5.復興か願いか

 神様に願いを聞き入れてもらえるなら、すぐさまこの暑さをどうにかして欲しいと願うだろう。ユキトはそう思いながら坂を登る。ビルを出てから既に五分以上が経過していた。駅前の賑やかな場所を離れ、北へ進むにつれて店は少なくなり、住宅街が広がっていく。どれも特に古くもなければ新くもなく、隣の紅蓮区のように同じ形の建物が軒を連ねるわけでもない。この辺りは昔からの住民が多いため、新興住宅街とは少し趣きが異なる。

 ツカサが住んでいるのも、この近辺のはずだった。家の場所を聞いたことはないが、通っていた小学校や中学校を聞けば大体の位置は把握出来る。


「……暑い」


 口に出しても仕方ないが、思わずそうこぼした。照りつける太陽はアスファルトを焼いて、重たい熱気を次々と生み出している。なるべく影となっている場所を選んで歩いているつもりでも、昼下がりの住宅街にはそもそも影なんてものは少なくて、偶にある木陰も午前中の熱を抱えて茹っているように見えた。


 坂を登り切ると指定された公園があった。元々小さな公園だが、四方を木々で囲まれて薄暗いため、実際よりもかなり狭いように見えた。こんなところで待っている相手の気が知れないと思いながら、ユキトは一歩中に踏み込む。その瞬間、前言を撤回することになった。


「うわ、涼しい」


 日が殆ど当たらないのと、敷地に対して緑が多いため、公園の中は周囲より気温が低く保たれていた。先ほどまで汗を垂らしながら歩いた坂と比較すれば、天国にも思える。


「ユキちゃん、遅いー」


 冷えた空気を味わうのも束の間、ナオの声がユキトを現実に引き戻した。長方形をした公園の一番奥、コンクリ製の山のような遊具の上にナオが座っていた。半袖のカットソーにロングスカートを重ねた格好で、足元のサンダルだけが蛍光色のストラップで存在感を主張している。それが流行なのかどうか、ユキトには判断がつかなかった。


「来れたら来いって言ったくせに、遅いって何だよ」

「でも来たでしょ?」


 悪びれもせずにナオは言った。家からそのまま来たのか、右手にスマートフォンを持っている以外に荷物はない。ナオの家は神社のある山の傍にある。そこからこの公園までは、どんなに短く見積もったとしても徒歩で二十分はかかるはずだった。


「歩いてきたのか?」

「まさか。死んじゃうよ」


 ナオは自分の斜め後方を指し示した。遊具の影に隠れるように自転車が置かれている。後輪のカバーに校章らしきシールが貼られていることに気がついたユキトは、ふと思い出して口を開いた。


「そういえば、今日は制服じゃないんだな」

「昨日は部活があったから」

「部活? 高三だろ?」


 ユキトは驚いて聞き返したが、すぐにそれが間の抜けたものであることに気がついた。確かに去年、ユキトは夏休みを前に部活を引退した。だがそれは所属していたテニス部が区大会で敗退したからである。勝ち進んでいれば当然夏にも部活動はあったに違いない。

 そもそも吹奏楽部は高三秋に引退演奏会を行なっていたし、秋になっても部活を続けているクラスメイトは何人かいた。夏休みに部活をすることなど珍しくもなんともない。

 自分の中に「部活は夏前に引退するもの」という妙な思い込みが存在していたことに、ユキトは少し笑いたくなった。


「ナオの学校は文化祭までは部活あるよ。ユキちゃんの学校は違ったの?」

「いや、そんなことはないけど」


 ユキトはごまかしながら遊具の上に登る。ナオの横に腰を下ろし、背負っていたバックパックを足元に下ろした。


「で、何の用だ?」

「お願い事が溜まったから、一気に片付けちゃおうと思って」

「神社じゃ駄目だったのかよ」

「昼間だとパパとかいるから、落ち着かないの。このこと、ユキちゃんしか知らないし」


 さり気なく言われた言葉に、ユキトは動きを止めた。


「おじさんとかに言ってないのか?」

「言ってないよ。ほら、あんまり人に知られると面倒だし?」


 同意を求めるようにナオは首を傾げてみせる。だがユキトは軽く頭を抱えていたため、その仕草を見ていなかった。


「どうしたの?」

「悪い。知り合いに言っちゃった」

「……何で?」


 ナオは声のトーンを一気に下げた。途端に気温までも下がったかのような錯覚を得て、ユキトは肩を竦める。


「いや、内緒だとは思わなかったから……?」

「内緒に決まってるでしょ!」


 裏返ったナオの声がユキトの耳をつんざいた。近くの茂みの中に隠れていた雀が鳴きながらどこかに飛んでいく。


「もしこのシステムのことがバレたら、お願い事をする人が殺到しちゃうかもしれないじゃない」

「それでいいんじゃないのか?」

「良くない。もしそうなったら、皆は神社じゃなくてナオにお願い事をするってことになるもん」


 鋭い眼差しを向けてナオは力強く言った。

 ナオの目的は寂れてしまった神社の復興であり、祈願システムはその手段に過ぎない。だがこの存在が知れ渡ってしまえば、祈願システムは目的にすり変わってしまう。


「ユキちゃんには見られちゃったから話したけど、他の人に教えていいなんて言ってない!」

「悪かったよ。もう言わないから」


 謝罪を述べるユキトだったが、ナオは納得していない様子で整った眉を歪ませる。


「大丈夫? その人、祈願システムのこと言いふらしたりしないよね? ネットで拡散したりしないよね?」

「……多分大丈夫だと思う。あんまりそういうの興味ないやつだし」


 それについてはユキトは一定の信頼をツカサに対して持っていた。口調もノリも軽い男だが、無責任なことはしない。誰かにシステムの存在を言いたくなったとしても、ユキトに確認をしてくれる筈だった。


「信用できる友達だから、安心しろよ」

「友達って……」


 不意にナオの口調が今までのような責めるものではなく、寧ろどこか身構え得るようなものに変わった。黒髪の隙間から黒い目がユキトを見上げる。


「男? 女?」

「男だけど……、性別関係あるか?」


 疑問に疑問で返したユキトは、ナオが少し安心した表情になったのに気が付かなかった。

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