幼なじみには勝てない

猫蚤

幼なじみには勝てない

 ある日の休み時間。窓際最後尾の自分の席で英語の単語カードをめくっていた俺の耳に、もはや聞き飽きた声が届いてきた。

由孝よしたか、なにやってんのー」

「見たらわかるだろ、テスト勉強だよ」

 中学二年生になって三度目の定期試験を一週間後に控えた教室では、俺以外にも机に向かっているクラスメイトたちの姿がちらほらとある。

「相変わらず真面目だねぇ」

志津子しづこ、他人事みたいに言ってるけど、お前も少しは勉強したらどうだ?」

 単語カードから顔を上げないまま言うと、彼女はぐにゃりと俺の机に上半身を預けてきた。

「邪魔なんだけど」

「ええー、由孝つめたいー。それが幼なじみに対する態度かねー?」

「ただの腐れ縁だろ」

 短く言い放つ俺に、志津子はがばりと顔を上げた。

「幼稚園からずっと同じクラスなんだよ? すごくない? このまま高校卒業するまで同じクラスだったりして!」

「お前、俺と同じ高校に行けるつもりでいるのか?」

「なにおう、失礼な! あたしだって本気出せば余裕だもんねー」

 さほど気を悪くした様子もなくそんなことを言う自称幼なじみに、俺は半眼を向ける。

「あのな、試験はゲームと違って裏技とかないんだぞ? 地道なレベル上げが必要なわけ」

 ゲーム好きの志津子への当てつけのつもりだったが、なぜか彼女はふふんと鼻を鳴らす。

「毎回あたしにゲームで勝てないのそんなに気にしてたの?」

「正々堂々やれば俺だって勝てるわ。いっつもお前が俺の知らない裏技だとか、隠しコマンドとか使うからだろ」

 こいつは、ゲームで勝つためならば手段を選ばない。ゲーム内だけならまだしも、盤外戦術を仕掛けてくることもしばしばある。

「とにかく、その情熱をちょっとでも勉強に向けてみろよ。お前、別に頭悪くないんだから」

 実際、中学一年生の中頃くらいまでは、志津子の成績はそれほど悪くなかった。ただ、少しずつテストの難易度が上ってきて、テスト前の復習を全くしないままでは点数を獲るのが難しくなったというだけだ。

「え? もしかしてあたし、褒められてる?」

「褒めてない」

 俺の一言に、ぷくりと頬を膨らませて抗議の意を示していた志津子は、唐突にその大きな瞳を輝かせながら口を開いた。

「じゃあさ、次のテストで勝負しようよ! あたしが勝ったら駅前のケーキバイキング奢りね!」

「次のテストって一週間後だぞ。さすがに時間がなさ過ぎるだろ」

「大丈夫、だいじょうぶ。あたしの本気を見せてあげる!」

 志津子が薄い胸を張りながらそう言ったところで、授業の開始の鐘が鳴る。

「じゃ、そういうことだから!」

 意気揚々と言って前方に向き直る彼女を見ながら、それでちょっとでもこいつが真面目に勉強するならいいか、と俺は考えていた。



 それから一週間、志津子しづこの様子は特に変わったようには見えなかったが、事あるごとに『ケーキバイキング楽しみだな~』などと煽ってきていたのを見ると、それなりに準備はしているようだった。

 そんなわけで、試験当日。

 本日最初の試験科目である国語の問題用紙と解答用紙が、一番前の座席の生徒に配られた。

 それらが前から順番に回ってくるのを待ちながら、俺は黒板に記された試験のタイムテーブルをぼんやりと眺めていた。うちの中学校の中間試験では、国英理社数の五教科を二日間に分けて実施される。今日は国語、理科、社会の三教科が、一から三限目にかけて行われる予定だ。

 隣の生徒の元に試験用紙が到着し、そろそろ俺にも回ってくるかと前の席の志津子に視線を移すと、ちょうど一つ前の席から紙の束を受け取ったところだった。

 それを確認し、俺はフライング気味に右手を前に出す。

 しかし、五秒ほど待っても右手は虚空を掴んだままだった。

「おい、志津子……?」

 不審に思って小声で言うと、彼女はぴくりと体を震わせてから、慌てた様子で用紙を回してくる。

 なんなんだ。

 受け取った問題用紙に目を落とすと、端の方に謎の数字が書かれているのを発見した。


 13 1 12 5


 なんだこれ……?

 首を傾げながら視線を上げると、こちらを伺うように見ていた志津子と目が合い――その口元がニヤリと歪んだ。

 ああ、そういうことか。

 彼女の態度で全てを察した俺は、暗号めいた数字の羅列を見つめながら、小さなため息をついた。

 国語は俺の得意教科であり、志津子にとっては不得意教科だ。少しでも妨害して差を縮めようという魂胆か。まったく。

 そうと分かれば焦ることはない。あいつの性格を考えれば、この程度の奇策は織り込み済みだ。

 消しゴムでごしごしと数字を消し、気持ちを切り替える。ざっと問題用紙に目を通して他に異常がないことを確かめてから、俺は解答用紙の氏名欄に名前を書き込んだ。

 それから数十分かけて、解答を半分ほど埋める。やはり回を追うごとに試験のレベルが上がっていることもあって、志津子の妨害を抜きにしても今までより時間がかかっていた。

 長めの記述問題に差し掛かったあたりで、俺の耳に「ん〜」という小さなうめき声のようなものが飛び込んでくる。志津子の声だと気づいて視線を上げると、彼女は緩慢な動きで体を伸ばしたあと、解答用紙を裏返して机の上に置いた。

 もしかして裏面にも解答欄があるのか? そう思って確かめたが、白紙だった。

 え? ということは、もう解き終わったのか?

 そんなまさか。国語が得意な俺ですら、まだ半分しか解き終わってないのに。志津子がこんな速さで解き終わるわけがない。

 しかし、しばらく様子を見てみても、彼女は解答用紙を裏向きにしたまま動かない。心なしかその背中からは、堂々とした自信さえも伺える。テストまで一週間しかなかったとはいえ、勝負しようと言い出すくらいだ。さすがに普段よりは真剣に試験勉強をしたはずだし、もともと勉強ができないわけでもない。本当にもう全問解答し終えたのかもしれない。

 そんなことをつらつらと考えていたせいで、記述問題の解答がうまくまとまらない。

 だめだ。落ち着け。

 頭ではそう分かっていても、どうしても志津子の様子が気になってしまい、ちらちらと前の席を確認してしまう。なんとか文章をでっちあげて、急いで解答欄に書き込んでいく。

 そんなことを繰り返しているうちに、ついに志津子に動きがあった。もう一度軽く伸びをしてから、解答用紙を表に戻したのだ。

 やはりさっきまでの行動はブラフか。それにしては時間を無駄にし過ぎ――、いや、違う!

 志津子がどれほど時間を無駄にしたのかを確認しようと、教室前方の時計を見上げた俺は、自分の思い違いに気づいた。

 いつのまにか、試験終了まであと十分を切っている。

 これは、解答を再開したんじゃない。見直しだ!

 試験監督の先生に見咎められない範囲で、俺は他のクラスメイトの様子に目を配る。ほとんどの生徒が、答えを書き込むのをやめ、己の解答に書き間違いや問題の見間違いはないかの最終チェックに入っている(なかには、普段の志津子のように見直しすら諦めてぼーっとしている者もいるが)。

 まずい……。高速で問題を解き終えて解答用紙を裏返して見せたところから、いまになって見直しを始めたところまで、全て志津子の作戦……! まんまとハマった俺は、それを気にし過ぎてまだ最後の問題にすら達していない。

 それに気づいて、大急ぎで問題を追う。なんとか解答用紙をすべて埋めたところで、終了の鐘が鳴り響いた。

 周りの生徒達が解答用紙を前へ回していくのに合わせて、俺も用紙を志津子へ渡す。そのときに見えた彼女の得意気な顔に、俺は思わず目をそらした。



 正直、少し彼女を甘く見ていた。奴は勝つためならば手段を選ばない。まさかここまで手の混んだことをしてくるとは思わなかった。

 しかし、あちらがその気だと分かれば、こちらにもやりようがある。

 それ以降の科目では、開始前に問題用紙と解答用紙に異変が無いかを確認し、試験中の志津子しづこの行動は一切無視した。俺に同じ手は二度も通用しない。

 そうして、普段よりもずいぶん長く感じた試験期間が終了し、その週の金曜日には、すべての教科の採点が終わって返却されることになっていた。

「いや~、由孝よしたかくぅん、いまどんな気持ちぃ?」

 今週最後の国語の授業前、すっかり上機嫌な志津子が絡んでくる。

「ああ、最悪の気分だとでも言いえばいいのか?」

「いやーん、女の子にそんな態度だとモテないゾ!」

 うっぜえ……。

 こいつが男だったら顔面を張り倒しているところだが、なんとか理性で気持ちを抑える。

 そのうちに国語の先生がやってきて、テストを返却すると静かに告げた。

 出席番号順に答案を受け取っていくクラスメイトたちの流れに沿って、俺も教卓へと歩を進める。一足先に受け取った志津子は、俺に下手くそなウインクをしてから自分の席へと戻っていった。

 すべての教科が返却されてから結果発表しようということで、お互いのテストの点数はまだ分からないままだった。まあ、そんなことをしなくても、結果は分かっているのだが。

 ついに俺の順番がやってくる。淡々と答案を返却していた先生は、俺の顔と手元の紙を交互に見比べて、不思議そうな声を出した。

「どうした由孝、お前らしくない。次回は気をつけろよ」

 日頃の行いが良いからか、先生は叱るというよりも心配している様子でそう言って、俺に用紙を手渡す。

 浮かない気持ちで確認すると、解答用紙の右上には赤いペンで、『0』と記されていた。

「緊張してたのか知らないが、本番の受験でも無得点だからな」

 とぼとぼと席に戻ろうとする俺の背中に先生が声をかけるが、ほとんど聞いていなかった。俺の視線は、先に席に戻っていた志津子に釘付けになっていたからだ。

 それに気づいた彼女は、ごそごそと机の中を漁り、小さなシールのようなものを取り出して見せる。

 そこには、



 その週の日曜日、俺と志津子しづこは駅前のケーキバイキングの店を訪れていた。

 事前に会計を済ませるシステムらしく、すでに二人分の料金を払っている。

 志津子の奢りで。

「それにしても、いくら勝ちたいからってあそこまでやるかねぇ」

 山のように積み上げたケーキを次々と口に運んでいる志津子に、俺は心底呆れた声で言った。

 解答用紙の氏名欄に施された細工によって、俺の国語の点数は零点だったが、それ以外の四教科の総合得点で、志津子の五教科の点数を上回ったのだった。

「らって、ふつうにやっても、あたひが勝てるわけないじゃん!」

 口いっぱいにケーキを詰め込んでふごふごと話す志津子に、オレンジジュースのグラスを差し出す。それを受け取って一気に喉に流し込んでから、彼女はふん、と息を吐いた。お手本のような逆ギレだった。

「お前な、俺相手だったから良かったものの、普通だったら生徒指導室で説教もんの所業だぞ」

 それで済めばまだ良い方で、場合によっては停学くらいにはなったかもしれない。

由孝よしたか以外の人にあんなこと、しないもん……」

 このシチュエーションでそんなこと言われても嬉しくねえんだよ。

「ま、これに懲りたら真面目に勉強することだな」

「むぅ……、わかったよぉ」

 珍しく殊勝な顔をしてから、志津子は再びケーキを頬張る。それにしてもよく食うな。ヤケ食いってやつだろうか。

 しばらくケーキやタルトなどを堪能する様子を見ながらコーヒーを啜っていると、ふと思い出したかのように彼女はこちらに視線を向けた。

「そういえばさ、さすがにあの暗号は解けなかったでしょ?」

「ああ、あれか? すぐ解けたけど?」

「へ?」

「あんなの暗号の中じゃ初歩中の初歩だし。あと、それを抜きにしても、氏名欄に細工してある事にも気づいてた」

 はっきり言って、今回の志津子の策は詰めが甘かった。暗号だとか、変な挙動だとかで気を逸らそうとしたのだろうが、あの大きさのシールが貼られていれば、さすがに気づく。それに、いま思い返せば、国語以外の教科ではそこまで妨害は無かった。一番警戒心が薄いであろう初っ端の教科にすべてを賭けたらしい。

「ええっー? でもなんで気づいてたのにそのままにしといたの?」

 目を白黒させながら、志津子が訊ねる。

「それは、まあ……。俺が負けて、久しぶりに二人で出かけるのも悪くないかな、と思ってさ」

 俺の言葉に、彼女は一瞬ぽかんとしてから、頬を赤く染める。

「ふ、ふーん、そうなんだぁ。ま、まあそういうことなら仕方ないよねぇ」

「嘘だけどな」

「は? なによそれー!」

「そのハンデ込みでも勝てる自信があったからだよ。だからあんなことやられても許したんだ。だってお前、昔から徹底的に負かさないと負けを認めないじゃん」

 何かを言い返そうと口を開いた志津子はしかし、そのまま口をつぐむ。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 ここまで打ちのめせば、しばらくは俺の言うとおりにちゃんと勉強するだろう。

 なにせ、幼なじみと一緒の高校に行くためには、もう少し頑張ってもらわないといけないからな。

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