主人公は世界にひとり
みなみ
Side:K
「ケイ、思ったよりも頭良かったのね」
登校してくる生徒たちの合間を縫ってようやく至った掲示板の前。そこで鉢合わせた幼なじみに不躾なことを言われた景は試験結果に目を移す。よもやまさかという思いで各学年ごと、五十位までが張り出されている期末試験の結果を下の方から確認していった。上から見ていけば一瞬で終わる作業でありながら。時間をかけて二つの名前を探していった先、四位の欄に自分の名前を見つけ、もう一人の名前が一番上に掲げられているのを習慣的な落胆と共に確かめた。
「今回はかなり頑張ったんだけどなあ。ふみかは何位だったの?」
「嘘でしょ?眼中に無いってか?あんたの想い人のすぐ下」
呆れたような言葉を受けて、憎い女の名前から下方へ視線を移すと、幼稚園から見慣れている幼なじみの名前が。
「ふみかなら莉子に勝てると思ったのになあ」
「自分と城山さんの名前しか認識してなかったくせに」
「そんなことない!莉子の想い人、かっこ仮の名前は確認した」
「ああ、田代くん?五位か」
「祐司に勝っても何の得にもならない」
「おい」
自分とふみかの会話に割り込んでくる男の声に肩を揺らしながら「祐司、いつからそこに?」というありきたりな台詞を口にしてしまった。彼は「おまえの失礼な発言が聞こえたんだよ」と返答する。その前の小声での会話は聞かれていないと踏んで安堵した。
小学校低学年からの付き合いであるこの男は生粋の王子様で、中学、高校と年齢を重ねる毎にその輝きを増している。景は自分を目の仇にする城山莉子がこの田代祐司に懸想をしているのだと踏んでいた。サッカー部のエース、毎回学年の十位以内に入る秀才、生徒会副会長、端麗な容姿、明るく親しみやすく女子にも優しい、完璧な男だ。こいつはおそらく人生五十回目なのだろう。城山莉子ほどの女を夢中にさせるとんでもない化け物だ。
「二点差かよ……ケイが点をとりに来るんだったらもっときちんと勉強しておけばよかった」
「祐司の負け惜しみがこんなにも嬉しくない」
「おまえ……」
「無駄よ、田代くん。ケイは城山さんのことしか頭にないんだから」
「莉子が私のことしか頭にないの!」
ムキになって声を荒げた瞬間に一限目の予鈴が鳴り響く。いつの間にか人が引いていくのに合わせて、三人もそれぞれの教室へ向かった。景はひとり、重い足取りで自分の所属する組の教室に入る。黒板に向かって一番後ろの、窓際の隣の席。与えられたそのポジションについて隣の女を盗み見る。きっと、涼しい顔で本を読んでいる彼女のために教室の窓が少し開かれ、太陽は光を地上に注いでいる。カーテンが白に近いクリーム色なのも彼女の肌の白さをよりいっそう際立たせるためだろうし、吹き込む風も彼女の香りを教室中に広げて人々を彼女の虜にするために流動している。
学年首席どころか全教科で満点を取って見せた彼女はそれが当然だとでも言うように澄まし顔だ。景は、この女に目の仇にされているのである。およそ、順位がつくものにおいて、彼女は毎回景の上を行く。それだけならまだしも、明らかな敵愾心を見せてくるのである。動物を虜にして慈悲や愛しか囁かなそうな形の良い唇で、聞いたこともないような嫌味をぶつけてくるのだから最初の内は度肝を抜かれてしまった。
彼女とは高校生になって初めて知りあった。何もかもで自分に勝っているのに、どうして自分を敵視するのか。思いきりのよい景は彼女に直接その疑問をぶつけたことがあるが、取り付く島がなかった。どころか、「あなたみたいな羽虫をこの私が敵視ですって?自信過剰なのも大概にしたら?」などという盛大な悪口まで添えられてしまった。
推察は繰り返され、今は田代祐司のことが好きで、祐司と仲の良い景が目障りだから、という結論に至っている。少し前に、とある男子が彼女によって籠絡され、告白してもいないのに景を振りに来るという事件があったのが大きかった。実際、景はその男子を全く意識していなかったのだが、噂が噂を呼び、それが莉子の耳に入って勘違いされたらしい。珍しく話しかけてきた莉子が体を寄せて「あの男が好きなの?」と耳打ちしてきたことに驚きすぎて自分が何と答えたのか全く覚えていないが、莉子の中では筋が通ったらしい。「俺は城山さんのことが好きなんだ。だから、君の気持ちにはこたえられない」とほとんど知らない男子に言われたのがその次の日だった。そうしてまたその翌日に祐司に「おまえ、好きな奴いたのかよ!」と廊下の端から大声で叫ばれたのも記憶に新しい。莉子、莉子のせいである。全てのハプニングが。
とかく、そういう経緯によって景は莉子に敗北し続けている。学年首席の彼女に挑むつもりで勉強を頑張ってみたものの、やはり勝つには程遠かった。彼女の景への敵視は今や周知となり、皆はそれをエンターテインメントとすら捉えている。それもそのはずだ。あの女は、体育や球技大会では景が属したチームと違うチームに勝手に入り、挙げ句の果てには体育祭で景とは違うチームがいいという理由でふみかのクラスの一員になっていた。
そもそもなぜそんな横暴が許されるかというと彼女が可愛いからである。「どうしても白組がいいの。私とかわってくれる?」と頼まれたら、あのどぎつい性格のふみかでさえハチマキを渡してしまった。隣で赤いハチマキを巻いているふみかは達観したように「小悪魔みたいだったわ。ケイを売ってでも尽くそうと考えたくらい」と証言している。親友との友情が存外儚いことのついでに、景は改めて莉子の敵視が凄まじいことを思い知ったのである。
そんな、世の中全てを自分の味方に出来るような女がなぜ羽虫と呼ぶ自分をわざわざ滅多刺しにして一位に執着するのか。祐司のことも、彼女が本気になれば籠絡くらいは容易いだろう。あえて景を叩きのめす方を選ぶやり方が分からないし気に食わない。実力を高め合うライバルは好きだが陰湿な敵は好きではない。幼稚園の頃から喧嘩をすることなどなかった景は初めて誰かを敵と認識した。だからこそ、彼女に勝ちたいと努力しているがどうにもうまくいかない。
四時限目、短距離走のタイム計測でスタートラインに立った景は、隣に立つ女子が莉子に「替わって」と言われて素直に従ったのに嘆息を漏らした。最早恒例だ。先生も注意することなく「頑張れ」などと無責任に応援している。位置について、ようい。そんなかけ声のなか、意識を集中する。得意な運動では彼女に負けたくない。だが、その意識がふと途切れる。スタートの合図が下されるほんとうの直前、景は莉子を抱きしめていた。他の二人が走り出していくなか、莉子は勢いを景によって全部吸い取られてしまった。あの状況下で、彼女が走り出すのを安全に止めるには体毎使うしかなかった。腕なんて掴んだら脱臼しかねないので致し方ない。平手打ちでもされる覚悟だったが、莉子はパニックになったように暴れたためその場に二人で倒れ込んでしまう。
「なに!?」
「靴紐!」
「は?!」
「靴紐解けてる!」
「はあ!?」
暴れる莉子と呆気にとられる周囲。彼女はようやく足に目を移し、自分の靴紐が解けているのに気付いた。そうしてなぜかいたく矜持を傷つけられたように景を睨みつけてその顎目掛けて手を繰り出した。
「痛……!莉子、落ち着いて」
「落ち着いてるわよ!あなたを殺してやろうっていうくらいには冷静だわ!」
それは全く冷静ではない。取っ組み合いの中、両手を押さえ込んでようやく動きを留めた景は、見下ろす先で莉子が涙目になっているのを目視する。そうして、気付いたことがある。次の瞬間には彼女の膝が鳩尾に入って転がるように退かされ、ついた土埃を払いながら立ち上がった莉子がスタスタと校舎へ向かって歩いていってしまう。あいつ、的確に急所を。結局その日、莉子は後の授業をサボった。勝負はお預けだ。
※
「莉子は悪の幹部じゃないことに気付いた」
こいつはまた頭の可笑しいことを言い始めた、というようにふみかは嘆息を漏らす。彼女が所属する文芸部の部室に飛び込んで開口一番そう言い放った景は「だから無理じゃないことに気付いた」と続ける。突拍子のない言葉の連続にふみかが「そう、よかったね」とおざなりな返答をする。おざなりである、ということにすら気付いていない景は確信めいた頷きをした後に莉子のことを思う。完璧超人で人造人間のようで、一切の隙がなく、この世の悪徳すべてを詰め込んだような最低な悪の化身だと思っていた彼女はきちんと、涙が溢れる人間だったのである。であるならば、無理ではないのである。景は勝負の方向性を変えた。この方法で、必ず彼女に勝利してみせる。
「見てて、最後は私が勝つから」
「あんたは自分が勝つまでゲームを止めない横暴人間なだけでしょ」
幼なじみの言葉は馬耳東風。小さい頃見たアニメの主人公の言葉は正しいのだと景は改めて確信していた。
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