第27話 今夜の方針


     /


「……見られた、かもな?」


 少しばつの悪そうな顔になって、少女はわずかに舌の先を見せた。


「馬鹿なことをするなといつも言っているだろう。この馬鹿が」


 彼女のすぐ傍にいた少年が、不機嫌そうに吐き捨てる。


「ふん、保護者面か?」

「ああ、そうだよ。お前のような手のかかる奴は、見たことがない」

「では充分に面倒を見るんだな。甲斐があるだろう」

「……お前は」


 少年のいらついた声音などまったく意に介した様子も無く、少女は屋上に吹き付ける風から逃れるように、壁へと身を預けた。

 そんな少女へと、視線を向けるわけでもなく、彼はつぶやくように口を開く。


「……嗅ぎつかれたのかと思ったが、違うようだな」

「当然だ。ヘマはしない」

「お前が言うな。しかし……あれが死神か」


 この生意気な女を瀕死の重傷にまで追いやった相手。

 どんな奴かと思っていたが、まさかあんな小娘だったとは。


「まあ、こいつも小娘にしか見えないが」

「坊やのくせに何を言う」

「黙れ馬鹿女」


 軽口に付き合う気も無く、少年はあの少女のことを思い起こす。

 確かに外見は小娘にすぎなかったが、尋常でない相手であることだけは、さすがに知れた。

 最遠寺要が妙に恐れていたが、その反応も分からないではない。


「……とにかくお前は、これ以上目立ったことをするな」

「だが助かっただろう? 結果的に予定が一ヶ月も早まったのだからな」

「助かってなどいない。おかげでろくな準備もできなかった」

「しかしひじりは喜んでいたぞ?」

「…………」


 少女の得意そうな言葉に、少年は押し黙る。


「……副作用はないのか」

「ふん?」


 小馬鹿にするかのように鼻をならされて、彼は少女を睨んだ。

 睨んだところで動じる相手でもなかったが。


「甘いな。利用すると決めたのだろう? 何を心配する」

「当然だ。計画に支障をきたすようなイレギュラーには警戒する」

「ならばいいがな」


 少女の少しもそうは思っていないという口振りに、少年はあえて反論しなかった。

 この女と言葉の売り買いをしていても始まらない。


「ともかく、今夜は月が真円を描く日。多少急ではあるが、許容範囲内だろう? わたしとの契約を果たせよ」


 少女がこっちを見る。

 普段とは違い、感情を見せない表情。


「わかっている」


 ただそうとだけ、彼は答えた。


     /要


「ごめんね。役に立てなくて」


 帰り際、校門にて振り返ったイリスは、申し訳なさそうに言った。


「ううん、そんなことないから」


 由羅が首を横に振り、その通りだと私も頷く。


「今日は帰るけど、何かあったらいつでも手伝いに行くから。頑張ってね」


 イリスはそう言うと、和泉さんと一緒に帰っていった。

 その姿が見えなくなってから、私は疲れたように息を吐き出す。


 ……実際、とても疲れました……。


「……要?」


 きょとん、となる由羅。


「どうしたの?」

「……気疲れしただけですわ」

「気疲れ? なんで?」


 それはもう、私がイリス相手にびびっていたからだ。

 とはいえそんなことを言うわけにもいかなかったので、適当に誤魔化しておく。


「色々ですわ。ともかくへとへとです」

「う~?」


 彼女は首を捻っていたが、気にせず話を変えることにした。


「由羅、お話がありますわ」

「え、なに?」

「今夜のことですが、一度事務所に戻りましょう」

「え……?」


 予想だにしなかった言葉だったのか、由羅は一瞬目を丸くする。


「なに、それって……帰るってこと?」

「もちろん、明日は登校しますわ。しかし今夜はいったん、この学校を離れるつもりです」

「どうして? 今夜は調査しないの?」


 少し不満そうに、由羅は唇を尖らせた。

 これは予想通りの反応である。

 さて……。


「一度、茜にこれまでのこと報告する必要があると感じましたので」


 本音を言えば、由羅の様態を診てもらうためだった。

 しかしそれを告げたところで、彼女が納得するとは思えない。

 むしろ由羅の性格ならば、大丈夫だと言い張るだろう。


「……そんなの、いつも電話でしてるじゃない」

「直に伝えたいこともありますので」

「なに、それ?」


 それこそ由羅のことだったが、もちろんそれは言わないでおく。


「紫堂くん――彼のことは分かりますわよね?」

「えと、会計のひと?」

「そうですわ。昨夜、わたくし達を助けていただいた方です」

「え、そうなの……?」


 やはり昨夜のことは覚えていないらしい。


「ええ。話を伺ったところ、どうやら彼は九曜の咒法士のようなのです。ある程度協力できそうな雰囲気ではあるんですが、現状ではお互い完全に信用できていません」

「九曜のって、つまり茜のところのってことでしょ? 真斗なんかと同じで」


 なのにどうして、と首を傾げる由羅。


「どうやらあなたが異端種であると、気づかれたようですの。あなたは茜の個人的な協力者であると説明はしましたが、それでもある程度距離を置かれるのは仕方ありませんわ。一方こちらとしても、彼の言葉の裏を取る必要がありますので」

「……もしかして、私って邪魔……?」

「え」


 突然そんなことを聞かれ、私は目を白黒させてしまった。


「だって……いきなり怪我とかしちゃったし、夜になるたび役に立ててないし、今だって疑われて……」


 しゅん、となる彼女に、慌てたのは私の方だった。


「いえ――その、そんなことはありませんわ。あまり馬鹿なことは言わないで下さいな。わたくしが茜に怒られます」

「だって」

「だってもくそもありませんわ! らしくもない、あなたは元気だけが取り得なのに、そんなのでどうするんですの!」


 思わず声を上げたら、恨めしそうな視線で見られてしまった。


「元気だけって、ひどい」


 あ。


「い、いえ今のはただの言葉のあやで――」

「うー」

「に、睨まないで下さいな。本当に、本気などではないのですから――」


 あたふたと釈明する私を見て、由羅は冗談とばかりにすぐに笑みを取り戻した。


「うふふー、ちょっと意地悪してみただけだから」

「あなたってひとはもう……」

「でもね、要。戻らなきゃいけない理由はわかるけど、できたら私は帰りたくないの」


 私がほっとしたのも束の間で、彼女は真顔に戻って本音を語ってくれた。


「なぜです?」

「私が迷惑かけているのは事実だし、まだ何も解決していないのに……真斗に合わす顔、ないもの」


 なるほど。

 やはり由羅にとって、桐生真斗という存在はよほど特別なのだろう。


 私が見る限り、彼女は外見とは裏腹に、泥まみれになるようなことを厭わない性格をしている。

 基本的に飾らないのだ。


 にも関わらず、彼の前ではその限りでなくなる。

 好意以上の感情があるからだろう。


 さてそれならどういう風に説得すべきかな、と思考を巡らし始めた時だった。


「――あ、いたいたお二人さん!」


 知った声が生徒玄関の方から聞こえてきて、振り返ってみれば、縁谷さんが走って駆けてくるところだった。


「――縁谷さん?」


 よほど全力で走ってきたのか、到着するなり彼女は肩で大きく息をする。


「長谷先輩に聞いたんだけど……すっごい可愛い美人の女の子が来てるって聞いて……それで……慌てて……」


 ぜえぜえと息をする縁谷さんを見て、思わず呆れてしまった。

 そういや彼女、貧血で休んでいたんじゃあ……?


「イリスなら帰ったよ」

「あう――そんな」


 由羅の言葉に愕然となる縁谷さん。


「ほんのさっき、ですけれどね。……それより、体調が優れないのではなかったんじゃありませんの?」

「あ、うん。朝はね。よくあるの。でももう治ったから、ちょっと顔出しておこうかなって。どうせ寮生だしね」


 どうやらじっとしていられない性格らしい。

 本当に、見かけとは違うなあ……。


「でも――そっか、帰っちゃったんだ。長谷先輩がめろめろになってたから、どんな子か絶対見なくちゃって思ってたんだけど……仕方ないか。まあいいや。――それよりこれから私の部屋に来ない? 宿題出たらしいから、教えて欲しいの」

「これから、ですか?」

「うん」


 少し困ってしまった。

 昨日までならば問題なかったのだけど、今日に限っては帰るつもりでいたからだ。


 明日も登校する以上、帰るのならば早く帰って、由羅のことを診てもらいたいのに。

 どうしたものかな、と思ったところで。


「今日は帰るの」


 出し抜けに、由羅がそう告げた。


「え? 帰るって……」

「要の家。私もちょっと体調崩して半日休んでいたから。大事をとって、帰らしてもらうことになったの」


 まさか彼女が率先してそんなことを言うとは思っていなかったので、私は驚いてしまって口を挟めずにいた。


 それにしても……何だか由羅の声が、心なしか冷たい気がする。

 それこそらしくない、というか。


「だから今日は駄目」

「そう……なんだ。ごめんね、無理言って」

「いえ。こちらこそ申し訳ありませんわ。お役に立てなくて」


 とりあえず、ここは由羅に合わせておくことにした。


「要、荷物取りに行こう。もう帰るんでしょ?」

「え、あ――はい」

「そういうわけだから。またね、

「うん。ばいばい」


 足早に荷物のある寮へと戻ろうとする由羅を追いかけて、私は困惑したように問いかけた。


「……どうしたんですの? いきなり」

「帰るって言ったこと?」

「それも……ありますけれど」


 明らかに、由羅の縁谷さんに対する態度が妙だった。


「ねえ要――お願いがあるの」


 ずいぶん歩いたところで由羅は立ち止まり、真剣な表情で私へと言う。


「お願い?」

「うん。今夜も、この校舎に来たい」

「由羅……?」


 さっきは帰ると言って、今度はその逆を言う。

 分からなくなって、私は眉をひそめた。


「とりあえず、この学校からは出るの。私たちは帰ったと見せかけて、またこっそりと戻ってみたら……どうなると思う?」

「――――」


 なるほど。

 由羅の言わんとしていることは何となく理解できた。


 つまり、不意打ちだ。


「確かにそれで変化があるのか、試してみたい気はしますが」

「でしょ?」

「ですが、それでもやはり……」


 戻って由羅のことは診てもらいたかった。

 何をするにせよ、万全の態勢こそ必要だと思う。


「それにね、何となく、何となくなんだけれど……違和感のようなものの正体が、わかった気がしたから」

「それは本当に……?」

「だからそれも調べてみたくて。お願い――要。今日だけ私の我侭、聞いて欲しい」

「…………」


 正直、困ってしまった。

 由羅の言うことは分かる。

 しかしその彼女の体調こそ、心配でもある。


 しかしその一方で、彼女にこんな風にお願いされることなど、ほとんど無かった。

 聞いてあげたい気もする、が……。


 一分ほど考えた挙句、結局私は受け入れることにした。


「ただし、由羅。一つだけ約束を守って下さいな」

「え、うん。なに?」

「もし今夜も昨夜のように傷が開くようであれば、即時撤収することを、です。昨夜の二の舞はごめんですので」

「……うん、約束する」


 少し悩んだようにも見えたが、由羅はそれでいいと頷いた。


「よろしい。ではとっとと帰りましょう」

「そうだね。あ、でも事務所には戻らないでしょ……?」


 心配そうに、由羅が聞いてくる。

 紫堂くんの話からすれば、この学校がおかしくなるのは深夜の零時より。

 今から六時間以上も先のことなので、戻る余裕は充分にあるが、そもそも由羅はまだ帰りたくはないのだ。


「嫌なのでしょう?」

「嫌っていうか、もうちょっと待って欲しいっていうか……」


 まだ真斗とは顔を合わせたくない、か……。

 私が思うに彼はそんなことを少しも気にしないだろうけど、彼女が気になるんじゃ仕方ないなあ……。


「あの、由羅」

「なに?」

「由羅は、真斗のことが好きなんですの?」

「な、なな――なにいきなり?」


 目に見えて由羅が慌てた。

 ……図星っぽい。


「いえ……見ている限り、二人はそういう仲なのだとばかり思っていましたが、どうやらあなた自身がまだ立ち止まっているような感があったもので」

「なによう……。お昼にも鏡佳にそんなこと聞かれて、今度は要……?」

「?」


 鏡佳って。


「……襟宮先輩、のことですの?」

「うん、生徒会長」


 いつの間に彼女と接触してたんだ由羅は。


「それより、私が立ち止まってるって、どういうこと?」


 私の言葉が気になったのか、由羅が少し上目遣いになって尋ねてくる。

 こっちよりも背丈のある彼女が、何やら今はとても小さく見えた。


「ですから。彼に聞いたわけではありませんが、たぶんあなたのことを一番気にかけてますわよ、真斗は」


 彼の交友関係は知らないものの、真斗が由羅に好意以上のものを持っているのは見ていればすぐに分かる。


 ただ二人の間には過去に何かがあったらしく、妙な距離感があるのも事実だ。

 そしてその距離感を作っているのは真斗ではなくて、由羅なのである。


「――うそ。真斗が一番気にしてるのって、エクセリアだもの」


 すかさず反論する由羅が、唇を尖らす。


「まあ、そうとも見えますが。ですけれどあまり気にする必要はありませんわ。あの二人の関係は、今のところ親子か兄妹にしか見えませんので」

「おや……え?」

「エクセリアは外見の割には妙に大人びていますが、それは周囲の人間に対してのみであって、彼の前では外見そのままですもの」

「う~……? そう、かな?」

「そうですわ。ですが由羅、あくまで今のところは……なので、油断はできませんわよ」

「う、うん」


 こくこく、と頷く由羅の表情は真剣なのだけれど、どこか可愛かった。


「たまには浮いた話も悪くありませんわ。今から河原町あたりにでも行って、一服しましょう。話の続きはまたそれからということで」


 ちょうどいい時間潰しにもなるし。


「……そういう要は、好きな人っていないの?」


 反撃とばかりに由羅が尋ねてきたが、私は表情も変えずに、もちろんいると答える。


「それって定でしょ……?」

「当然ですわ。兄上ほど素敵な殿方を、わたくしは知りません」

「定って、もう三十越えてたと思うんだけど」


 その通りで、私と兄は一回り以上の歳の差がある。


「関係ありませんわ」

「うーん、ブラコンっていうの? こういうの」

「失礼ですわね」

「う~、だって……」


 などと他愛も無い話をしながら。

 私たち二人は、とりあえず学校を後にしたのであった。

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