7.その果てにあるもの

 ディスプレイの中で、映像や数値が一斉に動き出す。二日前にも見たものだが、日中に見るとより一層、現実離れしたものを感じさせた。それを見つめながらナオは言葉を続ける。


「もしかしたら願掛けが効いたのかも、くらいのほうがいいと思うんだよね」

「何で?」

「だってそのほうが、願い事をした人も気分がいいじゃない。全部お膳立てしちゃうと、有り難みがないもん」

「そういうもんか? 願いが全部叶ったほうがいいと思うけどな」


 ユキトは純粋な考えを口にしたが、返ってきたのは否定だった。


「想像してほしいんだけど、例えば受験生が「大学に合格しますように」って願い事をして、実際に合格したとするでしょ? その場合って神社に行ってよかったって思うじゃない」

「そうだな。実際には勉強したおかげだとしても」

「でも、受験生の母親が同じように願い事して「お母さんが神社に行ったからよ」って言ったら?」

「……あんまり気分は良くないな。努力が否定されたみたいで」

「そういうこと。願い事はあくまでちょっとした「手助け」ぐらいがいいんだよ」


 ふふん、と得意げに締めくくったナオだったが、ディスプレイの表示が切り替わると慌てて次の願い事を選び始めた。


「うー、数が多い……。どれがいいかなぁ?」

「簡単なのから片付けようぜ。『インコのキャベツちゃんを探して』とか」


 ユキトは他のディスプレイにも目を向ける。どれが何をしているか、まだ理解は出来なかったが、群青区の地図を映し出している大きなディスプレイに自然と視線が向いた。

 他のディスプレイには文字やら記号やらが並んでいるのに対して、それだけはシンプルな構造をしていた。上空から見下ろした群青区の全景。そして、右上に表示された数字。


「その数字って何?」


 指差して尋ねると、ナオは髪を耳に引っ掛けながらそちらを見やった。


「どれ?」

「ほら、あの地図の上にある「428」って……」


 その言葉の途中で、数字が「432」に変化した。それを見たナオが明るい声を上げる。


「四つ上がった!」

「それ、何なんだ?」

「これはね。多分、ナオが集めた「信仰心」だと思う」

「信仰心?」

「お願い事を片付けると、数値が変化するの。偶に減ることもあるけど、大体は増えていくかな。最初はもっと少なかったけど、ここまで増やしたんだ」


 ナオはそのディスプレイを手元に引き寄せて、自慢するかのようにユキトに見せた。表示されているのが地図であるため、その言葉には一定の信憑性がある。とはいえ、それ以外には何も無いため、肯定も否定も出来ない状態だった。


「これが沢山集まったら、神社に人が戻ってくるんじゃないかって」

「沢山ってどれぐらい?」

「それは……わからないけど。ゲームみたいに上限が書いてないから」


 少し自信が無くなったのか、ナオは視線を下に向ける。だがすぐに復活して、ディスプレイを遠くへ退けた。


「でもこれが多くなると叶えられる願い事も増えてるのは確かだし、とりあえず集められるだけ集めてみようかなって」

「……そうだな。そのうちわかるだろ」


 二人は楽観的に言って、それを確認するように頷いた。小さい頃にかくれんぼをして遊んだ時、親に気付かれないように息を潜めていたのと同じように。

 得体が知れないシステムを操ることへの若干の恐れと、操れることへの満足感がそこには存在していた。要するに二人とも、自分が実際はどうすべきなのか理解していなかった。


「……というかナオって、そんなに実家のこと好きだったか? 前は「絶対神社なんか継がない」って言ってたのに」


 ユキトが尋ねた内容に、ナオが一瞬驚いた顔をして退いた。大きな瞳が、少し落ち着きなく左右に揺れる。


「ユキちゃん、よく覚えてるね」

「いや、何かの話の流れでそうなったのは覚えてるんだけど……。なんだっけ?」

「え、覚えてないの?」

「全然。まだ小学校低学年ぐらいだったし」


 ナオは口を半開きにして、信じられないものを見る目をユキトに向けた。その表情は段々と呆れたものになり、そして不機嫌なものへと変わる。


「信じられない」

「何が」

「ナオが神社継がないって言ったのは、ユキちゃんのせいなのに」


 全く身に覚えがないユキトは、相手の怨みがましい目に怯む。だがナオは先ほど空けた距離を詰めるように、ユキトの方に体を乗り出した。


「ユキちゃんが、巫女さんは結婚出来ないって言ったから!」

「え、そうだっけ?」


 それがどうして神社を継がないことになるのか、と聞き返そうとしたユキトだったが、それより先に埋れていた記憶の一つが蘇った。それは今言った小学生の時ではない、更に前のものだった。


 境内の裏、柊の木の横。幼いユキトが差し出した玩具の指輪を受け取る、幼いナオ。紺色の浴衣には綿飴がべっとりと張り付いて、その頬には泣いた跡が残っている。

 幼稚園で作った紙製のお面の中で、ユキトはその年齢が許す最大限の真剣さで言った。


 大きくなったら、お嫁さんにしてあげるから。

 うん、約束だよ。


 全て思い出したユキトは、頬に血が昇るのを感じた。

 公園の外に置き去りにしてきた暑さが襲いかかってきたかのように、顔も手も全て熱かった。


「言っておくけど」


 その変化を見逃さなかったナオが、悪戯っぽく口角を持ち上げた。


「まだ約束は有効だからね、ユキちゃん」


 今すぐ、記憶の消去をシステムに叶えてほしい。

 そう思いながらユキトは両手で顔を覆った。その願いは誰にも聞き入れられることなく、ただ脳の中に記憶だけが色鮮やかに染み込んでいった。


第一幕 終

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