを使う人間に一存されてて、願い事をした人のことはあまり考えるようになっていないのかも」

「それだと何だか、願い事を只管集めるシステムみたいだな。神社のシステムだから、それでいいのかもしれないけど」


 あるいは、とコーヒーアイスを噛みしめながらユキトは考える。人智を超えた、神様のようなシステム。人間が軽率に使ってはいけないということなのかも知れない。それをナオが使ってしまっていることに、初めて薄ら寒いものを覚える。

 それを伝えようとして、しかしユキトは言葉を飲み込んだ。あまりに漠然としすぎていて、自分が感じた不安が相手に伝わりそうにもないと思ったためだった。

 目の前で悩むユキトのことなど露知らず、ナオは笑顔のまま口を開いた。


「じゃあ今日も頑張ってお願い事叶えようね」


 その真っ直ぐ過ぎるほどに真っ直ぐな言葉に、ユキトは殆ど条件反射のように頷いていた。

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