群青区に神は滅びて

淡島かりす

第一幕:河津神社の跡取娘

1.ERROR!

 息が、溢れた。

 足の裏に伝わる硬い感触は、アスファルトの平坦さとはかけ離れている。少し爪先を動かすと、小石が弾んで下へと落ちていく音がした。だがそちらに目を向ける余裕はない。否、正確に言えば体力は余っているし、そこまでこの長い石段に追い詰められているわけでもない。だが振り返って、想像よりも自分がまだ昇っていないのを見てしまう可能性を恐れていた。

 駅の階段よりも狭く、急な勾配。幼い頃は競争して駆け上がっていたことを思い出して、香山ユキトは自嘲気味に笑った。十九歳という歳は、幼年に戻るには遠すぎて、老いを語るには早すぎる。あの頃短く切っていた黒髪は、今は肩より長い茶髪になって、適当に首の後ろで束ねられている。

 しかし明確な差といえばそれぐらいかもしれなかった。二重なのに彫りの浅い目も、いつも口角の上がっている口も、その右下にある黒子も、何も変わってはいない。


 八月の遅い日没を、更に越えた時刻。

 石段には一つだけ明かりが点っていた。その薄ぼんやりとした光の向こう側に鳥居が見える。ユキトがそちらに顔を向けると、何か布のような影が奥へ翻るのが見えた。それを見て一つ大きく息を吐くと、石段を勢いよく駆け上がり始めた。

 狭い石段に爪先を引っ掛けるようにして、二段ずつ昇っていく。蒸し暑さも何処かに忘れたかのように、鳥居へ至る道は冷えていた。長い石段の果てにある鳥居を潜り抜けた時、それまで木々に覆われていた視野が一気に拓ける。それに合わせて、ユキトは口を大きく開いた。


「ナオ!」


 思ったよりも声は大きく響き、ユキトは少し萎縮した。

 鳥居の傍には高い石柱が置いてあり、「河津神社」と書かれている。暗くて見えないが、ユキトはそれを知っていた。小さい頃はよく此処で遊んだし、夏祭りには小銭を握り締めて縁日に飛び込んだ。

 この神社はこんなに小さかっただろうか。

 幼い頃には無限にも広く思えたものだが、今見ればせいぜいが百メートル四方の敷地で、奥にある境内も小さなものだった。友達と一緒に「聖なる木」として遊んだ御神木も、十円玉を見つけてははしゃいだ手水場も、寒い日にはストーブを点けて招き入れてもらった社務所も、記憶に残っているものよりも貧相で古びてしまっていた。

 社務所のところに照明が一つあるが、球切れが近いのか何度も点滅している。社務所も暗く、人の気配はない。ユキトは自分が何か悪いことでもしているような気になって、一歩後ずさった。しかし、その時に境内から微かな音がした。床板が軋むような音などではない。例えるならばパソコンを起動した時のような明確な人工音だった。


「何だ?」


 境内の方に近づき、賽銭箱の向こうにある両開きの扉に手をかける。木で出来た格子の扉は、内側から黒い布を貼り付けて光が漏れないようにしてあった。防犯のためかと思ったが、それならば賽銭箱がそのまま屋外に出されているのはおかしい。それに、ユキトの記憶ではこの中にあるのは元々レプリカの御神体のはずだった。

 扉を引くと、貼り付けられていた布が剥がれる音がした。中の光が一瞬眩しくユキトの目を焼く。それと同時に視界に飛び込んできたのは、一人の少女だった。

 癖のない黒髪を腰まで伸ばし、怜悧に見えるが幼さも残る目には驚いた顔のユキトが映っている。着ている黒いセーラー服は、先ほど石段の途中で見たものに間違いなかった。


「ナオ」


 呆気に取られて、ユキトは幼なじみの名前を呼んだ。それは女らしく成長した相手の容姿に驚いたためではない。彼女の体の周りにいくつも浮かぶ、半透明のディスプレイを見たためだった。

 何処かの安いSF映画に出てくるような液晶画面は、大きさも位置もバラバラであったが、そのいずれにも赤い文字で「ERROR」と表示されていた。その赤い文字は少女の頬を染め上げているかのようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る