ブラッディ・レッドシューズ

青月クロエ

第1話

 あー。あたし、終わったわ。


 力の限りに突き飛ばされ、固い砂地に転がった瞬間、そう思った。

 学校のコンクリート壁に似た、白なのか灰色なのか分かんない、微妙な白色に朱い花が咲く。

 なーんて、柄にもなく詩的な表現したけど、これ、あたしがついさっき吐き出した血なのよね。

 起き上がろうにも、軍服姿の男達があたしを取り囲んでる。ううん、取り囲んでるだけじゃない。どいつもこいつも、あたしの身体のどこかしらを踏みつけにしてる。


 うん、益々終わったわ、あたし。


 灼熱の太陽に煽られ、熱砂はあたしの肌をじりじり焼く。思ったよりも大して痛くない。

 途切れそうな意識を足首より下へ向ける。焼け爛れて、赤い靴を履いたみたいになった足へ。

 折角連れてきたを逃がさないためなら、あいつらは何だってする。自力で遠くへ行けないように、あたしの足を――、あたしはごく普通の家庭で育って、ごく普通に学校へ行く、ごく普通の女の子だったのに。

 あの日、下校のバスを待っていたら、知らない若い男と、そいつの親っぽい男と女があたしに近づいてきて。気づいたら、バンに押し込まれて、あたしの住む街から気が遠くなる程遠い、遠い、国境沿いの村に連れていかれて。

 誘拐婚なんてド田舎でもとっくに廃れた悪習、街に住むあたしには関係ないと思っていたのに。


 なんで、こんなことになっちゃったのかな。

 顔を上げるどころか、目線をほんの少し動かすのですら億劫。もう疲れちゃった。

 村の住人だけじゃなくて、軍関係者まで花嫁の脱走阻止に協力的だなんて。

 国境を隔てる鉄条網フェンスはすぐ目の前。あそこを潜り抜けるかしていたら、自由の身になれたのに。


 砂地に描かれた朱の華の上に、透明な滴がぽとぽとと落ちていく。

 あぁ、涙が流れるだけ、あたしの心はまだ死んじゃいないんだ。でも、確実に死にかけてはいる。


「死にかけているだけなら、生き返る可能性は充分残ってる」


 それって、ただの悪あがきじゃ……、って、どこから声が??しかも、女の人の声。

 あたしを踏みつけ、拘束しかけている人達は全員男だった気が……。


 ズドォォオオン!!


 盛大な爆発音、突風が発生、地中から砂が頭上高く噴き上がる。


「目を瞑れ!可能なら耳も塞ぐんだ!!」


 あ、また、あの声。でも、今度は男の人だ。声に従うというより、本能的に察した危険に目を瞑り、耳を塞ぐ。

 あれ、あたし、踏みつけられていたのに、腕が動く。踏んでた人達、どこいった??

 覆い被さってくる砂のざらついた感触が不快で、砂地をごろごろ転がる。あれ、あたし、いつの間に全身の自由を取り戻したの??


「ふきゃあ!」


 目を瞑ってるから、勘ではあるけど。砂の代わりにあたしに覆い被さってきたのは、たぶん、大量網(みたいな網)だった。

 ちょっと、あたし魚じゃないんだけど……!と、変なところで憤りながら、空中に放り上げられる。網は地面に下ろされるでもなく、放り上げられた高さより少し低空状態を保ちながら、今度はびゅうっとひたすら前進を始める。たぶん、この網を持つ?運んでる人が全力疾走しているからだ。網の中で空中遊泳させられてるみたい。結構揺れるから、ちょっとだけ気持ち悪くなったけど、一応助けられた、気がしたし、気にしないでいよう。人一人を一定の高さを保ちながら空中遊泳させる、って、一体どんな腕力よ、とは気になってしまう。でも、目を開けるのがなんとなく怖くて開けられない――


「いったぁあ?!」


 ごちゃごちゃ考える内に、雑に地面に放り捨てられた。顔からじゃなく、おしりから落とされたからまだマシ、という問題じゃない。


「ちょっとぉ!何すんのよ!!助けてくれたのだか、違う形の犯罪に巻き込まれたのだか、あたしは全然わかんないけど!!物じゃないんだから。もうちょっと丁寧に扱ってよ!!」

「ごめんごめーん」


 ふわふわした軽い謝り方が神経を逆撫でしてくる。ごめんごめんじゃないよ、いい加減にしてよ。

 更なる罵倒が飛び出しかけて、はたと気付く。

 この声は、悪あがきめいたことを口にした女の人??さっきの声、口調とまるで別人じゃ……。反射的に、パッと目を見開く。そして、絶句する。


 巻き上がる砂埃を被り、揃って白ちゃけたローブを纏っている一組の男女……、だと思う。体格差やさっきの声からして、男女、かな。

 男とおぼしき人は、ロケットランチャーを、正確に言えば、あたしを掴まえた網を発射させたロケットランチャーに似た何らかの武器?を持ち、女と思しき人は、おそらく本物のロケットランチャーを肩に担いでいた。それだけじゃない。彼らは揃って奇妙な仮面を被っていた。

 男の方は、頭に蛇が巻きつき、大きな鼻の上に悪魔がしがみつく仮面、女の方はロバみたいなでっかい耳、異様に大きく見開いた目、胸まででろりと垂れた長い舌を持つ仮面を。


「お嬢さん。国境の鉄条網は越えたから、もうだいじょうぶだからねぇ。さすがに国を越えちゃえば、村の連中も手出しできない。少し時間はかかるけど、ご両親にも移住手続きしてもらうし、また家族と一緒に暮らせるわ」


 奇妙な仮面とは不釣り合いな柔らかい、安心できる声。隣で、男の方がしきりにうんうん頷いている。

 あたしを網から出そうとするつもりなのか、女は少しずつ近づいてくる。国境を越えても、相変わらず国の端は砂地が無限に広がっている。

 砂地の上を、女は裸足で歩いてくる。あたしの視線はその足元に釘付けになった。


 彼女の足も、あたしと同じ。

 裸足の筈なのに、赤い靴を履いていた。



(了)

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ブラッディ・レッドシューズ 青月クロエ @seigetsu_chloe

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