最終選考

関根パン

最終選考





   外





 校舎の前まで歩いてくると、扉に掲示が貼られていた。



『シュトロームの災難・最終選考の参加者は、小講堂Bへ』



 私は掲示を睨みつけると、大きく深呼吸をして決意を固めた。


 絶対に、


 どんなことをしても絶対に、私が合格する。





   A





 ミズキは大学に通ったことがない。今回のように、大学の一室を借りてのオーディションでもなければ、足を踏み入れることはなかっただろう。


 掲示で指示された小講堂の前にある廊下には、ミズキを入れて七人の女性が集まっていた。特に目立つ装いではない私服の者もいれば、料理人や警備員など、特定の職業を思わせる格好をした者もいる。ミズキは前者であった。


 ――絶対に合格するんだ。


 ――ここにいる全員を蹴落として、合格してやるんだから。


 全員が同じようにお互いを倒すべき敵と認識しているのか、私語を交わす者はいなかった。まばらに距離を取り、それぞれが開始時間を待っている。


 開始時間の十分ほど前になって、スーツを着た女性がヒールを鳴らしながら歩いてきた。手には黒いファイルを持っている。


「みなさん。今日はマユズミ・シンペイ演出による公演『シュトロームの災難』の最終選考にお集まり頂き、ありがとうございます。オーディションの内容については、事前にメールでご連絡していますが、私から改めて説明させていただきます」


 スーツの女性は流れるような調子で続けた。


「みなさんにはこれから、他の参加者と対話をして頂きます。そしてその間、まったく違う自分を演じ切ってください。演じる対象は問いません。本来のあなたと異なる人物であれば結構です。『他の参加者に対して、どれだけその対象になりきれるか』を評価させていただきます」


 それは、事前に告知されていたとおりの内容だった。


 マユズミ・シンペイは、オーディションの際に変わった趣向を設けることで知られている。今回も、劇中の役柄とはまったく関係のない内容だった。役に合っているかどうかよりも、どんな個性を持った演者かを知ることに重点を置いているという。


「試験は、このあと中に移動して行います。その前に、評価の基準にしなくてはなりませんので、みなさん自身の自己紹介と、どんな人物を演じるのか、こちらで先に聞いておきたいと思います。比較しなければ評価できませんからね。えーと……」


 スーツの女性は、廊下に並ぶ様々な格好の面々を眺め回してから、ファイルに目を落として言った。


「これでは、応募の時に提出していただいた写真との照合は難しいですね。うん。右側の方から、自己紹介をお願いします」


 左端にいたミズキはしめたと思った。自己紹介の順番が回ってくるのは最後だ。他の候補者の様子を見ることができる。


 スーツの女性に促されて、右端の女性が姿勢を正した。黒い眼鏡をかけて白衣を着ており、研究者のようないで立ちだった。


「アイザワ・ランです。年は十九歳です。城和大学の文学部に通いながら、劇団に所属しています」


 スーツの女性は確認するようにファイルをパラパラとめくって、やがて手を止めた。


「アイザワさんですね。今日、演じるのはどんな役ですか」


「大学院で生化学の研究をしている女性、いわゆるリケジョです」


 眼鏡に白衣の女性は、見た目通りの役柄を宣言した。


「どのような人物ですか?」


「研究にしか興味はなく、自分よりも頭の悪い人間を見下しています。また、女性の研究者ということで、色眼鏡で見られることを極端に嫌っています」


 単に職業になりきるのではなく、明確な人物像も求められるらしい。さすがは最終選考に残るほどの猛者。咄嗟の質問にも、よどみなく答えていた。


 スーツの女性はファイルに書き込みをすると、再び顔を上げた。


「ありがとう、アイザワさん。それでは、隣の方」


 同じようにして、自己紹介は続いた。


 最終候補者は大学生が多かった。中には高校生もいる。ほとんどは、演劇部や劇団で演技の経験を持っていた。ミズキのように演技経験のない、二十代後半のフリーターはいない。


 ――絶対に……。


 ミズキは途端に不安になってきた。さっきは順番が最後でしめたと思ったが、他の候補者の自己紹介がなされるたびに、不安が増していく。これなら、最初の方がまだ自信を持って名乗ることができた。


 ――わたしなんかが来るべきじゃなかったんだ……。


 地元の高校を卒業後、情報系の専門学校に通ったはいいが、その後、就職した会社が肌に合わずすぐに退職。


 それからは、コンビニや事務のバイトを転々とした。特にやりたいこともない中、次のバイト先を探している時に見つけたのがこのオーディションの募集だった。


 演技の経験といえば、幼稚園の時の「白雪姫」のお遊戯会くらいしかない。しかし、そのお遊戯会で魔女を演じたことがとても楽しかったし、友達やお母さんや、友達のお母さんが褒めてくれた思い出だけは確かにあった。


 どうせしたいこともないのだから、試しに受けてみよう。そう思ってエントリーしたところ、一次審査、二次審査と進み、気づけば最終審査にコマを進めていた。


 ひょっとしたら、自分には演技の才能があったのかもしれない。ここで人生が一気に変わるかもしれない。きっとそうだ。


 そんな期待を胸に今日の日を迎えたミズキであったが、


 ――やっぱり、夢だったのかな……。


 ――演技プランも変だし……。


 ミズキは「卑弥呼の魂が取り憑いた女性」という演技プランを用意していた。取り憑いたのは普通の現代人なので、特別な格好もメイクもしていない。ファストファッションのセーターに、着古した丈の長いスカートである。演技力で卑弥呼に見せることができればそれでいいと思っていた。


 しかし、考えてみれば格好から入った方がその役柄に見せるのは簡単だ。服を纏うことで気持ちも作りやすい。


 それに、他の参加者はミズキほど非現実的な役柄は用意していなかった。高慢な研究者、見習いの料理人、ドジな警備員、悪徳弁護士、二面性のあるメイド喫茶の店員、創作的ではあるものの、あくまで現実の範疇に収まっている。


 ――わたしだけ、趣旨を取り違えたんだ……。


 ミズキは後悔した。何者かに「なりきる」なら特異な存在の方が高い評価をもらえるはず。その一点で決めた選択が卑弥呼だった。最終選考の説明にあった「他の参加者に対して、どれだけその対象に『なりきれるか』」という文言にこだわりすぎたのだ。


 ――ん、他の参加者に対して……?


 ――ひょっとして……。


 ミズキの隣にいた「同性からの人気が高いパンクバンドのドラム」を演じると言った女性が、自己紹介を終えた。ファイルに情報を書き込んでいたスーツの女性が、ミズキに向き直る。


「それじゃあ、最後の方。自己紹介と、何を演じるか教えてくださいますか」


 問われたミズキは、しかめっつらをして答えた。


「演じるとはなんじゃ」


 異様な声音と台詞に、場の空気が一変する。


「ぬしらが何者で、ここがどこなのかはわからぬが、わらわは誰の指図も受けぬ。なぜならば、わらわが王であるからじゃ」


 はじめ、他の参加者たちは呆気に取られていたが、やがてその意図に気づき、しまったという表情に変わった。


 ――ふふ、今更後悔しても遅いよ。


 ミズキは気づいたのだ。この最終選考は「他の参加者に対して、どれだけその対象になりきれるか」を評価するものだ。そして、ここにはすでに「他の参加者」がいる。


 つまり、のこのこと自分から素性をばらしてしまったら、その時点で別の存在になりきることはできなくなってしまうのだ。


 ――そう……。


 ――すでに最終選考は始まっていたのよ!


 マユズミ・シンペイは、奇抜な選考を行うことで知られている。このスーツの女性による質疑は、トラップであるに違いない。


 パチ、パチ、パチと、両の手を打つ音が廊下に響いた。


「おめでとう」


 拍手と賛辞の主は、スーツの女性であった。ニコリと微笑むと彼女は言った。


「合格者はあなただけよ。ここで少々お待ちください。マユズミを呼んできます。他の方はもうお帰り頂いて結構です」


 ミズキはガッツポーズをしそうになる手をこらえ、しかめっつらを保った。


 なぜなら、まだこの場には他の参加者がいる。その間は、卑弥呼が取り憑いた女でいなければならない。


 ――ふふふ。よくやった! わたし!


 ミズキはこれから劇的に変わるであろう人生を思い、胸が高鳴るのを感じた。


 



   B





 私は、小講堂Bの扉の前に立った。


 想定外のこともあって一瞬ヒヤリとしたけれど、なんとか思い通りになりそうだ。私は呼吸を整えて、扉をノックした。


「はい、どうぞ」


 声がかかり中に入ると、二人の男がいた。公演のチラシで見たことがある。一人は演出家のマユズミ・シンペイ、もう一人は脚本家だ。


 私は口を開いた。


「遅れてしまって、申し訳ありません。本日のオーディションに参加します、イノウラ・ヨウコです。よろしくお願いします」


 マユズミは不可解な顔をして言った。


「はい、よろしくお願いします……。あのー、すみません。ここへ来たのはあなたが一人目なのですが、他の参加者の方を見ませんでしたか?」


「さあ」


「そうですか、電車でも遅れてるのかな……。まあ、そのうち来るか」


 マユズミはそう言ったが、他の参加者はここへ来るはずがない。なぜなら、指定の時間より早くに来た私が偽の貼り紙をして、もう一つの小講堂へ誘導したからだ。


 そして、一人を除いてもう帰ったはずだ。その一人も来ることのない迎えを待っている。ここへは来ない。


 マユズミは資料に目を通しながら口を開いた。


「それでは先に説明だけ。えー、告知した通り、今日の最終選考では他の参加者と対話をして頂きます。その間、まったく違う自分を演じ切ってください。演じる対象は問いません。本来のあなたと異なる人物であれば結構。『他の参加者に対して、どれだけその対象になりきれるか』を評価します」


 そんなことは重々わかっている。


 さっき自分で「他の参加者」に説明してやったくらいだ。


「で、あなたはどんな人物になりきるのか、聞かせてもらえますか?」


 私はそれらしく見えるよう、中に何も入っていない黒いファイルをしっかりと小脇に持ち直すと、堂々と役柄を答えた。


「私が演じるのはこの最終選考の係員です。そして選考は――もう終わりました」

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