最終話 「ベスジアの王」

 人生で二度ほど、朝焼けが美しいと思ったことがある。

 けれどそれ以外の朝焼けはいつも、苦々しい一日のはじまりを告げる不幸の象徴でしかなかった。


「百五十個だ。大規模な取引が入った」

「はい」

「倒れるまで鉱石に魔素を込め続けろ。水ぐらいはかけてやる」


 閉じ込められた地下牢にいつものように飼育係がやってくる。

 基本的にこうして自分に命令を下すだけだが、たまに舐めるような視線で体を見てくるのが気持ち悪い。


「しかし、陛下ももったいないことをする。これほどの容姿なら娼館にでも置かせておけば小金稼ぎもできるというのに」


 生まれてから四年ほどは、こんな地下牢ではなく普通に城の中を歩く自由があった。

 自分を呼びだしたという王が、自分の容姿をたいそう気に入っていたからだ。

 しかし数年が経ち、体が女として過分かぶんに成長してくると、王は急に自分に興味を失ったように捨てた。

 それから地下牢に繋がれ、ただただ魔石を生み出す道具と化す。

 自分の廃英雄としての〈魂性能力〉が、人為的に生み出すことができないはずの高純度の魔石を作ることができる、というものであったから、かろうじてまだ生きているのだと頭では理解していた。


「その青銀の髪を売ればいくらになるだろう。そのサファイアのような目は宝石より高い値がつくだろう。体を好きにして良いといえば、王国中の男がお前を買いに来るかもしれん」


 飼育係の男はやはり舐めるような視線で自分の体を眺めた。

 もう、何度も見てきた視線だ。

 いまさらぼろ布に覆われただけの体を隠す気力もない。


「まあいい。とにかく百五十個だ。足りないときには罰を与える。意図的に反逆した場合は死ぬと思え」

「……はい」


 なぜ、生きているのか。

 ここ数年は裕福な家庭のぬいぐるみの方がまだマシな生活をしている思えるような生活だ。

 最低限の食事を与えられ、変わり映えのない地下牢の壁の染みを数え、命令が下されればその分だけ魔石を作り出す。

 唯一の安らぎは飼育係に隠れて毎日少しずつ、とある宝石に魔素を込めることだけ。


「ではな」


 飼育係が出て行ったあと、周りに人がいないことを確認して胸の奥から宝石を取り出す。

 青く深い、サファイアのような宝石。

 自分がこの〈魂性能力〉に目覚めたとき、流した自分の涙が固まってできた指の先ほどの大きさのもの。


「あなただけは、わたしをしいたげない」


 この宝石は不思議なことに、いくら魔素を込めてもけっして割れることがない。

 生まれてからずっと、毎日こつこつ魔素を貯め続けて、今となっては数千の魔石を集めてもこれ一つに敵わないくらいには魔素を貯蔵ちょぞうしている。


「でも、見つかってしまったら――」


 きっと、奪われるだろう。

 いつも作っている魔石でさえ取引でとてつもない高値がつくらしい。

 こんなものがあると知ったら王国はこれをまっさきに売り飛ばす。

 そしてどこかで、ゆえも知らぬ誰かに使われるのだ。


「これは、わたしが思う人に、渡したい」


 自分は魔石を作ることができるかわり、魔術がまったく使えない。

 だから、いわば宝の持ち腐れだ。

 自分で持っているには過分なものだとも思っている。


「渡したいと思える人。そして、受け取ってくれる人」


 これは力の象徴。

 持っているだけで目を引き、誰もがその力を求めて悪意の手を伸ばしてくる。

 だから、これを持つ者は闇に忍ぶか、あるいは悪意にさらされてもものともしないような力を持っていなければならない。

 それを知った聡明そうめいな者は、この魔石を受け取ることを拒否するかもしれない。


「受け取ってくれたら……いいな」


 それでもこの宝石は自分の分身のようなものだ。

 もし自分がこれを渡したいと思える者がいたら、きっとその人に命を預けるのと同じ価値を見出している。

 それが愛によるものか、同情によるものか、あるいは恋によるものかはわからないが、並大抵のことはで渡さないだろう。


「わたしは、これを誰かに渡すために生きている」


 それくらいしか存在意義を見出せない。

 廃英雄として生まれ、しかしそれが露見すれば国を危機にさらすという理由で秘密裏に飼いならされ朽ちていくだけの存在。

 廃棄の期限まで残り二月ほど。

 英雄産業というものの概要を知ったのは地下牢に来てからだが、もろもろ含めて、王国の対応は正しいと思った。

 自分も逆の立場で、呼び出される側の思いを知らなければ、そうするだろう。

 でも、今となってはそうはならない。

 呼び出される側の苦悩を知った今は、絶対に廃英雄など作らなかっただろう。

 たとえ、自国の発展がどんなに遅れようとも。

 少なくとも、そう思ってしまう自分がここにいる。


「じゃあ、また少しの間隠れていてね」


 青い宝石をまた胸の間に隠す。

 無駄に大きくなったと思っていたが、こういうときは使い勝手がいい。


「見せる人も、与える子もいないけど」


 そしてこれからも自分は、ここで一人で朽ちていく――。


   ◆◆◆


 それから三日ほど。

 その日も飼育係が命令を伝えに来た。

 しかしその日は少し、様子が違った。


「くそッ! まさか廃英雄がいることがバレるなんて!」


 飼育係の男は頭をかきむしってせわしなげに地下牢の前の廊下を行ったり来たりしていた。


「さすがに取引を急ぎすぎたか……? 採掘量と供給量の不均衡ふきんこうを計算したとでもいうのか。これでも気をつかって細工をしていたというのに……! バルトローゼめ……‼」

「……」


 声を出してはならない。

 了解するとき以外、下手に口を開くと頭を三発打たれる。


「……お前、まさか作った魔石に細工をしたのではあるまいな」

「え?」

「っ、お前のせいか!」


 そんなことするわけないだろう。

 自分の命をこれ以上おびやかす真似はしたくない。


「くそっ!」


 飼育係の男は地下牢を開けて中に入ってきた。

 そのまま自分の体に覆いかぶさり、無理やりに衣服をはぎ取っていく。


さ晴らしに犯してやる。俺は陛下とは違って少女趣味などではないからな!」


 下卑げびた笑い。色欲におぼれた目。

 乱暴な手指が胸に食い込む。

 やがて両手を縛りつけられ、男の手がふとももに伸びた。


「っ」


 抵抗する力もない。

 すべてを諦めようとした。

 そこで、胸の間からあの宝石がかつんとこぼれ落ちた。


「ん? ……なんだ、それは」

「あ――」


 これはこの男に見せてはならないものだ。


「だ、だめっ」

「っ!」


 男は宝石を拾い上げ、それに触れた途端とたん目の色を変えた。


「……はは、はははは、なんだ、この魔素の量は。全容がまるでつかめん」

「か、返して……」

「返す? バカめ、お前の所有権は私にある。そもそもお前は人間ではない。廃英雄だ。ゆえにお前は何者にも所有権など主張できない」


 ひどい理屈だ。


「お前の体も、お前が作ったものも、すべての所有権は私にある」


 違う。そう言いたい。

 けれど言える状況でもなければ、言う勇気もない。


 ――生きたいなんて思っていなければ、なんでもしてやるのに。


 生殺与奪の権を握られているのだから、たしかに自分はこの男の所有物かもしれない。

 納得しかけて、唯一残った意地がこう言わせた。


「わたしの魂は……わたしのもの」

「ほう」


 そう、この魂だけは、自分のものだ。

 もしこの魂を渡すときが来るとすれば、それは自分から誰かに捧げたいを誓ったときだけ。

 けっして強引に誰かに奪わせたりはしない。


「わたしはっ……!」


 そう言いかけたとき、牢屋の外から大きな音が聞こえた。


「なんだッ⁉」


 おそらくは階上の玄関口が力づくでぶち破られた音だ。

 それからしばらくしないうちに、こつ、こつ、と整然としながらも力強い足音が地下へ近づいてきた。

 そして――


「その魔石と彼女から手を離せ」

「誰だッ、てめえ!」


 現れた男は真っ黒なローブに身を包んでいた。

 フードを取り払った奥からのぞいたのはローブと同じく黒い髪。

 暗闇の中で光る赤と青の瞳と、左右の耳につけた太陽と月のイヤリングがとても美しかった。


「ッ、まさかバルトローゼの――」

「違う。だがお前にとってはもっとひどいものかもな」


 直後、その男が両の手を合わせる。


「命魔混成術式――〈太陽と月の翼〉」


 荒々しい魔素に混じって感じたことのない術素が空間を埋め尽くす。


「我が名はリリアス・リリエンタール」


 気づくとその男の髪は体の内から漏れ出す黄金の術素にいろどられ、燃えさかる金の炎のように揺らめいていた。

 そして、金と銀の巨大な翼を生やした彼はこう言った。


「我こそは〈廃英雄〉の成れの果てにして、世界最悪の暴王――〈ベスジアの王〉である」


 ―――

 ――

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廃英雄とベスジアの王 葵大和 @Aoi_Yamato

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