第9話

暗くなった夜の街。

屋台や酒場からは酔客らの騒ぐ声が響いている。

酔いが回れば喧嘩や騒ぎの一つ二つは当たり前に起き、それを肴にまた酔いを深めていく。

陽気に酒を楽しむ者たちもいれば、渋い顔を突き合わせてチビリチビリと飲む者もいる。

そして中には、いつもの連中が座っている席に、いつもの時間になっても姿を現さなくなってしまうこともある。

今日はたまたまかもしれないし、明日以降にもいないかもしれない。

そうして、その席にはまた違う誰かが座るのだ。

それは酒場の席だけの話しではなく、飯のタネにも言えることだ。

スカベンジャーにとっての飯のタネである遺物や、ハンターにとっての飯のタネはバケモンだ。

それらは今、少ないパイの奪い合いと化そうとしている。

いや、パイはこの大地に山ほどあるのだ。

町から遠い場所に。

しかし、それらへと手を伸ばそうとすると、危険度が跳ね上がる。

パイを取ろうと手を伸ばし、バケモンやサッキに噛みつかれてはたまらない。

本当の強者になると、そういった障害を乗り越えて行くが、全員がそうできる訳ではない。

酒場に居る者も、屋台の周りに居る者もみんな、目を光らせている。

酒を楽しみ、喧噪を楽しみながらも、ここは一種の戦場なのだ。

情報戦という名の。


そんな喧騒から離れた、町の一角にあるボロボロの酒場跡。

酒どころか扉さえ誰かに持っていかれて、何も残っていない店の奥。

商品の保管に使っていたらしい小部屋の隅に、地下室への扉がある。

この店の持ち主が、何か後ろ暗いことにでも使っていたのか、それとも純粋に倉庫として使っていたのかはもはや分からない。

その地下室が、シモンのねぐらだ。

2年前にシモンが世話になった人物と共に確保し、居住可能なように整え、共同生活していた。

今はシモン一人で暮らしているそこへ、やっと帰ってきた。

「…ふぅ」

シモンは思わずため息をついた。

ボロボロだった服を着替え、人心地ついた。

着替えのために使っていたスペースが狭く、いつもと違う左腕のせいで少々手間取ったが何とかなった。

ゴソゴソと、棚や一人用ソファで作った即席の着替え場所から這い出る。

目の前には見慣れたはずの自室が、一つの要素のせいで見慣れない光景と化している。

その原因は、シモンの恩人であり、どこか変わった雰囲気を持った少女ナナだ。

ちょこんと大きめのソファに座ったナナの目線は、目の前のテーブルに向かっている。

正確には、テーブルの上に所狭しと並べられた食料たちへ。

三人組に追いかけられる前にも食べていたダマ肉の串焼き、カリカリに焼かれたパン、野菜の焼き物などなど。

それにビンに入った炭酸ジュースも。

ここまでの散財、しかも料理へなどしたことがない。

それもこれも、命を助けてくれたナナへのせめてもの恩返しだ。

軽くなった財布はもう気にしない。

というよりも気にする必要がなくなってしまった。

シモンは移動させたソファを元の位置、テーブルを挟んでナナと向かい合うように置き直した。

「ごめんごめん、えっとナナ…?お待たせ。ちょっと手間取った…よ」

じーっと音がなるか、視線で穴が空くのではと思うくらい見つめるナナに、シモンは少し引いてしまった。

(そんなに腹が減ってるのかな…。まあ確かに俺もハラペコだけど…あれだけ肉を食ったのに)

命のやり取りをしたからか、それとも別の理由か。

とにかく腹の虫からの矢の催促に、早急に応える必要がある。

こちらの声と視線に気づいたのか、やっと食料から目を離したナナは相変わらず無表情だ。

食料へと熱視線を向けていた最中さえも表情が変わることがなかったところを見ると、そういう訓練を積んでいるのだろうか。

しかし、シモンへと向けられる視線には、どこか催促の感情が乗っている気がして、まったくの無表情の彼女にも感情があることが分かる。

「…いい。…待ってない」

そんなことを言いながら、また視線はテーブルの上に注がれている。

何とも無防備に見えて、先程の冷静な彼女よりも幼い印象を受けてしまう。

シモンは苦笑を浮かべながら、自分もソファに座る。

左手でジュースが入ったビンを取り上げると、王冠を親指で弾いた。

上手くできるかと少し不安に思いながらも挑戦してみたが、杞憂だった。

ポンッと小気味良い音を立てて飛ぶ王冠を、右手でキャッチする。

ジュワジュワと炭酸が音を立て、泡がせり上がってくる。

それをナナはただ見ているだけだった。

「どうしたんだ?ナナへのお礼なんだから、遠慮せずに食べてくれよ」

じゃないと俺も食べれないし、という言葉は飲み込んだ。

それくらいの常識はシモンにもある。

というより、そう教えられた。

シモンの言葉に促され、ナナもビンへと手を伸ばした。

栓抜きなどという高尚なものはないので、ナナにはナイフで開けてもらうか、シモンが代わりに開けようかと声をかけようと思ったが、その心配は無用だった。

驚いたことに、ナナもまた王冠に親指を引っかけ、弾き飛ばして見せたのだ。

手の中に受け止めた王冠を誇るでもなく、テーブルの上に置くナナ。

それを見てシモンは、

(…んん?)

と心の中で唸った。

彼女も素手ではなく、グローブを嵌めている。

だが、少女の指の力で、金属性の王冠を簡単に弾き飛ばせるのだろうか。

自分は左手の事情が事情だ。

大の大人を数メートル殴り飛ばし、銃弾を掴み取れる性能の機械式の甲冑とでも言うべき代物が付いている。

些細なことだったが、何故か引っ掛かる。

(…いや、それがどうしたんだ。腹が減ってるから変なことを考えるんだ。今は目の前のごちそうを優先しよう)

そう言い聞かせ、シモンはジュースをナナに向けて突き出した。

「ナナ、乾杯しよう」

ナナは一瞬戸惑ったようにビンをふらふらさせていたが、シモンの突き出したのビンに合わせて前に出した。

キンッという澄んだ音が響き、シモンはビンに口を付けた。

グビリと中身を口に含むと、炭酸の刺すような刺激と、強い甘みを楽しむ。

そうして、料理に手を伸ばした。

ナナも串焼きに手を伸ばしていたので、もう遠慮する必要はないだろう。

まず最初は芋の揚げ物を掴み、口に放り込んだ。

適当に切った芋を揚げて、塩を振っただけの物だが美味い。

サクリとした衣とホクホクの中身、すこし焦げた部分のザクザクとした食感が楽しい。

「…シモン、これは何?」

グビリと口内をジュースで洗い流していると、ナナが一口食べた串焼きの肉を見つめながら尋ねてきた。

これ、というのは何のことかと思ったが、どうやら肉のことを言っているようだった。

「これ…って、ダマ肉のことか?もしかして、口に合わなかった?」

焼き加減や鮮度に問題でもあったのだろうか。

そう思って聞き返してみたが、どうやら違うらしく首を横に振られた。

「…ダマって、なに?」

その質問に、シモンは答えに窮した。

ダマというものが何か、と問われるとは思っていなかった。

彼女が知らない、ということは無いだろう。

現在の人類が生き延びられているのは、ひとえにダマのおかげと言って過言ではない。

崩壊した世界に生きる人類の空腹を満たし、あるいは労働力として使われている彼ら。

肉はもちろん、皮も角も、骨や内蔵さえも使い道がある。

ハンターによって狩られ、捕らえられるダマは今を生きる人ならば必ず目にし、その恩恵を知っている。

(何か、テストみたいなものなのだろうか…?)

ナナを見ても相変わらずの無表情で、意図は読めない。

もう一度グビリとビンを呷ると、シモンは答えた。

「ダマっていうのは、四足歩行で草食性のバケモンの総称で…。角のあるなしはまちまち、体長は2~3m…あとは…肉が美味い…てこと、かな。俺が分かることは」

知っていることを説明するだけなのに、頭で考えることと口に出すことがこうも違うものだっただろうか。

頭の中で組み立てた説明が、口から出そうとすると消えて行ってしまった。

普通に喋る際にはなかった感覚に戸惑い、言葉尻が窄んで行ってしまう。

何となく気恥ずかしくなってしまい、それを誤魔化すようにシモンも串焼きを引っ掴み、大きく噛み付いた。

少し冷めてはいるが、まだ仄かに暖かい肉は十分に美味い。

ナナは、そのシモンの様子をじっと見つめていたが、しばらくしてまた肉を食べ始めた。

あんな説明で納得したのだろうか、それともそんな意図はなく、ただ何となく言ってみただけなのだろうか。

シモンはナナの様子を見たが、その小さな口で少しづつ食べ進めていくだけで、質問を続けたりする素振りはなかった。

串焼きの次にパンを手に取った彼女を見て、シモンも慌てて次の料理へと手を伸ばした。

折角のごちそうをしっかりと堪能しなければもったいない。

それからは二人とも無言で食べ進めた。

肉を食べ、パンを頬張り、焼き野菜を齧り、ジュースを飲む。

しばらくして、ナナへの礼として奮発した料理たちは、すべて二人の胃袋に収まった。

シモンは「ふう」と満足げに息を吐き、ソファの背に身体を預けると腹を撫でた。

この段になって、シモンはやっと心から落ち着くことができた。

ナナへの警戒心はもはやない。

共に食事をしていても、なにも仕掛けてこなかったからだ。

腰のホルスターやナイフに意識を向ける素振りをチラとでもしなかった。

そうしてリラックスした様子のシモンへ、ナナが佇まいを正しながら口を開いた。

「…対象の心理状態の安定を確認。プログラムを起動します」

シモンが突然のことに反応しきれないまま、ナナが顔を伏せながら立ち上がった。

キュルキュルとナナの身体のどこからか機械音が鳴る。

「…ナナ!?」

顔を上げたナナの口が開かれ、

『…あー、テステス。聞こえているかな、イカズチのオペレーターくん?』

ナナの口から、明らかにさっきまでとは違う声が聞こえる。

それはどう考えても、成人した男の声だった。

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