第一章

第1話


ズキリズキリと痛む左手に右手をそえて、一人の少年、シモンは奥歯を噛みしめうずくまった。

身に纏った衣服は元々が粗末なものだったが、今はそこかしこに穴が開いている。

かろうじて形を保っていると言ってもいい有様だ。

しばらく地面にうずくまりながら震えていたシモンは、ゆっくりと体勢を伸ばしていく。

噛みしめすぎて血の味のする口内の唾を何とか嚥下して、荒い息をつき、体をふらつかせながら立ち上がった。

体の中で唯一、痛みの感覚がない左腕を確認して、シモンは後悔した。

「…酷い有様だな。」

ぽつりと呟いた他人事のような言葉は、まるで老人の様にかすれている。

左腕は言葉の通り、酷い怪我だ。

キズを負っていないところを探すのが困難な程で、大小さまざまなスリ傷や打ち身と血で、赤や紫に変色してしまっている。

極めつけに親指と前腕は折れている、というより親指に至っては真後ろまで折れ曲がっている。

動かそうとすることもできず、シモンはもう左手を諦めた。

おそらく治療するには、かなりの金額になるだろう。

そんな金は、シモンの財布と寝床をひっくり返しても出てこない。

身体か内臓でも売れば捻りだせるだろうが、そうする訳にもいかないし、したくはない。

だらりと下げた腕を庇いながら、どうしてこうなったかを思い出し始めた。




シモンはある日、穴場の噂を聞いた。

といっても情報屋に金を払ったわけでも、情報通の知り合いから聞いたわけでもない。

そんな金など財布を逆さにしても出てこないし、そんな知り合いなら自分が紹介して欲しいくらいだ。

行きつけの安くて不味い、大ネズミ鍋を売っている露店の店先で、器の中身を掻き込みながら聞き耳を立てていただけだ。

下層民御用達の大ネズミは、言葉通り大きな身体を持ったただのネズミだ。

体長は小さくても50cmほど、大きいもので1m50cm。

そのネズミの肉のぶつ切りと野菜の切れ端などを煮込んでいる、財布にやさしく舌にやさしくない露店料理だ。

そんな料理を出来るだけ味わうことなく、流し込みながらの聞き耳の相手は、同じく露店の前で器を持った男三人組だ。

ただでさえ辛気臭い顔を、さらに深刻そうにして顔を突き合わせて話している。

「町の裏手にある山ビルの辺りなら、ビルが崩れるのを怖がって誰も漁りに行ってねえんじゃねえか?」

そう言って器の具を頬張り、その不味さに顔をしかめながら、スキンヘッドの男が仲間に話しを振っている。

山ビルというのは、町から歩いて20分程のところにある、ここらで一番巨大な超高層タワービル跡のことだ。

それが昔に経年劣化か何かで真ん中から真っ二つに折れ、三角形を形作ったことからそう呼ばれている。

スキンヘッド男は、周りの喧噪に隠れるくらいの声で他の二人に話す。

「したらよ、今みたいに遺物の取り合いだの、シマを荒らしただの揉めごとに首突っ込まず、がっぽり稼げるんじゃねえか?」

スキンヘッド男はどうだ、いい考えだろうと得意顔をする。

が、他の二人、頭にゴーグルをかけた男と首にバンダナを巻いた男は、鍋の味にしかめた顔を見合わせると、ため息を吐きつつ口を開いた。

「確かになあ。この辺のは、みいんなネジ一個、ケーブル一本まで取りつくされちまって、後はもっとあぶねえとこに行かねえとおまんまの食い上げだがよぉ」

と同意するような言葉を、どう見てもそうは見えない顔で言うゴーグル男。

「そんなとこに潜って、もしバケモンどもやサッキに出くわしたらどうすんだ?ビルが崩れたらどうする?どっちにしろお陀仏だろ」

バンダナ男は直接的にスキンヘッド男の案にダメ出しした。

乗り気でない二人の文句にスキンヘッド男は、にやりと笑って顔を二人に近づけ声を潜める。

「これは商人の護衛やハンターしてるやつに聞いたんだが、山ビルの上からデカい風の音が鳴るんだと。それが嫌でバケモンどもは近寄らねえらしい」

スキンヘッドはにやけながら話を続ける。

「バケモンどもは耳が良いからな。でけえ音は嫌がるだろ。サッキどもの順路にも引っ掛かってないらしいぜ」

コソコソと話していた言葉がどんどんと熱を帯び、声も大きくなる。

二人の顔つきが少し変わったのを見て、勝機を掴むためにスキンヘッド男は早口で捲くし立てる。

「それに、ビルが崩れたのは俺らの生まれるよりもっともっと前だろ?今まで大丈夫だったんだ、ちょっと潜るぐらい平気だろ」

それだけ聞いていれば十分だった。

なおも話す男たちから自然に離れていく。

シモンは器の残りをがぶりと平らげると、するりと人込みの中に潜り込んだ。

向かう先は山ビルだ。

シモンはニヤリとほくそ笑んだ。

「儲け話ごちそうさん。お宝は俺が貰ってくよ」

いくら周りがうるさくても、シモンの地獄耳はしっかりと会話を拾っていた。

どうにかして力と金を手に入れなければ。

(俺は…力を手に入れなきゃ…。そしたら…)

シモンは駆けだした。


シモンは、スカベンジャーと呼ばれる人々の内の一人だ。

この荒れ果てた世界に住む人々の内、かつての栄華の跡に忍び込み、過去の遺物を拾い、売りさばくことを職にしている人々。

それがスカベンジャー、残骸漁り、遺跡荒しと言われる人々だ。

恐らく、というか十中八九あの三人もそうだろう。

といっても、まだ若いシモンはそう名乗っているというだけに過ぎず、それだけで食べている訳ではない。

それにシモンにできるのは比較的安全な、つまり粗方他のヤツラに漁られたところに潜りることだけ。

わずかに残った残骸を細々と回収して、二束三文で売り払うのが精々だ。

しかし、力も金もコネもないシモンにできる仕事は少なく、低賃金の短期仕事をこなし、その日その日の食べ物すらギリギリでなんとかする日々。

そんな生活を何とかするためには、金と力がいる。

運が良ければ一攫千金、もしかしたら万が一にも何か武器や兵器が手に入る。

だからシモンは、スカベンジャーとしても働いていた。


ざあっと吹く渇いた風。

そこに含まれる土ぼこりが目に入らぬように手で防ぎ、シモンは上を見た。

シモンの視界を通る、巨大な横倒しのビル。

シモンは山ビルの下に来ていた。

あのスキンヘッド男の言う通り、バケモンにもサッキにも出会うことはなかった。

「バケモン」とは、過去に作られた動物兵器、その末裔たち。

成れの果て、子孫たちだ。

「サッキ」は殺戮兵器の略、つまりは自動で動く暴走した機械兵器たちだ。

どちらもシモンどころか、人類全体にとっての脅威。

人類にも、それらに抵抗する手段はある。

その手段とは、銃や兵器だ。

だが、シモンには買えない、手に入っていない。

シモンどころか、そこらの底辺スカベンジャーではパーツの一つを買うにもかなりの時間がかかるだろう。

買うよりも拾う可能性に望みをかける方がマシかと思ったこともあったが、そういったものを拾えるのは軍や警察という組織が使っていた施設を探索しなければいけない。

そして、そういった施設では大抵、サッキどもがうようよしている。

バケモンやサッキを倒すには銃が必要で、銃を拾うにはそれらを倒さなければいけないというジレンマ。

だからこそ、こうした穴場で稼ぐことでしか、銃を手に入れる近道はないのだ。

「…さて、どんなお宝が拾えるかな」

シモンはそろそろと入り口に近づいた。

いやに静かだ。

コンクリートの地面の上に砂が広がっている。

その上を歩くと、足元でざりざりと音が鳴る。

あと10メートル程か。

その時、シモンの頭上で凄まじい音が鳴った。


…ブオオオオオオォォォォォォォ…ン…


「うわっ!?」

慌ててビルの入り口に飛び込み、壁を背にして身を縮こめる。

また外で、あの大きな音が鳴る。

何かの咆哮かと思いしばらく待っていても、何も起きない。

シモンはホッとため息をついて、恐る恐る体を起こした。

バケモンかサッキが出たのか、と思ったからだ。

これがスキンヘッド男の言っていた風の音なのだろう。

「まったく…。まあいいや、さっさと探索しよう。本物が出る可能性もゼロじゃないんだ」

そう独り言ちて、音に急き立てられて入った周りを見渡した。

広くて天井が高い、最初にそう思った。

入り口から見て正面にカウンターがあり、シモンの足元からそこまで通路のようになっている。

通路の左右にはフロアいっぱいに椅子が並び、カウンターの奥には大きな階段がある。

どれも広くスペースが取られていて、かなり開放的だ。

それらすべてが年月の移りによって錆び、汚れ、崩れている。

シモンは座椅子を左右に見ながら真ん中の通路を通っていく。

きょろきょろと視線を移し、何かないか探しながら歩くが期待できない。

目に付いたのは、アタッシュケースと手提げカバンの2つのみ。

それでもとケースに飛びつくように近づき、開けてみたが中には紙ばかりだった。

薄汚れてはいるが、紙も売れば小銭にはなる。

だが、求めている「お宝」とはいえない。

カバンもほとんど同様だった。

「くそっ…。なにか…。ん、あれは…?」

途中に見つけたのは、求めている物ではなく大穴だった。

覗き込んでみても暗闇ばかり。

石ころを投げてみても、分かるのは落ちたら死ぬことだけ。

シモンは、さっさと見切りをつけて歩き出す。

フロアの奥まで行き、カウンターの上や裏にも目を通す。

「あっ!」

そこにあった何かを見た瞬間、シモンはそれに駆け寄り手に取った。

カウンター裏の物を置いておくスペースにあったのは、小さく平べったい黒い板だった。

シモンの手に収まるサイズのそれを、様々な角度で確認する。

「これは…、何かの部品…か?いや、スマートフォン…?ってやつか。」

それは確か遥か昔、世界がこうなる前に流通していた通信機器。

人類の栄華の証。

そして、失われてしまったモノの一つ。

今では通信施設は失われ、誰とも通話はできなくなってしまった。

一応充電することはできるため、ただの板切れではなく何かしら用途はあるし、分解すればパーツを売れる。

少なくとも、ただの紙束よりはまともな拾得物に、シモンはホクホク顔でポケットにしまい込んだ。

「よし、二階に行くか」

他にも開かない扉があったが、時間の無駄になる。

電気式の扉の見分け方と対応の仕方は、今までの経験ですぐに分かった。

発電施設も建物の予備発電も期待できない状況。

となれば時間の無駄をする必要はなく、無視一択だ。

階段を上るとそこにあったのは通路と壁、いくつかの扉だった。

見たところ、幸いにも電気式ではなく手動だ。

しかも、それらはしっかりと閉まっている。

先に誰かが探索していたとしたら、わざわざ扉を閉めるとは考えられない。

中には開けっ放しの扉もあったが、何かがいる気配はない。

ということは、本当に手付かずなのだ。

さっきのカウンターは、先に侵入した誰かが見逃していた可能性もあり、まだ信じきれなかった。

「あのスキンヘッド、禿げてるだけあって案外いい読みしてたんだな…」

少しばかり失礼なことを考えながら、ウキウキと扉に近づくシモン。

ガチャリと開けて、逸る心を鎮めながらしばらく離れておく。

空気が入れ替わるのを待っているのだ。

こういった長年閉まっていた部屋は、空気がどうなっているのか分からない。

ヘタに吸えば肺がやられる。

「もういいか…、おおっ!?」

部屋の中にあったのは、いくつかの机や椅子、棚とそれにぎっしり入った書類。

そして、パソコンだ。

それを見て、シモンは小躍りしそうになった。

パソコンは金になる。

こういった電子機器系は、町にとって重要視されている。

さらに、一部のスカベンジャーやハンター、傭兵に運び屋など、欲しがっている人間は数多い。

「…っやった!これを売れば!」

デスクトップと呼ばれる大きいものは嵩張るし重い。

ノート、またはラップトップと呼ばれるものは持ち運びやすく、軽い。

だが、値段はデスクトップの方が上だ。

ここに置いてあるのは、すべてデスクトップだった。

運び出すのに苦労はするだろうが、町に持っていけばかなりの大金になる。

他にも机の引き出しやキャビネットにも、色々と価値あるものが入っているだろう。

さっそく、この宝の山たちをどう運ぼうかと幸せな悩みを浮かべた直後、耳に届いた音にシモンは後ろを振り向いた。

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