黒く塗りつぶされた記憶

██

第█話

「神社の茂みでね、黒い怖いのを見たんだって」





 私は柊秋乃ひいらぎあきの。ミステリが大好きな中学二年生。今日も珍妙な事件を夢見つつ、いつもどおり平凡で退屈な朝の通学路を歩いている。そしてこれまたいつもどおり通学中の柴田塔子しばたとうこと合流した。大体7時15分。

 いつもと同じ場所、いつもと同じ時間だ。


 いつもとちょっと違うのは、柴田が木村さんを介抱していることだ。まじめでちょっと気の弱いメガネ女子の木村さんは、狭い歩道の上で電柱の横にうずくまって泣いていた。どうみても通行のじゃまだ。人通りも少ないし大丈夫だとは思うけど。


「柴田の気を引きたくて泣いてんじゃないの?ほっときなよ」

 

 私はちょっと意地悪を言ってやった。早く昨日貸した漫画の感想が聞きたいのだ。柴田を私に返してくれ。


「言い過ぎだよ秋乃。それに神社で黒いのを見たのは木村さんだけじゃないみたい」

 

 よく見ると電柱の後ろに男子が立っていた。


 柏木流星かしわぎりゅうせいだ。

 イケメンでスポーツ万能、そこそこ勉強もできる人気者。

 本人は小説好きを自称してるけど、私の知る限りコイツはSFしか読んでない。

 小説好きならミステリも読めよ!


「黒いやつ俺も見たぜ。無明神社むめいじんじゃだろ」


 なんでアンタが知ってんのよ


「そりゃ無名神社はうちの隣だからな。夜遅くに見ると最近時々みたいなんだ」


 柏木は両手を頭の横に掲げて口を開け、だらんとしてみせた。オバケのポーズだ。


「バカっぽい。オカルト小説の読み過ぎじゃないの?」

「バカはお前だド素人。あれはSF。オカルトは柴田がよくやつだろ」

「よく、ね。私、小説は苦手だからアニメとか漫画しか見ないの。

 で、木村さん?無明神社のどのあたりで黒いやつ見つけたの」


 柴田は幼馴染で私の一番の友だちだ。

 目鼻立ちの整ったキレイな顔、すらっとしてスタイルのいいからだ、私が必死に勉強しても追いつけない驚異の学年一位の成績と、みんなが欲しい物を全部詰め込んだような「お嬢様」。服装も大人っぽくて彼女をよく知らない女子はみんな柴田に憧れている。

 けれど、コイツはコイツでせっかくもらった(私の倍ぐらいある)お小遣いをオカルト趣味につぎ込んで散財し、妙ちくりんな本やアイテムを買い集めてしまう変な女の子なのだ。

 いちおうミステリは知っている。読むのはめちゃくちゃに遅いが貸した小説はちゃんと読んでくれる。

 とてもいいやつだ。


「おやしろの右のほう…。なんか空気もピリピリしてて、すっごい怖かった」

 木村さんは落ち着いて泣くのをやめたみたいだ。無明神社からここまで走って逃げてきたんだろうか。それからここにへたれこんでずっと泣いていた?


「木村さん、その黒いのってってことよね?」

「え?…あ、うん」

「柴田、いくよ」

「へ?」


 私はすぐ立ち上がって、柴田を連れて走り出した。


「ちょっと、どこ行くの!?学校反対側だよ?」

「黒いの、見に行くのよ」


 柴田は私に右手を引っ張られたまま、必死に走ってついてくる。

「柏木くんは夜見たって、言ってたけど?」

「あんなヤツの言うことガセよ!ガセ!」


 私達はすぐに無明神社に通じる路地の一つにたどり着いた。


「柴田はここから無明神社の境内に向かって。不審者とかだったら迷わず逃げてね」

「え、ちょっとどういうこと?」

「挟み撃ちにするから。私は東側の路地から行くわ」


 無明神社はコの字型の道路の奥にある神社だ。

 北東の出入り口を通って北西から南東に敷かれた道路に出ると、北西から南西に向かって出ていく西側の路地と、北東から南東に出ていく東側の路地のどちらかを通らない限り大通りに出ることはできない。それ以外の場所はすべて住宅に囲まれていて、猫でもない限りさっきの2つのルート以外で脱出することは不可能だ。


 黒いやつがまだ無明神社から脱出していないなら、西側と東側の路地を使って二人で挟み撃ちにできるはずだ。


「じゃ、神社で合流ね」

 そう言って私は東側の路地へダッシュで向かった。





 神社の境内からはみ出る木々のせいで路地は若干薄暗い。私は不審な影一つ見逃さないように慎重に無明神社へ向かった。


そのとき。


左側の塀の上をサッと黒いものが通った。

(え…な、なに?マジなやつ?)


ゆっくり左を振り向くと、


茶トラの猫が塀の上にちょこんと座ってこっちを見ていた。


「にゃあ」


「なんだ猫か…かわいいなあもう」


キーンと、どこからか金属の甲高い音が聞こえる。耳鳴りだろうか。


次の瞬間、立ちくらみだろう、なんだか意識が朦朧としてててててててて……












































「大丈夫か」



 目を開けると柏木がそこに居た。

 意識を失った私をとっさに受け止めてくれたのだろうか。柏木が私のまだ力の入らない体を支えてくれている。


 私はしばらく柏木の顔を見つめたままぼーっとしていた。

 柏木はどうしていいのかわからなさそうに、ただ心配だという顔をしてこっちを見ている。


「大丈夫?」

「大丈夫。ちょっと肩かして、1人で立てそうにないわ」

 私は柏木の助けを借りてなんとか立ち上がった。

 肩から手を離して塀にもたれかかる。


 コイツは柴田でもなく木村さんでもなく私を助けに来てくれたのか。都合がいいにもほどがあるな。主人公じゃないんだから。


「あれ、ていうか木村さんは?泣いてる女の子ほっぽって来たの?」

「いや、別のクラスの友だちが通りかかったからそいつに頼んで学校まで一緒に登校してもらうようにした。目の前でへたりこんでる女子をおいていくようなやつじゃないさ」

「キザにもほどがあるわ」


 しかしまあ実際助かった。こいつが来なかったら今頃生きてたかどうかさえ疑わしい。あのまま死んでもおかしくない、そんな気配があった。


「ありがと、助かったよ。来なかったら死んでたかも」

「そんなひどかったのか。なんかの病気か?」

「いや、いい。忘れて。まあどうしても気になるなら後で話すから。

 とりあえず柴田と合流しよう」


 私は多少げんなりしていたが、柏木のおかげで比較的元気だった。割としっかりした足取りで無明神社の前まで向かう。






 神社の前では、どういうわけか柴田が巡査さんに問い詰められていた。

 巡査?どうして警察官がこんなところにいるんだ。


 巡査さんは柴田が学校へ向かわずに神社にやってきたことを不審に思い、不登校などの素行不良を疑って事情を聞こうとしたようだ。私達は事情説明を適当にごまかした。ともかく柴田は私達二人で登校させると言って巡査のおじさんを無理やり納得させた。


「ところで巡査さんは見回りですか?ここで何かあったんですか」

「いや、それが昨日の夜中に賽銭さいせん泥棒を逮捕してねえ。大捕物だったよ。さっきまで神社の管理者さんとそのことでお話してたんだ」

「賽銭泥棒ですか。

 警察の方ってもしかして夜中にしてました?」

私は境内の「お社の右手にある茂み」を指差した。

「そうそう。このあたりの住居の大人の方にはだいたい事情は説明してたんだけどね。君たちは知らなかったかな」



「あと、もう一つ。


 巡査さんが神社の管理者さんと話してたのは境内の中でですか。そのとき柴田以外の女子生徒を見かけませんでしたか」


「妙に具体的な質問だね。

 まあ、話してたのは境内の中だよ。しかしな。誰か探してるの?」



「ありがとうございます。おかげで探しものは見つかりそうです」


 巡査さんも柴田も柏木も首を傾げていたが、私としては優越感でいっぱいだった。私は謎を一つ解いたらしい。少なくとも全貌を理解するためのいちばん大事なピースは手元にある。





「どういうこと?」

「どういうことって何が」

 我ながら意地悪な返答だ。事態の全貌が明らかになって私は有頂天なのだ。


 私達三人は無明神社から出て再び通学路に戻った。

「そもそもどうして秋乃は黒いのを見に行くなんていい出したのよ。木村さんに対しては結構冷たい態度だったし、オカルトも普段から興味ないじゃない」


「もちろんよ」


「どういうこと?木村さんがなにか嘘をついたの」

「ほんとに分かってないの?今日の朝から全部そうだよ。嘘泣きに嘘のオカルト情報。木村さんはさっき黒いのを見たって言ったけど、実際には彼女は何も見ていない」

「どうしてそういい切れるのよ」



「理由は3つよ。


 理由その1。柏木が昨日の夜より前に見た黒いやつの招待は賽銭泥棒を張り込んでいた警察で、警察は昨日の夜中に賽銭泥棒を捕まえて引き上げているから、柏木の見た黒いものと木村が見たと主張する黒いものは別のもの。よって柏木の証言は木村の証言を裏付ける根拠にはならない。


 理由その2。朝から私達に合うまで。無明神社にはお社と手水以外の建物がないから、巡査さんが神社の管理者さんと話すとなると自ずと建物の外で話すことになる。巡査さんいわく二人は境内の中で話していたから、建物の外で境内となるとその位置からは必ず神社の入口が見えるはずなの。

 そして、木村が黒いものを見たというお社の右手の茂みは、神社が塀に囲まれているせいで入口から覗き込まないと見ることができない。


 要するにはずなの。


 しかし実際には私達以外の生徒を見ていない。ここから結論するのは彼女が無明神社には行っていないということ。

 そして、神社に行っていないなら神社で黒いものを見ることもできないわけね。


 理由その3。彼女には無明神社に行く理由がそもそもない。裏付けをするまでもなく彼女の発言は最初から不自然だったのよ。その時点で九割方、彼女が嘘をついていることはわかってたわ。」





柴田はこころなしか悲しそうに見える。

「……そう」


 また私は柴田を黙らせてしまった。

 柴田はこういうときできる限り最後まで相手のことを信じようとする。その分絶望も大きいのに、他人を信じることを諦められないのだ。

 これまでなんどもこういう事があった。それでも他人を信じ続ける柴田はとても強い人だ。けれどその分、負う傷の一つ一つが痛々しく、生々しい。


「でも、どうして木村はそんな嘘をついたんだ」

 黙って聞いていた柏木が口を開いた。コイツは知らないのだ。女子にとって友好関係がどれほどのステイタスになるのかということを。


「木村は結構顔もかわいいし控えめで、男子にはモテるかもしれないけど、あれはファム・ファタルね。1年生の間に淡い恋心を向けてた男子たちの半分ぐらいは弄ばれててられてるんじゃないかしら。今回の件も男絡みね。柴田狙いのイケメンを落とすのに柴田とのつながりがあれば有利になると思ったんでしょう。そういう噂はあるから」


「……それだって、噂でしょ」

 柴田が弱々しく抵抗する。


「まあね。噂は噂。動機なんて100%でわかったりしないわよ。

 けど火のないところに煙は立たないって言うし、何より彼女が嘘をついていたのは事実なの。諦めな。木村と話すのだって今日が初めてだったんでしょう。

 全部が全部に深入りしてたら潰れちゃうよ」


 柴田はそれからまた黙って、通夜みたいな雰囲気で登校した。



 放課後、柴田は学校でこっそりケータイを使って帰り迎えの車を呼んだらしい。明日まではまたそっとしておかないといけないな。





 その日私は柏木と帰った。柏木が私に話したいことがあるというのだ。


「何?告白?それとも私だけをわざわざ追いかけて路地に入ったことの弁明?」

「それじゃどっちも同じじゃないか」

「どうせあれでしょ、私達や木村さんに合う前に西側の通路で警官にあってるから、警官が神社にいるのを知ってて鉢合わせしないように東側の通路から入ったんでしょ。そしたら私がたまたまぶっ倒れてたと」

「まあ、それはそうかな。

 けど話したいのはもっと違うことだよ」

「なに?」


「俺は木村さんが本当に悪いことをしたとは思えない」

「そうね。木村さんがしたことが良いことなのか悪いことなのかは私もわからないわよ。別に警察じゃないんだから。

 私はただの探偵役。事実を明らかにするだけで、それの善悪については関わらないの」


「そういうことじゃない。





 例えばお前は木村さんが「神社の境内の右の茂みに」黒いものをみたと言ったけれど、どうして彼女は警察が張り込んでいた位置をピンポイントで指定したと思う?」



「そりゃ、柏木がうっかり話した黒い影の目撃情報を、自分の目撃情報のリアリティのために付け足したんでしょう」



「俺もそう思う。

 けど、付け足したのは本当に

 木村はお前が来たとき、黒いものを見たのは「お社の右のほう」って言ってた。

 そしてお前が来るより前、木村は話の最初の方で「」で見たって言ってたんだよ」



「どういうこと」



「つまり、木村は実際にんじゃないのか。実際に木村が東の通路に立ち入る必要はないさ。大通りから、黒い影を見たんじゃないか。それを俺や柴田に説明している間に、俺達の知ってる情報と混同して伝わっちまった。

 実際中学二年生にもなったヤツが朝から泣かされるような怖い目にあったんだ。情報が混濁してしまうのも無理のない話だ」


血の気が引いてきた。

私が間違った推論で柴田を傷つけたというのか。


「そんなもんじゃねえ。

 お前は自分が目撃した決定的な証拠を無視して、柴田から木村を引き剥がすように推論をんだ」





「嘘だ」





「嘘じゃない。お前は大事な証拠を無視してる。、東の通路で」



「見てない」



「いいや、見たはずだ。

 しかも俺も巡査も、それから柴田も、西側の通路から大通りに出入りしてたんだ。今朝東の通路を使ったのは俺達だけ。お前はお前しか持ってない大事な目撃情報を無視したんだ。それも意図的にな。」


いやだ、そんな。


そんなの。


「私は黒い影なんて見てない……見たとしても幻覚だ。非科学的だ。私と木村しか見てないんだ。どっちも気のせいだったのよ」



「俺もあのとき見たって言ったら、どうする」



意識が遠のく。




柏木は冷たい目でこちらを見ていた。

崩れ落ちる私の体を受け止めてくれそうな気配はなかった。





次の瞬間…












気を取り直して正面を向くと目の前が真っ黒になった













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒く塗りつぶされた記憶 ██ @tomatome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ