第7話

野次馬の集団を掻き分け、潜り込み、走る。

チラリと振り返ると、後ろで三人が同じように野次馬を掻き分けて追いかけてくるのが見えた。

路地裏へと入り、ゴミ箱を飛び越え、右へ左へと路地を走る。

「クソがぁっ!待ちやがれぇ!」

叫び声を上げながら追いかけてくる三人組に、追い付かれないように。

裏から飛び出て、こんどは表通りを走る。

人を避け、ダマ車を避けて走る。

そして、三人組から見失われないように、門へと向かう。

その鬼ごっこが終わりを迎えたのは、シモンが門から出て、廃墟と化した建築物の群れに向かった時だった。

漁りつくされ、拾いつくされた背の低い建物たちが並ぶ通り。

そこには誰も寄り付かず、ただただ建物たちが朽ち果てる時を待っている。

シモンが右に左に曲がり、たどり着いた先はコンクリートの壁だった。

所々にヒビや汚れがあるが、それを見上げるシモンが登れるような高さではない。

そこに乾いた銃声、拳銃特有の甲高い発砲音が響く。

しかし、今回はスキンヘッドの撃った拳銃はシモンに当たらず、地面に虚しく弾痕を刻む。

シモンは振り返った。

「おい、鬼ごっこは終わりだ。ここじゃ、誰も見てねえ。銃を見られる心配もねえ」

拳銃を懐から抜いたスキンヘッド男が、銃口から硝煙の上がる拳銃を右手に構えながらシモンを睨む。

左手にはナイフを持ち、それをシモンに向ける。

「おい、おまえら」

それだけ言って、スキンヘッド男はシモンの方へ顎をしゃくった。

それを見た他の二人は頷くと、シモンの方へとにじり寄ってくる。

「おい、俺らに当てんなよ」

そう言って、足を止めたシモンの方へそれぞれの得物を構て近寄るゴーグル男とバンダナ男。

角材が地面に当たってざりざりと音を立て、鉄パイプが夕日を浴びてギラリと光る。

「こんどこそ、きっちりとトドメを刺してやる」

その様子に、シモンは三人へと不敵な笑みを向ける。

その様子に三人が疑問符を浮かべると同時、シモンは左手から布を取り払い、腕を構えた。

真っすぐに三人へと腕を伸ばし、手の平を向ける左腕に右手を添える。

「へへっ、バカが!こっちが何の策もなく、ただ走り回ってたと思ったのか?この腕を見ろ!」

甲冑のような見た目の左腕が、夕日に照らされてその姿を現すと、二人は踏み出していた足を止めた。

三人組の顔には、疑問符が浮かんでいる。

「…な、なんだ…腕?その腕がどうしたっていうんだ?」

警戒しながらも、特に脅威と感じていない三人に、シモンは腕に力を込めた。

まあ、そうだろう。

なにせ、「あの」力を知っているのはシモンだけなのだ。

その無知が、死に繋がると知らないのだ。

シモンは腕に力を込めながら、腕を変形させようとした。

が、

(あれ、俺はそもそもどうやって…あの光を放ったんだ?)

そうやって、とてつもなく今さらな、そして一番肝心なことに気が付く。

あのグリズの半身と壁を吹き飛ばし、融解させた時はどうしたのだろうか。

まったく思い浮かばない。

(やばい…!)

だが、そのことに気付くのは遅すぎた。

目の前の三人は、シモンの様子に訝しげにしながらも歩みを再開した。

バンダナ男が目の前で、手に持った鉄パイプを振り上げた。

「…へっ、こけおどしか?その腕がなんだって?おい!」

シモンに目潰し玉をぶつけられたことを思い出しているのか、怒りに燃えた表情を浮かべている。

そして、その恨みを晴らせる状況に、喜悦を感じているのだろう。

全力で振り下ろされる、ボルトやナットが取り付けられた鉄パイプ。

その凶器の動きが、シモンの目には酷くゆっくりとしたものに見えた。

ふと、シモンの脳裏にグリズに襲われた時の光景が蘇った。

シモンの頭を目掛けて振り下ろされる鉄パイプと、グリズの強靭な腕と爪が重なる。

「…うあぁっ!」

迫りくる恐怖を振り払うように、シモンの口から雄叫びとも悲鳴ともつかない声が出る。

その鉄パイプに向かって、シモンは左腕を振り上げ、それを弾き返す。

「…おわぁっ!?」

あの時は、自分と相手の体格差で一方的に吹き飛ばされたが、今回は違った。

パカン、という甲高い音と共に、鉄パイプが空へ向けて吹き飛んだ。

反対に、シモンの方にはほとんど衝撃も痛みもない。

グリズの腕力でも無傷だった左腕には、この程度なんの支障もなかったが、相手はそうではない様だった。

あまりの威力にか手から鉄パイプがすっぽ抜け、持っていた本人も後ろへと倒れる。

倒れたバンダナ男も、それに続こうとしたゴーグル男も、後ろで見ていたスキンヘッド男も、唖然とした顔でシモンを見ている。

「…なんっ!?」

そんな間抜けた声を上げたのは三人の内、誰だったのか。

シモンはその光景を見て、すぐに動き出した。

三対一の状況でシモンが勝てるとしたら、今しかない。

そう考えたシモンは数歩の距離を全力で詰めると、バンダナ男へと拳を振り下ろした。

もちろんそれは、左手だ。

振り下ろされた左手が、ドスンと鈍い音を立てて男の腹にめり込んだ。

「ぐぶぅっ…!?」

苦しそうな声と涎を口から出して、バンダナ男が手足をビクリと跳ね上げ、すぐに地面へと落とした。

地面に倒れていた相手へと攻撃していたシモンは、低くなっていた体勢のまま地面を蹴るように動いた。

向かう先は残り二人の内、最も近くにいるゴーグル男だ。

すぐ傍にいた標的は、近くに来たシモンに反応しきれていない。

「…っ!?こ、この…」

そう声を上げるゴーグル男の腹に、シモンは遠慮も躊躇もなく、握り込んだ左の拳を思い切り叩き込んだ。

「ごぼぉっ!?」

メリ、ボキッと嫌な音を立て、ゴーグル男の身体が二つに折られながら吹き飛んでいく。

そのまま、壊れた人形のように地面に倒れたまま、ピクリとも動かなくなる。

普通の人間が思い切り殴りつけたのとは、ましてシモンのような少年がしたとは思えない光景に、残されたスキンヘッド男は口をあんぐりと開けて驚愕している。

あまりの驚きに、銃を撃つことも、ナイフを構え直すことも忘れているスキンヘッド男。

その姿を見たシモンは、すぐに駆け寄ろうとするが、

「…お、な。く、来るなぁっ!な、なんだそれっ!?な、なにを、どうなって!?」

流石に身の危険からか、シモンの動きに気付いたスキンヘッド男は銃口をこちらに向けながら喚く。

そして、躊躇いなく引き金を引いた。

軽く、甲高い銃声が何発も上がる。

そのほとんどはシモンの身体を捉えることなく、地面や壁に食い込む。

だが、発射した内の一発だけが、シモンの身体に届く。

そのはずだった。

その一発が、シモンの左手に阻まれなければ、の話だったが。

左腕が、その手の平を前に、スキンヘッド男へと広げられ、シモンの頭へと一直線に迫る銃弾を掴み取った。

チュン、と情けない音を上げ、必殺のはずの銃弾は手の内であっけなく動きを止めた。

「…は?」

スキンヘッド男が思わずポカンと口を開ける。

しかし、それはシモンが意図した動きではなかった。

(左腕が、勝手に…動いた?こいつはやっぱり…)

前から…あのグリズとの一件の時から、薄っすらと浮かんでいた「ある考え」が浮かんでくる。

そう疑問を持ちながらも、今はそんな事を考えている場合ではないと振り払い、スキンヘッド男へと近づくシモン。

もう銃弾を撃ち尽くしたのか、射撃を止めた敵に向かい、左手を握り振りかぶる。

そのシモンへの驚愕と恐怖と怒り、それらが混じった顔のスキンヘッド男は、おもむろにナイフを投擲した。

「…あぶっ!?」

普通なら、至近距離に迫ろうとするシモンへと切りつけ、迎撃しようとすると思っていた。

その予想外の投擲に、シモンは左手で受けることも忘れ、身体を無理矢理捻って回避する。

崩れた身体がズサリと倒れ、シモンは急いで起き上がろうとした。

だが、その頭に向けて拳銃が構えられたことで、シモンは動きを止めた。

見上げた先には、こちらを睨む顔。

「…残念だったな、クソガキ。あと一発だけ、残ってんだ」

そう言って、相手は自分を落ち着けるように大きく息を吐く。

この距離と体勢では、もはや回避も左手で掴むこともできないと思っているのだろう。

そして、それは実際に正解だった。

シモンが何か動きをし始める前に、引き金を引く方が早い。

そして、この状況でブラフを掛けてくるとは思えない。

(くそっ…ここまでか)

あの光を撃てないと分かった時。

どうせ死ぬなら足掻けるだけ足掻き、運が良ければ切り抜けられるだろうと覚悟を決めた。

そうして、二人を殴り倒せたまでは良かったが、残念ながらここまでのようだった。

せめて、と銃口越しにスキンヘッド男を睨みつけるシモン。

その視線を忌々し気に睨み返しながら、しかし少しだけ口角を上げたスキンヘッド男は引き金に掛ける指に力を込めた。

銃声が辺りに響いた。

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