2.彼女について知っていること

 東間ナオについて、ユキトが知っていることは限られる。

 この河津神社の神主の娘であること。ユキトより一つ年下の高校三年生であること。因みにどこの高校に通っているかは、今し方制服を見たことで知った。この群青区にある私立の女子高。偏差値は平均より高い、所謂進学校である。

 スイカが嫌いで、肉まんが好きなこと。九歳頃に御神木に昇って降りれなくなって散々に父親に怒られたこと。右利きであること。右足に湯たんぽで作った火傷があること。


「で、今の何?」


 だから、今見たことが何かはユキトにはわからない。ナオを取り巻くように展開していたディスプレイのようなものは既に消えていて、境内の中には球切れ寸前の電球が黄ばんだ光を放っているだけだった。

 その電球の下で、ナオは最初困ったような顔を浮かべていた。数秒後にそれを一度押し込むように唇を噛みしめ、怒っているかのような表情を作った後に満面の笑みになった。


「何のこと?」

「誤魔化す時に笑う癖はそのままか」


 思わず呆れて呟いたユキトだったが、ナオは侮辱と取ったのか口を尖らせた。黙っていればクールな顔立ちなのだが、表情が豊かなところは年相応である。


「さっき、駅裏の交差点にいただろ」


 表情の変化に気を取られないよう、ユキトは静かな声で尋ねた。案の定、ナオは再び笑おうとしたが、ユキトが一歩近付くと中途半端に硬直する。


「赤い車が蕎麦屋に突っ込んだ時だよ。お前、あの事故見て笑ってたな。何でだ?」


 それこそがユキトが此処に数年ぶりに来た理由だった。

 二人が住む群青区は、駅の前にランドマークの大きなビルがそびえ立ち、それを中心として繁華街が広がっている。平日休日問わず人で溢れかえり、所謂「若者の街」として知られている場所だった。

 だがこの神社を見ればわかる通り、駅から少し離れれば自然が残る場所も多い。顕著なのは群青駅である。北口を出ればすぐに大きな交差点と煌びやかなアーケードが見えるが、南口は別世界のように閑散としている。そのため、何となく誰もが南口のことを「駅裏」と呼んでいた。


「……ユキちゃん、いたんだ」


 ナオは小さな声でそう呟いた。まるで悪戯が見つかった子供のような口ぶりだった。それにユキトは軽く苛立ちを覚え、声のトーンを少し下げる。


「地元駅なんだから居てもいいだろ。何でお前、あれ見て笑った? さっきの変なのと関係あるのか?」

「変なのって言わないでよ。ちゃんと名前が……」


 ナオはそこまで言いかけて、慌てて口を閉ざした。だが何を考えているかは、顔を見れば一目瞭然だった。


「昔から思ってるけど、自爆しやすいよな」


 海外ドラマの真似をして大仰な手振りと共に言えば、ナオは顔を紅潮させた。怒りと恥ずかしさの丁度中間の色が、黄色い照明の下でもよくわかる。


「ユキちゃんの馬鹿! 嫌い!」

「自爆したくせに俺にキレるなよ。で、その反応からして事故とアレは関係あるんだな?」


 これ以上誤魔化せないと悟ったのか、ナオは素直に頷いた。それに合わせるかのように電球がちらつく。顔を伏せながらも少し頬を膨らませているあたりは、小さい頃と変わらなかった。


 二人が最後に会ったのは五年近く前のことだが、その時と同じ感覚で話せることにユキトは内心安堵していた。年頃の女子をどう扱えば良いのか知らなかったためである。だが幸いに、ナオは見た目は成長しても中身はそのままだった。


「説明しなきゃ駄目?」

「駄目って言われて素直に帰るなら、そもそも此処まで来ないっての」

「だよね。……えーっと、説明してもいいんだけど」


 何やら言い渋っているナオに、ユキトは視線だけで促した。


「……「何言ってんだ?」とか「正気か?」とか言わないでくれる?」

「わかった、わかった。早く言えよ」

「あのね。……ナオは神様になったの」


 沈黙が訪れた。電球の中のフィラメントが小さく鳴る音だけが響く。

 たっぷり数秒分の時が流れた後、ユキトは首を横に傾けた。


「何言ってんだ? 正気か?」

「約束破ったー!」


 ナオの嘆く声が、夜の神社に響き渡った。

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