それは愛か、或いは種の意思か

乙乃詢

それは愛か、或いは種の意思か

 荒廃した広大な大地で一人、女は彷徨っていた。

 照りつける熱射は女の身体をジリジリと焼き、徐々に体力を奪っていく。

 最後に食料を口にしてから、七度太陽が登った。

 最後に喉を潤してから、沈む太陽を五度見送った。

 女は多少の水分は体内に貯蔵しておけるとはいえ、さすがにそろそろ補給をしなければじきにその体内の水分も尽きてしまうだろう。

 そのことは女自信も自覚をしていて水場のありそうな道を選んで歩んできたものの、そもそもこの砂の吹き荒ぶ荒れ果てた広大な砂地に、そう都合よく水場があるとは思えなかった。

 女は地面に顔を近づけて、鼻をすんすんと鳴らす。方向はこちらで正しいはずなのだが、一向に見つかる気配がなかった。こうしてたまに地面に残るにおいを探っているのだが、今だ目的の主の存在は感じられない。同じ方向に移動してしまっているが故に追いつけない、というわけではなさそうだった。

 旅に出てからどれほどの月日が経ったか、女は数えていなかった。

 女にとってそれは些細なことだったからだ。

 旅に出た、といってもそれは目的ができたから旅に出たということであって、女は元々どこかに定住しているわけではなかった。

 女の目的は男を見つけること。そして子孫を増やすこと。

 それが生物の種として彼女たちの遺伝子に刻み込まれた、生きる目的だった。

 それは旅に出る前のこと。女がいつものように寝床としている洞窟の入り口から差し込む太陽の光で目を覚ますと、普段は聞くことのない、音のような振動のような何かが頭に響いてきているのに気がついた。

 女は過去に一度だけ、同じ経験をしていた。それは遠い昔の記憶、今となってははっきりと思い出すことも困難なほど前のことだった。

 それはこの地のどこかにいる、男の出す生体信号だった。

 当時の彼女はそれが何なのかはわからなかったのだが、惹かれるように信号の発する方角へと歩き続けた。そして辿り着いた先で、まさに今力尽きたと思われる男の亡骸が転がっていた。

 女はそっと、まだ微かに体温が残っている亡骸に触れた。

 先ほどまで彼女が感じ取っていた信号は、いつの間にか消失していた。その時初めて、この信号は男が発していたのだと理解した。

 

 

 この地に生きる男の個体数は極端に少なかった。その理由は女は知る由もないが、彼女がこれまで生きてきて男を見たのは、あの時の亡骸のただ一度きりだった。

 そもそも、女が同胞を見つけること自体が稀であった。

 それは種としての個体数が少ないこともあるが、生きる源となる水や食料が少ないということも大きな要因であった。

 雨季を迎えれば空から水がとめどなく振り落ち続けるが、それをすぎると再び灼熱の光が顔をのぞかせるようになってしまう。わずかな間降り続いた程度の水分は、そんな日の光の前には瞬く間に干上がってしまう。

 そのせいか、地表に大型の生物はほとんど見当たらなかった。

 女たちの種はたまに見かける指の先程の昆虫を食べ、日の光が届かないような場所を探してかろうじて日上がらずに残っている水を啜って生きていた。そうして何世代と生きながらえ、そんな環境に適応するように身体へと変化させていった。

 

 

 男のにおいはまだ感じられなく、とにかく女は生体信号を頼りに、信号の発する方角へと歩き続けた。

 途中、珍しいことに川を見つけた。幅は女の胴体ほどしかない大変小さなものだったが、水溜りではなく流れのある状態で水が存在するのは滅多に見かけるものではなかった。

 女は安堵した。体内に貯蔵した水分も使い果たし、喉の渇きに喘いでいるところだった。

 女は川の中に頭を突っ込み、喉を鳴らして水を飲んだ。

 久しぶりの水分は身体の芯まで染み渡り、取り込んだ水が体内に満たされて腹は丸々と膨れていた。これで当分は安心だった。

 よく見ると、川の周りには所々植物が生えていた。中にはいくつか実をつけたものもあり、ここを住処にすれば食料に困ることもないな、と女は考えた。

 その時、植物の影から黒い影が飛び出してきた。反射的にその影を捉えると、それはよく見かける茶色い羽と触覚を持つ昆虫だったのだが、珍しいことにその大きさは女の手のひらほどもあった。

 ここまで大きな個体を見たのは初めてだった。水が豊富な場所は植物や昆虫も豊富なのだろうか、女はそう考えながら捉えた昆虫を貪った。

 男を探すことが目的であった彼女はここを住処にして留まるわけにはいかなかった。しかし、何かあった時に水と食料が確保できる場所があるのは良いことだった。

 そんなことを女が考えていると、空が薄暗くなって来たことに気づく。

 珍しいことは重なるものだ。それは雨が降る兆候だった。

 この乾いた地で雨季以外に降る雨は大変貴重で、まさに恵みの雨だった。

 また、水場といえば枯れ果てた水溜りくらいしかないため、水浴びができる雨の日が女は好きだった。

 やがて一滴、また一滴と地面に黒いシミをつけると、それはやがてどんどんと広がっていき、すぐに本降りへと変わった。

 女は歓喜に周囲をぐるぐると走り回ったが、すぐにその雨が黒い色をしていることに気がついた。

 良いことばかりではないようだ。女は少しだけ悲しくなった。

 通常雨は無色透明の液体が降ってくるのだが、ごく稀に黒い色をした雨が降ることがあった。

 黒い雨が降るのは局所的ではあるのだが、その雨が降った周辺の土地ではやがて植物は枯れ果ててしまい、あたりには昆虫の死骸が転がることとなってしまう。

 女は黒い雨を浴びても特に身体に変化は感じないのだが、他の生物にとってはそうではないようだった。

 良い場所を見つけて喜んでいただけに、落差で女は深くうなだれた。この地はしばらくの間死んでしまう。女は不貞腐れるように川辺の植物を引っこ抜くと、その葉をかじりながら歩みを再開した。

 


 川を跨ぐように通り過ぎ、高くそびえ立つ岩場の間を抜けてさらに先へと歩みを進めている時だった。

 風に乗って同胞のようなにおいが微かに女の鼻腔を撫でた。

 おかしい、と女は思った。

 女は男の生体信号しか感じ取っていなかった。

 死にかけているとかで微弱な信号しか発していない可能性もあったが、においすら感じ取れるほどの距離にいながらその思考すら全く感じ取れないのはどうもおかしいかった。

 考えられる状況は一つだった。しかし、それは女にとってとてもよくない状況だった。

 この時、女が歩いていた場所はそびえ立つ岩場が途切れる少し手前だった。

 だから女は、その岩場の出口にあたるところから自分と同じくらいの大きさの生物が顔を覗かせるまで、その生物の接近に気づくことができなかった。

 そして、それは相手も同じだったようで、その黒い体毛に全身を覆われた生物は女を見るや否や声をあげた。

「閧峨□!閧峨□!」

 その声を聞いて、女は警戒した。

 久しぶりに鉢合わせたその生物は、一応は女の同胞だった。

 しかし、女とは少し異なる種だった。目につく違いは体毛色だが、これは同種であっても異なる色の体毛を持つ者もいる。女の体毛はこの砂地のように明るい黄土色をしていたが、この生物と同様に深い闇のように黒々とした毛色を持つ者もいれば、水分を含んだ土のように赤茶色の毛色の者もいる。

 それでは女との明確な違いは何かというと、それは額にあった。

 女の額には一本の大きな突起があった。女はこの突起で離れたところにいる同胞の信号を受け取ったり、近くの同胞と思考を共有したりするのだが、その生物にはそれがない。

 その代わり、その生物は喉を震わせることで音を発して同胞と意思疎通を行うようだった。

 女はその生物が発する音が好きではなかった。

 空気を震わせながら耳に届いてくるその声は、まるで頭を揺さぶられているような気分になり、聞いているだけで胸がゾワゾワとして大変不快になった。

 何が不快なのか、女自身にもわからなかったが、それは遺伝子に刻み付けられた、何か因縁のようなものがあるように感じていた。

 遥か昔、まだ女が何人かの同胞と暮らしていた時のこと、女は母から聞いたことがあった。

 『この地には私たちとよく似た姿をしている生物がいる。

  だけどそれは私たちとは違う。

  彼らは私たちを食う。

  私たちはいくら腹が減っても彼らを食うことはないが、彼らは違う。

  彼らは獰猛で、不快な音を出すばかりで意思の疎通もできない。

  出会ったらすぐ逃げなさい』

  女の一族は、その獰猛な生物を『蛮人』と呼んでいた。

 女が以前に蛮人と出会ったのは、同胞の男の死体を見つけた時だった。

 恐らく女が男の生体信号に惹かれて辿り着いたように、蛮人もまた男の死臭に惹かれて辿り着いたのだろう。

 その時は男の死体を蛮人に明け渡すことによって、女は命拾いした。

 だが今回は違う。

 女を守るものは何もなかった。

 普通であれば全力で元来た道を引き返し、力の限り駆けて蛮人から逃げることを選択するだろう。

 だが、女は違った。

 女には目的がある。

 子孫を残すこと。

 それはこの荒廃した地で生きる者たちの最優先事項だった。

 この先の、すぐ近くに男がいる。

 それは、場合によってはこの先一生の間に訪れることのないかもしれない、千載一遇のチャンスだった。

 女は進まなければならない。この先に。

 蛮人は女を血走った目で見ている。垂れ下がった乳房を見るに、その蛮人も女であるようだった。

 その口からは唾液が溢れ出し、糸を引いて地面の砂地を濡らしていた。

「莉慕蕗繧√※繧?k縲∝…」

 蛮人の女が何事か音を発していたが、なんと言っているのかまでは女は理解することができなかった。

 しかし、その様子を見るに食糧として狙われているのであろうことは女自身も理解していた。

 幸いにも蛮人の女の身体は痩せこけ、ほとんど骨と皮だけの状態であった。

 勝機は五分五分。相手が満身創痍であるとはいえ、こちらもしばらくまともな食料を口にしていない。先程食った昆虫一匹とわずかな植物だけでは大した力を出すことができないのは明白だった。

 蛮人の女が体勢を低くした。前脚に力が入り、指先の鋭利な爪が地面に食い込んでいるのが見えた。

 跳んでくる。

 女がそう思った時には、すでにそいつは眼前にいた。

 十歩ほどの距離があったと思っていたが、いとも容易く詰められた。

 女は咄嗟に後ろ脚で立ち上がり、前脚で防御する。飛びかかったそいつが前脚に噛みつき、鋭利な牙が肉に食い込んで激痛が走った。

 身を切る思いで首元を狙って飛び込んできたのだろう。噛み付いた状態のそいつには、もうほとんど力が残っていなかった。

 肉を切らせて骨を断つ。女は深く牙の突き刺さる前脚の痛みを堪え、もう一方の前脚で攻撃を仕掛ける。

 狙うは目。女は細い指で蛮人の女の目を突くと、そのまま抉り出した。

 耳障りな叫び声をあげてそいつがうずくまる。

 その隙に女は地面に落ちていた手頃な大きさの石を掴み上げると、そいつの頭へ渾身の力で降り下ろした。一度、二度と何度も振り下ろし、その度に蛮人の女の身体が震えた。

 同胞喰いを行う蛮人は肉を割くため爪は鋭利に、肉を噛み切るため牙が長く発達していた。

 しかし女の種族は違った。同胞以外の大型生物がいない環境で、小さな昆虫ばかり食してきた彼女たちにとっては長い牙も鋭利な爪も不要だった。

 故に、道具の力を借りなければ彼女たちは無力であった。彼女たちが身を守る際は、思考の共有による危機回避と連携プレーが基本だった。

 武器となるものがなければこのままやられていたかもしれない。

 女は動かなくなった蛮人の女を見下ろし、安堵の息をつく。

 返り血に全身を濡らした状態でその場にへたり込み、呼吸を整えた。

 頭を割られ、脳漿がこぼれ出てる蛮人の女を見ているうちに、女は魔がさした。

 地面に広がる灰色のそれを女は掬い上げると、口に含んだ。蛮人がこれほどまでに固執する同胞の味とはどういうものなのか、気になったのだ。

 しかし女がそれを飲み込みことはなかった。口に含み咀嚼した瞬間、反射的に吐き出していた。

 身体が受け付けなかった。味が好みじゃないとかそういう問題ではなく、生物として、何かタブーを犯しているかのような生理的嫌悪が女を襲った。

 女は事切れている蛮人の女を一瞥すると、口内に残ったそれの味に顔をしかめながら唾を吐き捨て、その場を後にした。

 

 

 女は歩みを再開して気がついた。

 男の生体信号が先ほどよりも強くなっている。

 どうやら男の方も女の生体信号を辿って、知らぬ間に近づいてきていたようだ。

 すでにかなりそばまで接近しているようで、希望に溢れた男の感情が女にも伝わってきていた。

 女は男のとの対話を試みることにした。

 通常、対話は互いに顔が見える距離で相手を認識している状態で行うのだが、集中すれば相手の居場所がはっきりとしない場合でも可能ではあった。

 その場合はノイズ混じりの不鮮明なものとなってしまうが、たとえ鮮明でなくとも相手が反応して返事をすれば相手の大体の位置を掴むことができる。

 誤ってすれ違ってしまうといったことは防げるはずだ。そう女は考えた。

 女はその場に立ち止まると目を瞑り、集中した。

 正面を中心として扇状に思考を広げるイメージをする。

 『聞こえますか。聞こえていたら返事をしてください。私はあなたの同胞です。あなたを求めてここまできました。どうか返事をしてください』

 女は何度も問いかけ続け、思考範囲を狭めて思念を強くしたり、逆に思考範囲をさらに遠くに広げたりしてみた。

 色々と試しているうちに、微かにノイズ混じりの思考が女の脳内の届いてきた。

 男が返事をした。女は嬉しかった。

 思考が飛んできた方向に範囲を絞り、強い思念でもう問いかける。

 『聞こえた!聞こえたわ!私はこっちよ!』

 『聞こえている。聞こえているよ。君の美しい声が』

 今度ははっきりと捉えることができた。

 初めて聞く、男の声。それは今まで聞いた同胞たちの声に比べて低く、胸を揺さぶるような声だった。

 女は動悸が激しくなり、全身が火照っていた。

 夢にまで見た男が、もうすぐそこまできている。そう思うと、女はいてもたってもいられず駆け出した。

 『君の昂る感情がこちらにも伝わってくるよ。僕も同じくらい嬉しい。早く君に会いたい。会いたいよ』

 『私も会いたい。会いたいわ』

 こんな気持ちは初めてだった。

 ほとんど満足に食事を取ることができず、満身創痍の状態であるはずなのに、彼が近くにいると思うと体の内側から力がみなぎってくるようだった。

 今ならどこまででも駆けていけそうな気がする。彼の元にたどり着くためならば、たとえ火の海だろうがそびえ立つ崖だろうが、何だって超えられる。

 女はそう思うほどに、気分が高揚していた。

 駆けている女の視界に、女よりもやや小さい黒い影が姿を表した。

 先ほどの蛮人の女を思い出し一瞬ぎょっとしたが、すぐに追ってきた生体信号がそこから発信されていることに気づいた。

 蛮人の女とは異なり、艶のある美しい毛並み。華奢で全体的に柔らかい肉体を持つ女と比べて、その生物は小柄ながらもゴツゴツとしていて、盛り上がった筋肉がその力強さを体現していた。

 これが男。ずっと探し求めてきた、男。

 女はまっすぐ男に向かっていき、体当たりするような勢いで男の懐に飛び込んだ。

 男は向かってきた女の身体を、全身で受け止める。

 『やっと会えた。信じられない。他の仲間たちのように、私も男に出会えないまま死んでいくのだと思っていた』

 『僕もだ。今まで三度、女と出会った。だけどどれも力尽きた躯ばかりだった。僕も君と出会えたのが信じられないよ』

 女は貪るように、男と口づけを交わした。それは誰に教わったわけでもないのだが、男と出会った瞬間そうせずにはいられなかった。遺伝子に刻みつけられた衝動に突き動かされての行動だった。

 男が女の後ろ脚の付け根あたりに顔を近づけてにおいを嗅ぐと、そこにそっと口づけをした。

 女の身体が震える。今までに感じたことのない快感の波が女を襲った。

 女は体の内側から体液が溢れ出てくるのを感じた。

 『さあ、早くあなたの種を頂戴。もう私、我慢できない』

 女は男に尻を向け、突き出した状態で求めるように左右に降った。

 男の興奮した思考が女の頭にも流れ込んでくる。それを感じて女は興奮し、その思考を感じた男がさらに気分を高揚させる。

 男は後ろ足で立ち上がり女の背中に前脚を置くと、そそり勃ち脈打つ生殖器を体液が滲み出て糸引く女の生殖器に当てがい、ゆっくりとうずめていった。

 頭まで突き抜ける快感に、女と男は悶え、荒い吐息を吐き出す。

 互いの生殖器を擦り合わせ、男の身体が前後に動くたび、女の中に幸福感が満ちていった。

 このためだけに、生きてきた。全ては今この時のために。そう女は確信していた。

 『私幸せ。あなたと交わることができて、生きてきてよかったと心から思うわ』

 『僕も幸せだ。君とこうして一つになることができて、これ以上の幸せはないよ』

 男の動きが速くなっていく。

 『僕はもう、思い残すことはない…あとは僕たちの子孫が無事に育っていくことを願うばかりだ…。そろそろ…いいかい…?』

 『いいわ…来て。私ももう爆発しそう…。さあ、注いで。私の中に、あなたの種を注いで!』

 男は、体毛がなく地肌が剥き出しとなっている女の背に覆い被さるようにして身体を密着させ、腰を打ちつけた。

 と、同時に女の中で男の生殖器が膨張し、熱い体液が放出される。それを体内で受け止めた女は、一度、二度と激しく痙攣をした。

 身体を震わせていた時間は刹那の時間だった。しかし女にとっては夢のように長い時間で、幸せに包まれたこの時間がいつまでも続けばいいのにと女は思っていた。

 女は男と繋がったままその場に崩れ落ち、溶けるように眠りについた。

 

 女は目を覚ました。

 どれほどの間眠っていたのだろう、と女は思った。

 無防備な今のこの状態で蛮人に出くわせば、おそらく彼女はひとたまりもないだろう。

 交尾後は全身の感覚が研ぎ澄まされる。女は周囲の気配を探ったが、近くに蛮人はいないことがわかり安堵した。

 女は前脚で自身の背中に触れた。

 女の背中は、順調に男と癒着していた。

 男の四肢は、女を決して離さぬように女の胴体に回され、しっかりとその身体を固定していた。

 最後に一度、消えて無くなる前に男の安らかな顔を見たいと思ったが、肩甲骨の後ろあたりにあると思われる男の顔は、女の方から見ることは不可能だった。

 もう一眠りしよう、と女は思った。女が目を覚ます頃には男と完全に一体となっているはずだ。

 男と繋がっていた時間の最後の瞬間、男の慈愛の感情が女の中に流れ込んできた。

 これから女はその命が尽きるまで、背中に背負った養分と体内に貯めた男の種を使い、たくさんの子供を産み落としていく。

 その中で一体何人の個体が成長し、生き残って子孫を残すことができるかはわからない。

 それでも女は子供を産み続ける。自らの種を絶やさないために。

 それが女を愛した男の意思であり、女を育てた一族の意思であり、遺伝子に刻み込まれた種の意思なのである。

 

 

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