第25話 二日酔いならば


     /由羅


「……おいしい」


 一口食べて感想を口にすると、そうか、と鏡佳は満足そうに頷いて、自分も箸をつけた。


 校内の中庭にて、彼女がくれたお弁当を開いてしばし。

 四限の授業が終わったらしく、弁当やらを抱えた生徒たちが、ちらほらと中庭にやってきている。


「私はコンビニ弁当の方が好みだが、こういうのもたまには悪くない」

「コンビニって……そういうの、好きなの?」

「そうだな。手軽で、味も悪くない。特に……なんだ。お湯を入れて三分待つ食べ物が、お気に入りでな」

「へぇ……」


 それって誰かさんと同じだなって、思わず思ってしまう。


「だがあまりそういったものを食していると、夕貴のやつがうるさい」


 それもどこかの誰かさんと同じである。

 あの紫堂夕貴ってひとは、茜と気が合うのかもしれないな。


 ん……?

 じゃあもしかして……。


「これって、その彼が作ったの?」

「そうだ」

「ふうん、凄いね。真斗もこれくらいできたら、茜、少しは喜ぶのに」


 あ、でも茜のことだから、反対に意地張って素直になれないかも。

 茜ってば、本当は自分の手料理を真斗に食べさせたいんだけど、できなくて、エクセリアにばっかり食べさせてるんだものね。

 真斗も気づかないし。


「真斗?」

「え?」

「誰だ、それは?」


 私の口から出た名前が気になったのか、何気なく鏡佳が尋ねてくる。


「あ……ええと」


 すぐ答えようとして、どうしてだか答えに詰まってしまった。


「その……あの……」

「? 聞いては不都合な相手か?」

「う、ううんっ。そんなことなくて。えと……その」


 なんでこんなに考えちゃうんだろう。

 一番良く知ってるはずの、真斗なのに。


 散々考えた挙句、結局当たり障りの無い答えを口にすることになった。


「か……要がいる事務所のね、アルバイトしてるひとなの」

「柴城興信所の?」

「うん」

「ふうん……?」


 そこでなぜだか鏡佳は、意味ありげな瞳で私を見返す。


「な、なに……?」

「さては、想い人か」

「え、ええ……っ!?」


 予想だにしなかった指摘に、私自身びっくりするくらいの声を上げてしまっていた。

 それでもって、情けないくらいに狼狽してしまう。


「あ、う……そういうの、じゃなく、て……」

「本当に?」


 面白がるような視線を向けてくる鏡佳は、どこか苛めっ子のようで、楽しげに距離を詰めてくる。

 気づいたら、目の前に鏡佳の顔があるし。


「本当に!」


 声を上げて、お弁当を抱え込んだ姿勢のまま、逃げるように後ずさる。


「ふふ、あはは。可愛いな、本当に」


 さっきのように笑って、鏡佳は身を引いた。


「うー……!」


 私は威嚇するように低く唸ってみせたが、どこ吹く風といった感じで、彼女は少しも動じた様子はない。


 ……もうっ、なんだろこのひとは。

 ちっとも油断できないじゃない。


「あまり怒るな。食事が不味くなるぞ?」

「……別に怒ってないもの」

「顔が怒ってる」

「怒ってない」

「ふうん?」

「なによ」

「別に」

「……う~」


 このひとって苦手かも。

 でもこの感じ、何だか誰かを思い出して懐かしい気がするな……。


「で、その男は頼りになるのか?」

「え?」


 一人で悶々としていたら、いつの間にやら真顔に戻った鏡佳が、弁当の中身をほおばりながらそんなことを聞いてくる。


「……真斗のこと?」

「そう。その真斗とやらだ」


 今度は茶化す様子は無くて、真面目に尋ねている……と思うのだけど、どう答えたものかとちょっと逡巡してしまう。


「…………うん」


 結局、素直に答えることにした。


「ほう。だから好いているのか」

「ううん、そういうのじゃなくて」

「では?」

「……なんだか、安心できるの。でもそれが好きなのかどうかは、わからない」


 素直な本音を告白するのならば、真斗は私が一番頼りたい相手だ。

 というより、私は彼にしか頼れない。

 でもこれは、すごい我侭だって自覚している。


 だって私には、真斗に対して大きな大きな負い目があるから。

 なのに頼って、好きに……なりたいとか思うのは、ひどいことなんじゃないかって思ってしまう。

 わからないんじゃなくて、きっと怖いのだ。


「何か複雑なようだな。まあ、人は色々だ」


 妙に淡白な意見をつぶやいて、鏡佳はせっせと弁当を平らげていく。


「……そういうあなたはどうなの?」

「何がだ?」

「好きなひと、とか」

「いる」

「え……」


 あまりにあっさりとした答えが返ってきたので、思わずたじろいでしまう。

 意趣返しのつもりだったのに。


「あの……紫堂夕貴ってひと?」

「ふふ、そう見えるか?」


 見えなかった。

 ただそれ以外知らなかったから口にしただけで。


「ううん」

「そうだな。正しい」


 鏡佳は頷く。


「あれとは利害が一致しているにすぎない。まあ……面白いやつではあるが」

「ふうん……?」


 なんだろう。

 すごいドライな関係……なのかな。


「わたしの場合はお前とは違う。どちらかといえば、敬愛する相手、だな」

「へえ……」


 思わず感心してしまう。

 それってりんがイリスに、って感じのものを想像してしまって、ちょっと意外だった。

 この鏡佳ってひとに、誰か敬うような相手がいるなんて。


「男のひと?」

「いや、女性だ」


 どんなひとなんだろうって興味は湧いてくるけど、彼女はそれ以上答えることはなかった。

 私も一応気を遣って、多くは聞かないでおく。


「――由羅」


 不意に、名前を呼ばれた。

 いつの間にか、借り物の姓ではなくて、本当の名前の方での呼び方になっていた。まるでそっちの方が正しい名前だと知っているかのように。


「なに?」


 私も姓で呼ぶより名前で呼ぶ方が好みだったので、特に何とも思わず頷く。


 彼女はすでに弁当箱を空っぽにして、脇に放り出すと、制服が汚れるのも構わずに芝生の上で仰向けになって寝ころがった。

 その視線は宙にあって、こちらを見てはいない。


「今、幸せか?」

「え……?」


 なんなんだろ。

 いきなりそんなこと聞いてきて。


「うん……。たぶん、とっても」

「そうか。では……お前が生きる目的とは、なんだ?」


 難しい質問に、それでも私は真剣に考えて答えてみる。


「そんなの、考えたことないもの。必要……あるの?」


 そう答えたら。


「ふふ……そうだ、そうだな。そんなものを考え出す輩は、大抵現状に不満を持った連中だ。わたしのように、な」

「……そうなの?」


 鏡佳は声には出さず、軽く頷いた……ような気がした。

 よくわからない。


「つまらないことを聞いたな。忘れてくれ」

「うん……いいけど」


 私も寝転がって、隣の彼女の横顔を眺めてみた。

 綺麗な横顔なのに、その赤い瞳は何を考えているのか少しも分からない。

 普段はけっこう表情豊かに見えたのに、これじゃあまるで人形のようだ。


 ……なんなんだろうな、ほんと。


     /真斗


 夕方近くになって、初めて音がした。

 少ししんどそうな、うめき声。


「ん……っ」


 その声に、俺は読んでいた雑誌を脇に置いて、ベッドの上にいるやつの顔を眺めやる。

 眺めること数秒、そいつはぼんやりと瞼を開けた。

 よーやく目が覚めたらしい。


「…………」


 じー、とそいつがこっちを見てくる。

 たぶん、何がなんだかわかっちゃいないんだろう。

 こいつにしちゃあらしくないほど無防備な表情が、その証拠だ。


「目、覚めたか?」


 声をかけるが返事無し。

 寝ぼけてやがるな、こいつ。


 そういやこいつの寝起きって、あんまり見たことないな。

 貴重かも。


「おーい、茜?」


 鼻先をつんつんと突いてやっても、反応無し。

 その瞳に生気のようなものが戻ったのは、もうちょっとしてからだった。


「…………?」


 瞳をきょろきょろして、とりあえず現状把握に努めているようだったが、だるくて身体は動かせない――そんな感じだろうか。


「まさと、か……?」

「今さら確認すんな。そーだよ」

「なんで……」


 疑問をつぶやいたところで、わずかに目を見開く茜。


「なん――う」


 がばっと起き上がったと思いきや、そのまま口元を押さえて茜はベッドに沈んだ。

 そのまま、ううぅ、とうめく。


「洗面器か? あんまり汚して欲しくはねーけど」

「馬鹿……言うな……」

「酔っ払いが。ざまぁねえぞ。二日酔いなんて」


 ったく未成年のくせに。

 とか思いながら、俺は冷蔵庫からお茶を取ってくると、ペットボトルごと手渡してやる。


「喉カラカラだろ?」

「…………」


 茜は恨めしそうな顔で俺を睨みつつも、素直に受け取って、喉へとお茶を流し込む。

 そしてそのまま再び突っ伏してしまった。


 重症らしい。

 ま、たまにはこーゆう姿を見とくのも悪くないか。


「……真斗」

「ん?」

「なんで……お前がここにいる……?」

「何でって、俺の部屋だろーが」


 いて当然だ。


「…………」


 茜は普段の十倍くらい時間を費やして、何やら考え込む。


「私がここにいる理由が……わからない」


 そりゃまあそうだ。


「覚えてないんだろうけど、イリスが連れてきた」

「イリスが……?」

「ああ」


 茜の様子から察するに、こいつがここに連れて行けと言ったわけでないのは間違いないらしい。

 ま、茜なら自分の住んでるマンションか、事務所に連れてけって言うだろうしな。


「あのばか……。よりによってこんな所に……」

「おいこら、そりゃどーゆう意味だ?」


 半日以上、俺のベッドを占領してたくせに。


「うるさいだまれ……」

「……ったく」


 とんだ酔っ払いだ。


「頭がガンガンする……」

「二日酔いだろ。どんだけ飲んだのか知らねえけど」

「……なんとかしろ……」

「何ともならねえって。こればっかりは時間が経つのを待つしかないだろ。起きてりゃ嫌でも気分の悪さを味わうことになるから、なるべく寝てるんだな」


 経験者は語る、である。


「それまでそこは貸しといてやる。寝とけ」

「う……うー……」


 反駁する気力も無いのか、しばらくベッドの上でもぞもぞやっていた茜は、やがて大人しくなった。

 そうそう、寝てろって。


「……真斗」

「あんだよ」


 しばらくしてから、ぽつりと茜が声をかけてくる。


「……エクセリアは、近くにいるのか?」

「いんや」


 俺が自分の部屋にいる時は、あいつも一言断わってからじゃないと入ってはこない。

 それなりにこっちのプライベートに気を遣ってくれているらしい。


「……私が寝ている間に、不埒なことはしていないだろうな……?」

「するか」


 茜相手に問答無用で我を押し付けられるのは、たぶんイリスくらいで、そのイリスだってこいつの寝込みを襲うような真似は絶対にしないだろう。

 まして俺なんかがやるわけもない。


「……ふん」

「なんで怒るんだ」

「怒ってない」

「そうかよ」


 ていうか感謝しろ。

 特にこれといったことは何もしてないけど、一応これでも気を遣ってやってるんだからな。


「……真斗」

「はいはい今度は何だ?」


 面倒くさげに振り返ってやると、茜はベッドに横になったまま、こっちを見ていた。

 その瞳にどうしてだか虚を突かれて、思わず身構えてしまう。


「……姉さまを、見つけて欲しい」

「――――」


 まったく予想していなかった台詞に、俺は返す言葉を見失った。


「一番に、見つけろ……。今回は、頼って……やる」

「……何か悪いもんでも食ったのか?」


 ようやく口を出た感想は、そんな間抜けなもので。

 こいつが私事で直接他人に頼るなんてことは、かなり珍しい。

 これまでの例外はイリスくらいだが、それにしたって滅多にないことなのだ。


 もちろん茜は、俺が楓さんを捜していることを知っている。

 知っていて、時々進捗を尋ねてくることもあったが、いつも遠慮がちだった。


 少なくともこいつ自身から捜してくれと頼んだことは、今回一度も無い。

 だっていうのに、今さらどうしたのやら。


「いいから……捜せ。もし、イリスより先に見つけてくれたら……」

「はい?」


 何か言った。

 聞こえなかった……ことにしておこう。

 うん、もしくは聞き違いということで。


「お前、まだ酔いが残ってるだろ?」

「…………」


 言うだけ言った、といった感じの茜は、俺の言葉に応えることもなく、どこか安心したように瞳を閉じてしまう。

 ……そして微かな寝息。


 その寝顔をまじまじと見て。


「素直なんだか素直じゃないんだか」


 思わず苦笑するのだった。

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