第26話 思わぬ訪問者
/要
「ひゃ……!?」
悲鳴といえば悲鳴――そんなものを上げて、私は思わず椅子から転げ落ちそうになった。
放課後になって。
何だかもう日課のように生徒会室へと顔を出したら、当然のように由羅がいて、生徒会のメンバーとわいわいやっていた。
それはいい。
さりげなく様態を尋ねたものの、どこから見ても彼女は元気一杯で、怪我の後遺症など微塵も感じなかった。
もっともそれは昨日も同じことだっから、少しも安心できない。
で。
紫堂くんと鈴木くんと由羅とで、何やらわいわいやってるところまでは良かった。
問題無い。
問題は、後からやって来た長谷先輩が連れてきた人物だった。
「さっき興信所から連絡もらってさ」
とか言って彼が紹介した二人組を見て、私は悲鳴を上げたわけである。
「あ、イリス……? どうしたのっ?」
反面嬉しそうに飛びついたのは由羅で、すぐさま表情を明るくした。
そう――長谷先輩に連れられてやってきたのは、どういうわけかイリスだったのだ。
そしてもう一人。
「ごめん。何か急だったんだけど、頼まれて」
イリスの隣に立つ二十代の青年――人の良さそうな顔をした大学院生は、彼女が一番大切にしている相手だ。
「い、
私は由羅の背に隠れつつ、彼の服を引っ張って引き寄せる。
和泉
詳しいことは知らないけど、愛想のいい人なので、話すことはよくあったりした。
「い、いきなりどうしてこんな所に……!?」
「何かイリスが茜に頼まれたらしくて」
のほほん、と答える和泉さん。
「た、頼まれた……?」
「うん、らしいよ。俺はさっきまで大学だったんだけど、終わったら付き合ってくれって彼女に言われて」
「そ、そうですか……」
茜がこっちを心配して頼んでくれたのだろう……うん。
でも、よりによってどうしてイリスなんだ。
そりゃあ茜とイリスが特に仲がいいのは知ってはいるが。
「相変わらず、イリスは苦手?」
「あ……う。その、申し訳ありませんわ……」
小声で聞いてくる和泉さんに、私はしゅんと小さくなって頷いた。
異端の巣窟である柴城興信所に出入りする変なのはたくさんいるが、その中で私が一番苦手としている相手が、実は彼女だったりするのである。
理由を一言で表すならば、怖いからだ。
とてもじゃないが、一人で面と向かって話せるような相手じゃない。
本当、何者なんだか……。
「別に気にしなくていいよ。茜だって、最初はそんなだったしね」
「……そうなんですの?」
「そうなんです」
茶化すように、和泉さんは頷く。
それは初耳、だな。
あの茜が、だなんて。
気を取り直し、改めて周囲を見渡すと、男どもの視線は明らかにイリスへと集まっていた。
……無理も無いか。
「あー……聞いていいかな」
さっきから物言いたげな長谷先輩が、私へとさりげなく耳打ちしてくる。
「あ、はい」
「あの子も……興信所の所員なの?」
「いえ、茜――九曜所長の個人的な知り合いですわ。イリスと和泉さんです」
「そうなんだ。にしても……うーん」
何やら考え込むかのように、先輩は腕組みした。
「これは一度、何が何でも興信所に行ってみないとな……」
「……なぜですの?」
「非常に気になるからだ」
「はあ」
まあ、分からないではない。
あっちでは鈴木くんが、イリスに完全に視線を奪われているし。
「先輩の想像は、あながち間違っていませんわ」
「やはり!」
何やら決心するかのように拳を固める長谷先輩を横目に、私はため息を一つ。
由羅も目立つけど、イリスもかなり目立つ容姿をしている。
由羅よりずっと濃い金髪に、紅い瞳。
そういえばこの色って、襟宮先輩のとそっくりだ。
偶然、かな。
とにかくイリスの容姿は整いすぎていて、これで注意を惹かない方がおかしい。
さっきから鈴木くんが呆然としてしまっているのも、よく分かる。
でも逆に、綺麗すぎて怖いってのもあるんだけどなあ……。
あの瞳で見られると、ぞくってきちゃうし。
でもあのまま成長したら、どれだけ美人になるんだろう……。
「よし紫堂、今度の休みはおれについて来い!」
「嫌です」
「ぬう、お前は美しいものを見たくないのか!」
「そういうものには棘があるとか何とか、そういうじゃないですか。一歩引いておいた方が身のためですよ」
あ、それ当たってる。
「情けないやつめ!」
「……まあ、そうかも」
何でそこで納得するんだろう、紫堂くんも。
とにもかくにも突然の珍客に生徒会室は、しばらくの間騒がしくなるのだった。
……はあ。
◇
「でも、イリスと裄也が来てくれて、ちょっと嬉しかった」
上機嫌な由羅は、校内を歩きながら隣のイリスへとそんな風に言う。
「そう?」
「だって色々大変だったんだもの。ね、要?」
「……そうなの?」
由羅はともかくイリスにも見返されて、ほとんど反射的に背筋が伸びてしまう。
由羅と私、イリスと和泉さんは生徒会室を出て、今は四人で校舎内を歩いていた。
「は、はい。それはもう……色々と」
「ふうん……。でも、確かに……」
イリスが何気なく由羅を見て、小首を傾げる。
「調子、悪そうだね。由羅」
「え?」
驚いたのは、由羅本人だった。
「そ、そう? けど私、別に全然平気……だけど?」
「平気なの? ふうん……」
あまり納得のいかない様子で、イリスはさらに由羅を眺めやった。
「でも、いつもより弱々しいよ」
「私が?」
「うん。何だか力が抜けているみたいで。まるで、裄也が風邪ひいている時みたい」
「で、でも……」
そんな指摘に由羅は困惑気味に、自分の身体を見回す。
「……彼女、何かあったのか?」
「え? ええ、まあ……あったといえばあったのですけれど」
和泉さんに聞かれて、私はちょっと迷ったものの昨夜までのことを話した。
彼は今日、イリスに付き合っただけでこの学校でのことを知らなかったので、結局一から説明することになった。
幽霊騒ぎのこと。
実際にそういう連中が現れたこと。
その最中、由羅が刺されたこと……。
聞き終えて、和泉さんは眉をひそめた。
「ずいぶん大事じゃないか」
「そう……かもしれませんわね」
「茜に聞いたより、大変そう?」
「うーん、そうかも」
由羅は呑気に答えるが、一番ひどい目にあっているのはあなたでしょうが。
「イリス、何か分かるかい?」
和泉さんに聞かれ、彼女は少し困ったように周囲を見渡した。
「なにも……。特に、変わったところはないし……」
「もう少し歩いてみない? 私がやられちゃった所って、ここじゃないから」
「うん」
「そうだな」
イリスと和泉さんが頷いて、とりあえず私の先導で案内することになった。
せっかくなので、現場検証をしてもらうことにする。
校舎の外に出て、私は由羅が最初の夜に刺された場所へと二人を案内した。
もちろん、ざっと見た限りでは何の痕跡も残ってはいない。
「……ここ?」
「は、はい」
私はこくこくと頷いて、数歩引いた。
イリスは現場に佇んで、しばらく黙って周囲を見渡している。
和泉さんはそれを黙って眺めていたが、そんな彼へと由羅が、こっそりと声をかけた。
「ねえ裄也。楓って……まだ見つかってないの?」
「ん、ああ。まだ」
聞かれて、和泉さんの表情が曇る。
「そう……」
「でも茜が、イリスに頼んだらしくてね。捜して欲しいって」
「え……? あ、茜が?」
「うん。俺からも頼んではいたんだけど、直接彼女に頼まれて、相当喜んでいたからな。イリスも本気で捜してくれるだろうし、そうなったら遠からず見つかるとは思うよ。よほど、楓がおかしな状況になっていない限りは」
「おかしな状況って……?」
「それは分からない。悲観はしてないけど、楽観もできないって気がしてね。一応凛にも頼んではあるんだが、彼女はなかなか腰を上げてくれないしなあ……」
仲も良くないしね、と苦笑する和泉さん。
「……裄也は捜さないの? 幼馴染なんでしょ?」
由羅の言葉に、和泉さんは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「出来る限りのことはしているよ。でも、俺は昔から捜しものが苦手でね。イリスの時なんかは、一年もかかったしなあ……」
「――裄也」
そこで、イリスから声がかかった。
「どうした?」
「少し、
「わかった」
何のことかは分からなかったが、和泉さんは首肯した。
彼が何をしたのかは分からないが、変化はあった。
「うわ」
最初に声を上げたのは由羅だった。
「すごい……」
「――――」
いくら鈍感な私でも、すぐに気づく。
存在感。
そうとしか言いようのないものが、急にイリスから感じられて……。
「あ……ぅ」
目眩がした。
「おっと」
倒れそうになる私を、すんでのところで和泉さんが支えてくれる。
「す、すみません……」
「いや、いいけど……なるほど、そうか」
「要、大丈夫?」
ちょっと驚いたように由羅も駆け寄ってくるが、私は大丈夫だと首を縦に振った。
「君は……もしかすると、もの凄く感覚に鋭敏なのかもしれないな」
「わたくしが、ですか……?」
「想像だけどね」
答えて、彼はイリスを見やる。
「君は今、彼女の存在にあてられたんだと思うよ。普段のイリスは……力と、存在の半分以上を封印されている。
「イリスが?」
驚いたように声を上げる由羅。
「うん。
千絲の封――聞いたことが、ある。
千年前、死神を封印したっていう大禁咒――
「なんでそんなことしてるの……?」
「普段は不必要な力だし、この封印があれば敢えて自分で力を抑えなくてもすむからって言っていたかな。あとはまあ……他にも理由があるらしいけど」
「もしかして……和泉さんが、その封印の管理、を……?」
「そう、なるかな」
そんな大層なものでもないけどね、とか和泉さんは付け加えたが、それってもの凄いことじゃないのだろうか。
つまり彼は、イリスの手綱を握っているようなもので……。
和泉さんは普通の人だと思っていたのに、これじゃあとても一般人じゃない。
「とにかく、彼女は普段は力を抑えている。それでも抑え切れていないものを、君は気づいていたわけだ。彼女の怖さを。これはきっと、君の感覚が優れている証拠だよ」
「怖さって……その、和泉さんも、そう思ったりするんですの……?」
「イリスは決して優しい存在じゃないからな」
だから怖いと思うのは当然だと、そう言われて。
それでも怖がらずにいられるのが強さならば、やっぱり私は弱いのだと思ってしまう。
それにしても。
「でも、だからといってわたくしの感覚が鋭敏などと……?」
にわかには信じられないことだった。
どう見ても自分の感覚など大したことはなくて、由羅と比べようものなら雲泥の差があるのに。
「普段隠れているイリスの存在に気づけていること。それに今なんかは、急に大きくなった彼女の気にあてられたしね。もし自覚がないのだとしたら……」
そこで和泉さんは少し考え込み、指を三本掲げてみせた。
「何らかの理由で恒常的にフィルターがかけられているか、もしくは君自身が自分の力を信じていないか」
「あと一つは?」
「俺の勘違い」
「きっと三番目ですわ」
私は苦笑した。
そうに違いない。
私にはこれといった才能など、何も無かったのだから。
「うーん、そうかなあ」
「いえ、きっとそうです」
「ま、俺も専門家じゃないからわからないけどね」
和泉さんはそう言うと、戻ってきたイリスへと振り返った。
「どうだった?」
「うん……。もしかすると、結界のようなものがあるかもしれない」
「結界?」
「裄也、結界には詳しかったでしょう? 何か、分からない……?」
「と言われてもね」
困ったように、和泉さんは腕を組む。
「何も感じないしなあ」
「……だめ?」
「悪いけど、役に立ちそうにないな俺は」
「そう」
特に落胆した様子もなく、イリスは再び周囲へと頭を巡らした。
しばらくの間、沈黙が続いて。
「――――」
不意に、イリスが振り向く。
彼女の視線は、ここから一番遠い校舎の屋上へと注がれていた。
「ど、どうしたの?」
由羅の問いに、イリスは無言のまま首を横に振った。
「見られている気がしたの。でも、もういない……」
「……誰か生徒じゃないの?」
「普通の人間が見ていたのなら、わたしが見失うはずがないよ。絶対に、とは言えないけれど、何か変……」
「確認しようか?」
「いい。それよりもう少し、中を歩いてみていい?」
「あ、うん。構わないから。ね? 要」
「え――あ、はい。もちろんですわ」
私は慌てて頷いて。
小一時間ほど、イリスの接待に恐縮しまくるのであった。
……はあ。
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