第5話

シモンは通路を進んでいた。

気絶から目覚めてから身体の調子が良い。

全身の傷はそのままで、左腕には謎の甲冑っぽいものが装着されているが。

暗闇の中、非常灯だけが頼りの中を進む内に、だんだんと目が慣れてきた。

「…階段は見当たらないな。…開かない扉はいくつかあったけど」

ここまでに2つの扉があったが、どちらも閉まったままだった。

今のシモンには、そういった部屋の探索よりも出口の捜索の方が重要だったので無視していた。

脱出した後、また探索に来ればいいと思ったからだ。

ふと、通路の先に曲がり角が見える。

シモンは何げなく曲がろうとしたが、角の先を覗き込んだ瞬間、さっと身を隠した。

「…っ!?」

一瞬の内ではあったが、その先に見えた2つのもの。

ドキドキと心臓の音が激しくなる。

通路の先に見えた1つは、グリズと呼ばれるバケモンの一種だ。

頑丈で大きな体躯と毛皮、鋭い嗅覚に鋭利で大型の手と爪を持つ、バケモノたちの中でも特に厄介な種だ。

雑食性らしいが肉も好物で、下手な装備で挑めば命はない。

歴戦のハンターでさえ避けて通ると言われ、小さな村なら一頭でも半壊か、悪くすれば壊滅させるほどだ。

その迫力に満ちた巨体を丸め、ぐうぐうと眠っている。

(どうやってここに…?穴から落ちたのか…別の道があるのか?)

そして、目に入ったもうひとつは、通路の先にあった階段だ。

つまり、上に戻る方法は分かったが、行くには目の前のグリズをどうにかするしかない。

シモンは通路の角に身を隠したまま、腰のポーチを探った。

しかし、その手に返ってきた感触に、シモンは内心で舌打ちする。

(…っち。あの時、投げた2つと落とした1つで使い果たしたんだったか)

ポーチの中には、袋が割れないように入れておいたクッション代わりのボロ布しかない。

あとはもう、折り畳みナイフや空のスキットルくらいしか持っていない。

(くそっ、アレを何とかする方法がない…戻って何かないか探して…)

そこまで考えて、ふと寝息が聞こえなくなっていることに気が付いた。

角を覗き込もうとして、嫌な予感を感じたシモンの顔に、生暖かい息が当たった。

「うわぁっ!?」

咄嗟に反応したシモンは、身体ごと後ろに飛んだ。

瞬間、シモンの顔があった空間に巨大な顎が噛みついた。

ゾロリと生えた牙は、シモンの持つナイフよりも鋭く頑丈そうで、それを至近距離で見たシモンの全身からブワリと冷や汗が出る。

爛々とした射抜くような目、獲物を見つめる捕食者の目が、こちらを見つめる。

シモンは体勢を立て直すと、通路をシリシリと後ろに下がろうとする。

グリズは様子を伺いながらこちらに威嚇の唸り声を上げている。

どうやら、シモンが奇襲を避けたことに警戒しているらしい。

(…どうするどうするっ!?考えろ!背中を見せて逃げるのは問題外だ、すぐに追いつかれてバッサリだぞ!?)

シモンは必死に考える。

それが無駄と分かっていても、思考を止めなかった。

だが、すぐに時間切れとなった。

痺れを切らしたか、シモンに対抗手段がないことが分かったのか、グリズが勢いよく走りだし、爪を振りかぶった。

頑丈そうな、巨大な鉤爪。

シモンの持つナイフどころか、下手なサバイバルナイフよりも大振りで、鋭利なそれが迫る。

それに対し、何故そうしたか自分でも分からないが、シモンは左腕で防ごうとした。

グリズが右腕で攻撃しようとしたからか、それとも左腕には妙ではあるが甲冑がある分、マシだと思ったからか。

結果的には、シモンは数メートル吹き飛ばされた。

「ぐえっ!…っぅ!」

どしゃり、と音を立てて仰向けに倒れるシモンと、それに追撃しようとするグリズ。

その時、シモンは後になってもどうしてか分からない行動に出た。

グリズの一撃をまともに受けたはずが、何の損傷もない左腕。

それを持ち上げて真っすぐに伸ばし、上半身だけを起こして、手の平をグリズに向かって突き出したのだ。

それは、グリズへの恐怖と拒絶の意志が現れた故の行動だったのだろうか。

その行動に意味はなかった。

普通ならば。

気の動転したシモンは最初は気付いていなかったが、突き出した左腕に変化が訪れ始めた。

肩のスリットがカシャリと開き、内部から吸引用ファンがせり出てくる。

二の腕のスリットも展開し、内部から冷却機構が顔を覗かせる。

前腕部が変形すると、簡易型の照準装置が上部に展開する。

そして最後に、掌部分がカシュンと音を立てて砲門が現れる。

各部の変形しなかったスリットの緑色が、仄かに点滅する。

肩部のファンが高速で回転を開始し、周囲の「なにか」を吸引し始めた。

その掌に空いた砲門から見えるのは、周囲の暗闇を払う眩い光。

それに警戒してか、少し突進速度を落としながらもこちらに来るグリズに、シモンは絶叫した。

「ぐ、う…うわあああぁぁぁぁぁぁ!」

その声に反応したのかどうか、左腕から光が弾ける。

瞬間、音が絶えた。

目の眩むような凄まじい光と、バチリバチリという激しい音に、シモンは目の前で起こったことを認識できなくなる。

何かとてつもないことが起きている事だけは確かで、グリズに叩き殺されたり、噛み殺されていないことは確かだ。

その光の眩しさに反射的に目を閉じたシモンが、光と音の途絶えた後に目を開けると、あと数十センチの距離にグリズがいた。

いや、グリズの残骸と言っていいだろう。

その巨体の右半分が、完全に無くなっている。

断面はブスブスと焦げ、辺りに嫌な臭いを漂わせている。

ドスンと重い音を立てて倒れるグリズの姿に、シモンは腕を下げるのも忘れて呆然としてしまった。

「…は。なんだ…これ」

今日何度目か分からない、間抜けのような声と言葉を発し、しばらく座り込んだまま固まってしまっていた。

シモンの目の前、グリズの先にあった壁。

それが融解した部分が脱落し、ゴトンッと大きな音を立てて、大穴が空いた。


グリズの半身を消し飛ばし、壁を融解させたあと。

シモンは呆然として、フリーズさせた頭を復帰させるのにしばらくの時間を要した。

「これ…俺が。…この甲冑がやったのか…?」

シモンはゆらゆらと立ち上がり、あまりの出来事に頭をふらふらとさせながら呟いた。

左手を見るシモンの目の前で、変形した左手の所々が開放され放熱している。

しゅうしゅうと細い煙がしばらく上がり、唐突に左手がまた変形し始める。

カシャリ、カチリカチリと小さな音を立てながら出っ張りが引っ込み、開いた部分が閉じていく。

最後に手の平の開閉部が閉まると、元の形に戻っていた。

「どうなってんだ…これ」

シモンはポカンと口を開けながら、それだけしか言えなかった。

恐る恐る、右手で左手を触ってみる。

「…あっづ!?」

右手に伝わる凄まじい熱さに、シモンは直ぐに手を離した。

かろうじて火傷はしなかったが、右手にふうふうと息を吹きかけ、ぷらぷらと振るって熱を逃がす。

「フーッ!フーッ!…っくそ、なんなんだよ、これ。訳わかんねえ…」

思わず泣き言のような声を出すシモン。

しかし、その熱への驚きで意識をはっきりさせることができた。

シモンは極力、左腕を身体から放すようにしながら歩き出した。

ほんの数メートル先に転がるグリズの躯に近づくと、その巨体の断面を確認する。

黒く炭化した肉や毛皮がブスブスと音と煙を出し、嫌な臭いが鼻を突く。

そして、それはその奥の壁も同じだ。

壁材が溶けて変形・融解してしまっている。

流石にそこには近づいたりしようとは思わず、通路の先へと進んでいった。

「訳わかんねえけど…あれを、俺が…この左腕がやったのか。これが…」

進みながら呟く。

左腕を見て、次に振り返り後ろの惨状を見る。

その光景に、改めて身震いした。

シモンの顔に浮かぶのは、にやりとした笑みだった。

振り返るのをやめ、階段に向かいながら左手を強く握りしめる。

「やっと手に入れたんだ…!力を、あんな思いをしなくて済むような、俺だけの力を!」

強く強く握りしめた手が、グリグリと硬い音を立てた。


奥に見えていた階段は、幸い塞がっていなかった。

階段を上る。

今までの経験や聞き耳のおかげで理解した、「B3」や「B1」といった表記の階を通り過ぎ、「1F」へと上りきる。

上りきった先に出た場所で、シモンは周りを見回した。

「ここは…この扉、見覚えあるな」

階段から出たシモンの前には小部屋があり、正面には見覚えのある自動扉があるのみだった。

どうやらシモンがビルに入った時に無視した、自動扉の向こう側らしい。

扉が何とか開かないものかと、扉の窪みに手を引っかけて力を入れてみた。

ズッ、ズッと重い音をしながら、まぎれもなく動いている。

そのまま空いた隙間に手を差し込んで同じように引っ張ると、何とか小柄なシモンなら通れる隙間ができ、身体を捻じ込んだ。

「ぬぐぐっ!…むむっ!…おりゃっ!」

掛け声と共に力を入れて、シモンは見覚えのある広い空間に帰ってきた。

あの忌々しい大穴はもちろん、カウンターや座席もそのままだ。

シモンは身体を屈めながら周囲を見渡し、耳を澄ませた。

何の動きも見られず、物音もしない。

「あいつらは…居ないようだな。さっさとここを出よう…」

そう確認して、シモンは山ビルを出た。

途中であの大きな音が鳴っていたが、シモンはもう驚くこともなく、振り返ることなく町に戻って行った。


…ブオオオオオオォォォォォォォ…ン…

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