小川でいつまでも‥

@J2130

第1話

 冷たいきれいな水が絶え間なく流れ、そこだけ涼しい空気が吹き、覆いかぶさる緑の木々の下は、まさに絶好の川遊びの場所で、そこで僕は彼に最初に会った。

「ねえ、なにがいるの?」

 ひとし君はキャップをかぶり、半そで半ズボン、靴はウルトラマンの図柄がはいったもので、ちゃんと靴下もすねまできっちりのばしてはいている小学二年生の僕と同じくらいの子供であった。

「かに?」

 川端に置いてあった僕の空色のプラスチックのバケツを覗いて、ひとし君は訊いてきた。

「うん‥、でもすぐに逃がすよ」

 父から捕ってもいいが、小川からの帰りには逃がすようにと強く言われていた。連れて帰りたかったが、

「死んだらかわいそうだろ」

 と父にも母にも言われていたので、バケツには入れるが、別荘に帰るときにはいつも逃がして帰っていた。

 本当に残念だった‥。

「ぼくでも捕れる?」

 ひとし君は川に近づきながら訊いてきた。

「簡単だよ、こっちこれる?」

 なぜか警戒心は起きなかった。自分のかに捕りの楽しみが減るとか、じゃまになるとかは思わなかった。

 一人っ子だし、この別荘地には来たばかりだし、いわゆる別荘族のなかで、こんなちいさな子供がいる家はほとんどなかった。

 ここ軽井沢の別荘地に来ても、父と母はゆっくりと本を読んだり、コーヒーを飲んだりしているけれど、ぼくは夏休みの宿題が終われば川遊びくらいしかやることがなかった。

「いい?この石をひっくりかえすからね」

 僕は母からもらったぶかぶかの軍手のまま小川の少し大きい石を全身の力でひっくりかえした。

「いた、いた!」

 そう言いながら、ひとし君はウルトラマンの靴が濡れるのもかまわず、小川の浅瀬に入り、かにを素手で捕った。

「痛い!」

 そりゃあね、はさまれる。

「はい」

 僕は右手の軍手を脱いでひとし君にあげた

。ひとし君の白い手がそれを受け取った。きれいな手だ。

「ぼく、左きき」

「その手袋は特別なんだ、どっちの手でもつかえるんだよ」

 ひとし君はへえ~っと言いながら、左手にはめて、すぐにかにをつかんだ。

「バケツに入れていい?」

「うん」

 それがひとし君との最初の出会いだった。

高度経済成長なんて言葉は大人になってから知ったが、事業をやっているぼくの父は軽井沢に別荘を買い、夏のお盆の時期にはつねに母と僕とを連れてここに来ていた。

 ひとし君の父親もそのころ同じ別荘地に物件を買い、ひとし君がぼくと出会った日の前日に実は川遊びをするぼくを見つけたそうだ。ぼくとまったく同じ事情でやることもなく、友達になれればいいな、と思っていたそうだ。

「ねえ、明日もくる?」

 ひとし君はちょっと不安そうに訊いてきた。

「うん、宿題終わったし、おとうさんとおかあさんは寝てたり、本読んでたりしているだけだからね」

「やっぱり!うちもそうだよ」

 ぼくらは気が合った。


 翌年も、翌々年もぼくらは小川で会った。

 毎年お盆の時期はいっしょだし、夏休みもあるし、小川は澄んでいた。

 軍手をひとし君も持ってくるようになり、かに捕りだけでなく、遊びも増えた。

 思い思いの葉っぱを小川に流し、どちらの葉が速いか、どこまで流れるかを競うのは面白かった。

「こんなの本に載ってた」

 小学校、五年生のころか、ひとし君はいわゆる笹船を他の広葉樹の葉っぱで作って見せてくれた。

「すごい!」

 ぼくは正直に感動して、すぐに真似して作り、すぐに川に流した。

「葉っぱなんかより、ずっとずっといいよ」

 流れていく船を見ながらぼくはうれしくてうれしくてしょうがなかった。

「本当?よかったよ、調べてきてさ」

 ひとし君は笑いながら、またもう一つの笹船をその白いきれいな手で作り始めた。

「ぼくも作るよ、たくさん作って流そう!」

 ぼくらはいくつもいくつも作って、何度も何度も小川に流し、いつまでもいつまでもその船たちを見ていた。


 中学になってもぼくらは小川で会っていたが、二年生のとき、

「来年は難しいかな‥」

 とひとし君はつぶやいた。

 ぼくらはかわらずにかにをとったり笹船を流したりしていたが、いつからか川辺に腰掛け話すことも多くなっていた。

「お互い受験だもんね‥」

「あのね、僕さ、親が医者だから付属に行こうとおもうんだよね‥」

「医者か‥、そうだったね」

 ひとし君は「仁」と書くことを去年知ったが、父親が「医は仁術なり」ということわざからとったと言っていた。

「会えたら会おう、しょうがないよ、そうゆう関係だし年頃なのさ、お互いにね」

 ぼくはおむすびをバッグからとってひとし君に渡した。このころになると、いちいち別荘に帰るのも面倒なので、お互いの母親が弁当をつくってくれるようになっていた。

 ひとし君も僕に彼のバスケットからサンドイッチを出し渡してくれる。

「そのうちさ、ここでビールとか飲むのかな、俺達‥」

「嫌だね~、おっさんだね~」

 僕らは大笑いした。


 確か翌年は僕も受験だし夏期講習が忙しく軽井沢には行かなかった。高校生になり僕はスキー部に入ったが、夏でも月山で合宿があり軽井沢には行けなくなってしまった。すぐに大学受験だし、結局高校時代には一度も夏に軽井沢にはいけなかった。

 紅葉の時期に何度か行き小川にも寄ったが当然ひとし君はいなかった。思えば彼の別荘の場所も知らないことに気付いた。

 夏に仲良く小川で遊ぶ素晴らしい友人‥。

 また会えるのかな‥。


 文系の大学に入り久しぶりに夏に軽井沢に行った。自動車免許をとったので僕の運転ではじめての遠出であった。

 弁当も水筒も持たず小川まで散歩をした。

 午前の十時くらいか‥。ひとし君はいなかった。そんなもんだよな‥、最後にあったのは四年前だもんな。

 昼食後、また散歩に出た。夏の強い陽射しをさけ、三時くらいにまた小川に行くと当然誰もいない。まだあと二日は軽井沢にいるが、もう来るのはやめようかと思いながら川の流れを見つめると、見たことのある笹船が岩にひっかかっている。同じところをぐるぐると回転している。

 まさかね‥。

 翌日、僕は自分でおむすびをにぎり、缶のお茶を数本買い、文庫本と、あと虫よけを持ち、朝から小川に行った。

 岩に腰掛け水の流れる音を聞きながら本を読んでいた。

「久しぶりだね、やっぱり来てたね」

 バスケットを持ったひとし君が笑っていた。


 僕は四年後に就職し、ひとし君は六年後に無事医者になった。ぼくらは変わらず夏の軽井沢の小川で会い、遊び語りあった。

「結婚するんだ‥」

 僕はひとしに報告した。見たいだろうから婚約者の写真も持ってきた。

「おめでとう、予想通りの美人だね、うらやましいね」

 肩を叩かれた。喜んでもらえたようだ。

「ひとしは?」

「医者はね、独立して食えるまで長いんだよ、まだ先だね」

 翌日、ひとしはビールを持って小川に来た。

「いつか話したよね、そのうちビールをここで飲むかもってさ」

 缶ビールを僕に手渡しながらひとしは言った。

「たしか、おっさんだね~って笑ってたね」

 ひとしは白いが大人の大きい手でビールのプルタブを開けた。ぼくもそれに続く。

僕らは乾杯した。


 妻にひとし君のことを包み隠さず話すと理解してくれて、僕は変わらず小川に行くことができた。

 数年後には僕にも子供が産まれ、ひとし君も結婚したが、お互いなんとか都合をつけて会うことができた。

 もう遊ぶというよりは語りあう時間のほうが長くなったが、ぼくの夏の楽しみであった。

いつまでもいつまでも続けばいいのに‥と思っていた。


 息子の運転で軽井沢に来たのは初めてだった。もう年だからさ‥と息子は言いたいのを我慢しているようだったので、こちらから察してあげて運転を任せた。

そのまま息子は帰り、僕と妻は数日ここで過ごすことになった。

「いってらっしゃい」

 あいかわらず妻はやさしく送り出してくれる。僕は小川に行くとひとしはすでに岩に座っていた。

「今年も会えてうれしいよ」

 ひとしは帽子をとりながらそう言った。お互い白髪が目立つようになった。


 息子に甘えるのも考えものなので、新幹線で軽井沢まで行き、そこからタクシーで行くようになると、ひとしが今年もこれるかどうかその姿を見るまで不安になっていた。

 そんなことなら連絡先を交換すればいいが、僕らの関係は別荘も知らない小川だけの関係としていたので、いまさらそれを崩そうとは思はなかった。

「不安だったよ、今年はどうかと思っていたよ」

 僕は正直にひとしに話すと、ひとしも

「そうだよね、いつどちらかが来なくなってもわからないし、不思議じゃないね‥」

 ひとしはちいさいバスケットから水筒と錠剤を出しながら応えた。


 初めてひとしの親族を見た。

 小川の近くで車いすを押す若い女性とそれに座って僕に手を振るひとしに会った。

 ここでいい、という感じ女性に仕草すると、ひとしは電動の車いすを操作し僕に近づいてきた。その後ろで清楚な女性がお辞儀をしている。

「こんなになっちゃった」

 ひとしは車いすを叩き、笑いながら言った。

「あのかわいい子はお孫さんかな‥」

「そう、娘の長女。女子医に行ってるよ‥」

「医大生さんか、さすがだね。跡継ぎも安泰だね」

「どうだかね、ちゃんと卒業して国試にとおればね」

 僕の息子も事業を継いでいるが、孫は修行ではないが他の会社に勤めている。孫は帰ってくるのかな‥。

「お互い心配はつきないね」

 僕らは笑いあった。


「来年は無理かな‥」

 孫に携帯電話で迎えの連絡をしたあと、ひとしはつぶやいた。

 もうこんなつきあいも七十年くらいになる‥。

「待ってるよ、大丈夫。来なくてもいるからさ、会えたら会おうよ」

「そうだね、会えたら会おう。僕らはそうゆう関係だからね」

「うん、会えたらね‥」

 僕は車いすに手を伸ばした。ひとしは僕の手を握った。

 お互いに皺のよった手だ。


 翌年、軽井沢にも小川にも夏が来たが、ひとしは姿を見せなかった。

 仕方ないことってある‥。僕は三日間小川に通った。三日目、妻が迎えにきた。

 仕方ないことはあるのだ。


「今年も行きますよね」

 妻がやさしくたずねた。ひとしが小川に来なくなってから数年、でも僕は一日だけも小川には行くようにしていた。

「うん、今年も今日だけは行くね」

「気をつけてね」

「うん‥」

 妻は小さいおむすびとペットボトルのお茶をバッグに入れてくれた。僕は思いたって缶ビールも二本入れた。

「今年が最後かな‥俺も‥」

 なんとなく最後にしようと急に思った。始まれがあれば終わりもある‥。仕方ないことはあるのだ。

 小川には誰もいなかった。

 かにはまだいるのかな?そうだ、僕らが流した笹船はどこに行ったのかな?

 僕は久しぶりに笹船をつくった。昔、ひとし君に教わったんだよな。

 流れに静かに船を置くと、ゆっくりと手を離した。ゆっくりと‥。

 すぐに船は動きはじめ下流に向かって動いていく。

 ああ、いいな‥、楽しかったな‥。

 船は岩をぬうように下っていった。

「いいね、うまく流れたね‥」

 背後で懐かしい声がした。静寂のなか静かに、でも優しく響いた。

 ひとし君が立っている。笑っている。

「ひとし‥どうしたの。車いすは?お孫さんはどうしたの?」

 ひとし君の笑顔が少しさびしくなった。

「察してよ‥」

 察してか‥、そうだよね。僕らは会えたら会おう、そうゆう関係だもんね。

「そう‥か‥。そうだね。でもさ、うれしいよ、その‥」

 僕は言葉を選んだ。

「どんな形でもまた会えてね、うれしいよ」

 ひとし君は今度は楽しそうに笑った。

「ねえ、笹船、僕のも作ってよ。作れないんだ‥」

 僕は喜んで作った。そして僕自身のもつくり、ふたつ同時に小川の流れに置いた。ひとし君のは印として、茶色の枯葉を乗せ、僕のには小さい枝を乗せた。

「どっちが速いかな?」

 ひとし君は笑っている。

「僕のだよ‥」

 ぼくらは同時に言った。

 二つの笹船がほぼ同時に下流に流れ消えて行った。

「ビール飲まない?」

 僕は有無を言わせないよう、缶ビールを渡しながらひとし君に言った。

「ああ、飲みたいけどさ‥。でも、そうだプルタブだけでも開けてくれる?乾杯だけでもしよう」

 予想通りの答えだ。

 僕は二つの缶のプルタブを開け、彼の立つ岩場の近くのちょうど肩くらいの高さの岩にそれを置いてあげた。

「昔さ、話したね。いつかここでビールを飲むようになるってさ‥」

 ひとし君は先ほどより若返って見えた。

「そうそう、おっさんだね‥って言って笑ったよね」

「乾杯」

僕は缶に口をつけた。おいしいね、やっぱり。ひとし君は笑って缶に手をつけただけだった。

「おっさんをとおり越して、もうなんだ‥こんなになっちゃったね」

 ひとし君はもう青年のようだ。

「うん、俺もさ、そう遠くないよ。すぐにひとしみたいになるさ‥。そうしたらまた二人でかに捕りして、笹船つくってさ‥」

 ひとし君は出会ったころの少年になっていた。

「遊ぼうね、昔みたいに。楽しかったな‥」

 ぼくは嬉しくて泣いた。ひとし君は少年にもどってさっそくウルトラマンの靴のまま川に入っている。あのころのままだ‥。

「この石さ、ひっくり返してよ‥」

 ひとし君がぼくに笑って言った。

「うん、軍手ないけどさ、やってみるね」

ぼくも川に靴のまま入った。冷たい‥。

「来年もさ‥、また来てね‥」

 ひとし君は少し不安そうにぼくに言った。

ぼくは重い石に力を入れながら、ひとし君を安心させるつもりで言った。

「大丈夫、また来るよ」

 石がひっくりかえされると、昔と同じようにかにが数匹あらわれた。

「どんな形でもまたくるね。どんな形でもね」

 小川には絶え間なく水が流れ、その風景はずっと変わらないままだ。

 いつかぼくもひとし君のように昔の姿になれるのかな‥。


 冷たいきれいな水が絶え間なく流れ、そこだけ涼しい空気が吹き、覆いかぶさる緑の木々の下は、まさに絶好の川遊びの場所で、そこで僕は彼に今年も会った。僕らは少年のままの姿でどこまでも流れる小川の川辺でいつまでもいつまでも夏のこの時期に来て遊んだ。いつまでも‥。

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