Side:R
城山莉子は主人公になりたかった。主人公になれば世界を変えられるからで、主人公でなければ世界を変えられないからだ。けれどいつしかこの世には主人公など存在しないことに気付いてしまった。それでも、自分であればそれになれると信じなくてはならなかった。おままごとではいつでもお姫さまをやらされていた莉子は、本当はヒーロー役がやりたかったのだ。
そう、莉子はお姫さまだった。いつの頃か、自分が「お願い」をすれば両親の権威に怯える相手が何でも聞いてくれると分かったが、それでも主人公にはなれなかった。本当のお願いは一つも叶わず、自分で願いを叶えなくてはならないことを知っていた。これではまるで悪の幹部だ。自分がどんどん道を外れていくのに気付きながら、世界は他の道を許してくれない。別の道を選択できるほど、莉子は自由ではなかった。それに気付いたとき、絶望に近い敗北感を抱いた。
私がヒーローにならないと、何も変えることができないのに。二つしか選べない道を迫られて、足掻くように伸ばした手の先に、その憎らしい女は立っていた。彼女は主人公だった。人を救って、世界を変えてしまうような、主人公だった。
高校受験の朝、莉子は両親の喧嘩の声から逃れるように部屋を抜け出した。窓から降りて逃げるように駅まで向かって、行くべき土地の名前を懸命に探した。専門のドライバーと車が用意されており、ほとんど電車に乗ったことがなかった彼女にとって、路線図も改札も朝のラッシュも異世界の敵のようなものだった。それでも慎重に周りを観察して、切符を買って改札を通ることに成功した。切符を握りしめたまま、路線図を何度も確認して目的の駅名に向かう電車のホームに立った。
だが、そこからが問題だった。滑り込んでくる電車は全て超満員で、それに乗り込むことが出来ずに人の群れに押しのけられる。お姫さまであることに抗うため、真っ黒の髪に人を拒絶する眼鏡、指定通りに一寸の乱れなく着込んだ制服、怯えて右往左往する「ダサい」中学生に擬態していた。朝を生きる人々は余裕がなく、莉子という個人を見る者はいない。まるで障害物のように押しのけられ、どうしようもなく無力なことを思い知りながら、どうしたらいいのかも分からぬまま立ち尽くしていた。
多くの人間の中、庇護もなく立ち尽くし、自分という存在の価値のなさを改めて思い知りながら、自分が主人公ではないことに絶望して、ただただ電車を見送る。その狭間、線路の上に飛び出してしまいたい思いにかられながら白線から出ることも出来ずに時間だけが過ぎていく。
そんな世界を変えたのが莉子の世界の主人公だった。
いきなり腕を掴んだ彼女は「大丈夫?」と顔を覗き込んできた。自分を見つけることが出来る人間が存在していたことに驚きながら「電車に乗れないの?」と尋ねられてどうにか頷く。彼女はそのまま莉子の手を取って先頭車両まで行く。そこは女性専用車で、他の車輛よりは少し余裕があった。威圧的な男もいなく、彼女に導かれるままどうにか電車に乗り込み、守られるように目的の駅まで送ってもらった。同じ高校の試験を受けに来ていた彼女は校門の前で友人たちに「ケイ!」と呼び止められて笑顔で手を振っていた。莉子はその瞬間に我に返って駆け出した。彼女から距離をとり、その変革に巻き込まれないために。
くやしい、くやしい、くやしい!抱いていたのは敗北感と無力感だった。涙が溢れてきて、度が入っていない眼鏡を地面に投げ捨てて踏みつけた。髪を掻きむしるように解いて荒れ狂いながら、突然現れた主人公におぞましいほどの敵愾心を抱く。それと同時に、薄暗い希望を見出していた。あの女を完膚無きまでに越えて勝ち続ければ、自分は主人公になれるかもしれない。幼い頃見た、アニメのヒーローのように。
※
気管が破裂しそうなほど苦しい。酸素が足りなくて眩暈が起こっている中、どうにか憎いあの女に勝てたことを確信して莉子は苦しみを隠すように悠然と歩き出す。何事も無かったかのように列に戻り、涼しい顔で髪を直す。あと数メートル長かったら負けていたかもしれない。秋には長距離走がある。その時までに持久力を付けて、長い距離でも彼女に負けないようにしないといけない。夏休みの間に専門の講師を呼んで、特訓して、それから。
期末試験でもあの女はあっさりと五位に入っていた。今まで血の滲むような勉強をしてきた自分を嘲笑うように、頑張ってみようという気持ちだけでランク外から五位へと。毎日の勉強量も増やさねばならないだろう。そんなことを黙々と考えていると、先程まで地べたに転がっていた景が呼吸を整え、涼しい顔で隣に並んだ。整列順だが不快になってそっぽを向く。だが、彼女は気に留めることなく小声で話しかけてくる。
「後で連絡先を教えてよ」
「嫌」
「夏休み、遊ぼう。祐司も連れてくるから」
「は?」
言っている言葉の一つも理解出来ずに思わず彼女に目を向けてしまう。その女はあろうことか満面の笑みのまま、「友達になろう」と言い放ってきた。なにがそうなってどうなった?一瞬で思考が停止する。
「私たち、友達になれると思う」
この女はどこまで此方の神経を逆撫ですれば気が済むのだろうか。先日の、靴紐の事件もそうだ。どれだけ敵意と悪意を向けても涼しい顔で、当然のように善を働く。その度に、自分が主人公でないことと、この女が主人公であることを思い知る。
「絶対に無理!」
脛に向かって蹴りを放つが、「危な」と言いながら避けられる。その隙を突いて平手打ち。当たった手のひらが痛すぎて、どちらが攻撃されたのか分からない。踵を返して校舎へ向かう。思わぬ攻撃にパニックになりながら。まるでアニメのラスト五分のようだ。主人公に負けた悪の組織が去っていく。また負けた。また負けてしまった!次は勝つ。絶対に、最後に勝って、主人公になるのは私なんだから!
主人公は世界にひとり みなみ @owen_k
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