第10話

『さて、これを聞いているということは、きみは誰かに話しを聞かれる心配がない場所にいるということでいいのだろう。きみのバイタルと周囲の状況を判断して、適切なタイミングを計るように命令してあるから、特に心配はしてないけどね』

ナナの口が動き、誰かの声で言葉を発している。

その瞳はシモンに向けられておらず、何もない空間へと視線を漂わせている。

シモンは椅子から腰を浮かし、左腕を構えようとした。

「誰だ!?」

誰が、何の目的でかは分からないが、ナナを介してシモンに話しかけている。

衛星通信や地上の通信装置が機能していない以上、遠距離通信はできないはずだ。

どうやってかは分からないが、ここの近くからだろうか。

そうシモンが考えを巡らせる間にも声は構うことなく話し続ける。

『きみが望んでイカヅチのオペレーターになったのか、無理矢理にか、それとも軍の連中にうまいこと乗せられてかは知らないが、まあ、ご愁傷様と言っておこう』

少し嘲るような、本気で言っているように聞こえない声に苛立つ。

そして、「軍」という言葉に疑問を覚える。

その疑問は、次の言葉によって確信に変わった。

『あの施設に移動する前か後かに説明されているかもしれないが、君の全身を覆っているその甲冑モドキは、もちろんただの甲冑じゃない』

この言葉に、唐突に思い至った。

ナナの目の前にいるシモンは、全身ではなく、左腕だけが甲冑…イカヅチに覆われている。

それを認識せずに話している、この声の持ち主である誰かが通信しているのではなく、録音された言葉なのだ。

軍とはおそらく、文明の崩壊する以前にあった組織の事だ。

今の世界には、自警団やスカベンジャー、ハンターなどの集まった集団・部隊はあるが、軍と呼べるほどの規模の組織はない。

少なくともシモンは知らない。

いつも様々な場所で聞き耳を立て、情報収集していたシモンが聞いたことがない。

『試してみればいいが、それはもう外れない。どころか、君はもう生身には戻れない』

不吉な事を告げる声に、シモンは構えかけた左腕を見た。

シモンの思い通りに動き、しかし時にはシモンの思わぬ挙動をする腕。

さらに、あの時…グリズの時の目を焼かれそうな光の奔流。

『イカヅチは、わたしの開発したナノマシンの集合体だ。イカヅチは、きみの身体を取り込み作り替え、きみ自身を兵器へと変貌させる。もちろん元には戻れない。まあ、今さら後悔しても遅いがね』

思わず左手を強く握り込む。

少し考えていたことがあった。

いくら崩壊前の「お宝」だとはいえ、グリズの一撃や銃弾を受けても無傷で済み、あの光を放つ。

触ったり触られたりする感覚はあっても、痛みや熱はほとんど無視できるほどしか感じない。

それがただの甲冑な訳がない。

『圧倒的な性能が手に入る代償に、肉体を失い、多大なエネルギーを必要とする。まあ、人によっては等価なのかもしれないな。わたしなら、高エネルギー流動食をチューブで流し込まれる一生を送るなんて、御免被るけどね』

実際にそうなのだろうが、かなり他人事のような口調で話す声の主に、また少し苛立ちを覚える。

いや、そもそもこんなモノを開発した人物だ。

きっとロクな人間ではないのだろうな、とシモンは思った。

『詳しくは軍の担当官に聞きたまえ。それと、目の前にいるのがどんな見た目のモノかは知らないが、これはぼくからきみへの贈り物だ』

目の前というと、つまりそれはナナのことだろうか。

まるで人間ではないような、物のような言い様だ。

『全部で10体ある、イカヅチのオペレーターへの援護や支援、護衛を目的とした人型ロボットたち。その内の一体だ』

さらりと告げられた言葉にポカンと口を開ける。

目の前のナナが、機械…ロボットだと言う声。

確かに、その容姿は作られたかのように美しい。

だが、どう見ても人工物とは思えないほど、自然な造形をしている。

『詳しくは、目の前の個体に聞いてくれ。』

だが、録音らしきその声は変わらない調子で続けている。

それに、ナナもまた身じろぎ一つ、表情一つ変えることもなかった。

『それでは、幸運を祈るよ…。ああ、そうだ名乗ってなかったね。わたしはアインステインだ。もし出会う機会があればよろしく。以上、録音を終了する』

その言葉と共に、ナナはソファに座り込んだ。

その赤い瞳は、今度はしっかりとシモンに向けられている。

「…シモン、何か質問は?」

唐突に始まり唐突に終わった出来事に、シモンは浮かせた腰や構えた腕もそのままにして固まってしまっていたが、ナナの言葉にハッと気付くとソファに腰を下ろした。

一体、何から聞くべきか。

気を取り戻すために大きく息をしたシモンは口を開いた。

「今のは…今の声の主は、一体…。いや、それよりも、ナナ。君が…人間じゃないって?」

シモンはあまりに突然すぎて、上手く話すことが出来なくなりながら、なんとか疑問を口にした。

まず聞きたいことは、ナナの事だった。

どこからどう見ても人間にしか見えない少女はしかし、首を縦に動かした。

「…そう、わたしはロボット。女性型なのでガイノイド、と言った方が正確。敵地への秘密裏の侵入及び偵察を目的とした小型機。全10機ある内の7号機。だからナナ」

確かに小柄ではあるが、こんなにも目立つ色で大丈夫なのだろうか。

シモンはその疑問を口にしなかった。

他に聞かなければならないことがあったからだ。

「…君が、本当に機械…ロボットなんて。どうみても人間だ…たしかに髪とか目は珍しい色だけど…」

シモンがまだ信じられない様子なことを見たナナは、唐突に両手を対面に座るシモンへと突き出した。

その行為に戸惑うシモンの目の前で、カションという小さな音を立てて、ナナの手が変形した。

「うわっ!?」

驚くシモンの目に写るナナの両手の甲が展開し、そこから何かが出てくる。

右腕からは小口径の銃口が、左手からは先端に針の付いた四角形のものが出てきた。

「…内臓式の武装。右が消音機能付きの銃で、22LR弾を使用する。左は接触・発射式兼用のスタンガンになっている。威力は弱いが、対人用としては十分と判断する。ただし、これは本来ならわたしの装備ではないため、扱いが十分ではない可能性がある」

微動だにしないその目と腕が向けられることに、シモンはゴクリと唾を飲み込んだ。

「本来なら…って?」

ナナはシモンの様子に気付き、腕を天井に向けながら答えた。

「わたし…正確にはわたし達が起動した時、施設の鎮圧用機銃が誤作動を起こし、わたし達を攻撃した。その際にわたし以外の機体は大破または行動不能に陥り、損害が最も軽微だったわたしを修理するため、兄弟・姉妹機たちが部品を提供してくれた」

つまり、その腕は元は兄弟か姉妹たちのどれかが装備していたものなのだろう。

サイズに違和感がないのは、同じような体型の機体だったのだろうか。

白くて細い、ごく普通の人間のものに見えていたその腕が見せた変化に、シモンはやっと信じることにした。

「分かった。君は確かに、ガイノイド…だっけ。人間じゃないってことは分かった。…それじゃあ、あのアインステインっていう男がイカヅチの説明で『全身を覆う』って言っていたのに、俺は左手しかそうなってなのはどういう事なんだ?」

ナナはまた軽い音を鳴らして手を元に戻した。

銃口が引っ込み、展開していた部分の継ぎ目がぴたりと閉じ、跡など残らなくなってしまい、そうなるともう展開していた部分が分からなくなる。

腕を下げたナナは、わずかに首を傾げながら答えた。

「…『イカヅチ』はナノマシンの集合体。一つ一つはそうでもないが、集まれば大量のエネルギーが必要。エネルギーが無くなれば、補充する必要がある。培養液から養分がなくなれば、別のものから補充する必要がある」

その説明は簡潔すぎてシモンにはチンプンカンプンだった。

頭の上に「?」が浮かびそうなシモンの様子を察したのか、ナナは言葉を続けた。

「…つまり、生物で言う共食い。機能を停止した一部のナノマシンを解体して、少しづつ数を減らしながらも全体を生き永らえさせていたと推測する」

そこまで説明されて理解した。

つまり、最初はもっと沢山のナノマシンがあったが、ナナが言ったことが理由で数が減り、シモンが発見した時には腕一本分しか残っていなかったということだろう。

「なるほど、そういうことか…。じゃあ、高いエネルギーが必要っていうのも、俺は腕しか変異してないから、そこまで必要ではないってことか?」

そう尋ねると、ナナは肯定した。

「…そう。でも、油断すれば命の危険を伴う。できるだけカロリーや栄養価の高い物を食べることを推奨する。戦闘をした後、内臓武器を使用した場合は特に」

シモンの脳裏に、イカヅチが左手に同化した時と、グリズとの一件の後の空腹感が蘇った。

グリズの時は色々あって2回も死にかけたこともあり、そのせいだと思っていた。

だが、今日は大ネズミ鍋を食べたあと、非常用の乾パンも食べた後だったのだ。

シモンはいつも、一日の食事は1・2食しか食べていない。

それに慣れた身体のはずが、今日だけでどれだけ胃に収めたか。

大ネズミ鍋のあとに乾パンを2本、ダマ串を5本、そしてついさっき食べたごちそう。

そういえば、ダマ串を食べた時点でいつもより多い食事量にも関わらず、満足できなかった気がする。

そのことを考えると、これからの食費に若干だが不安を感じるシモン。

そういえば、と疑問を感じてついでに質問した。

「…ナナは機械なんだよな?でも食事は必要なのか?」

シモンと共に食事をしていたということは、必要なのだろうか。

だが、ロボットに食事が必要となると、サッキどももそうなのだろうか。

そういった情報は大事で、もしかしたら新しい対抗手段も見つかるかもしれない。

そう思っての質問だったが、ナナは少しの間を置いて、先程までよりも小さく首を横に振った。

「…わたしは偽装用に食事が出来るように、味覚素子や食べた物質を変換する機構が搭載されている。後は、毒見の面もある…それと…」

ナナは言いよどみながら、少し視線を彷徨わせた。

「…それと、起動後初めての食事。データはあったが、実際に食べると多量の情報が読み取ることが出来て、面白かった」

だから、ついつい必要でもないのに食べ過ぎてしまい、シモンと同じくらいの量を食べてしまった。

普通に考えれば、イカヅチのせいで不足してしまうであろう、シモンの栄養状況を改善するのことを重視するべきなのだが。

「…人間の感覚で言えば、食事がおいしく、楽しかったから食べ過ぎてしまった。反省している」

つい、と少し視線をシモンから外しすナナ。

相変わらずの無表情だったが、シモンには何となく顔を赤くしているように見えた。

「…っぷ。あははは!」

それが可笑しくて、シモンは笑ってしまった。

なぜシモンが笑ったのか、ナナはに理解できないようで、少し首を傾げていた。

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