花火の夜に
@osenbey11
第1話
カッ、カッ、カッ、と下駄を鳴らして、駅の階段を早足で下る。
足元の音からちょっと遅れて、前髪がおでこの上でポン、ポン、ポン、と踊った。さっきバッグにしまったばかりだけど、手鏡の出番はすぐにやってきそうだ。
外はまだ、暗くなる気配さえない。17時まで1時間以上ある。集合時間よりこんなに早く着いたことなんて、大事な試合の日でもほとんどなかった。
集合時間は、祭りの開始に合わせた。だから早く来すぎてもやることなんてないはずなのに、いてもたってもいられず家を早く出すぎた私は、乗るつもりだったものより3本も前の電車で来てしまった。何日も前からずっと、胸のあたりがそわそわして落ち着かない。浴衣の裾がもっとひらひらで動きやすかったら、いつもの放課後みたいに走り出してしまいたい気分だ。
歩道を少し歩いて、目的の公園に向かう。開始前だっていうのに、辺りにはもうそれなりに人がいる。足元の白っぽいタイルをキャンパスにして、赤、青、黄色、色とりどりの着物が躍っている。私みたいなあわてんぼうさんは、祭りの日にはけっこう多いみたいだ。そういえば、駅前にも明らかにいつもより人がいたし、電車の中でも、浴衣姿の人たちをちらほら見かけたような気もする。
あいつはさすがにまだ来ていない様子なので、待つところを決めようと思って視線を振ると、赤い浴衣を着た、中学生くらいの女の子と目が合った。表情がどこかこわばって見えた気がしたのは、その子と私、どちらの緊張のせいだろう。赤い浴衣の子から少し離れたところに立ち止まり、手鏡とにらめっこして髪を撫でつけて、スマホを取り出す。
相手の到着を知らせるメッセージは、まだ届かない。
「早く着きすぎたーっ」
そわそわをごまかしたくて、同じクラスの結衣のトーク画面を開き、メッセージを送る。返事はすぐに来た。
「早くね笑」
「早いね」
「緊張しすぎでしょ」
「そうかも。めっちゃソワソワする!」
「めっちゃフライングじゃん。次やったら失格ね」
「気をつけます……いやフライングって何⁉」
「恋のフライング的な?」
「ちょっと何言ってるかわかんない……ところで結衣の方は?」
「うちらは7時集合。6時までバイトあるって」
「じゃあ花火大会はぎりぎりセーフだね。それにしてもバイトかー。大人って感じだ…先輩大学生だもんね」
「うちの高校禁止だしね。今日はお互い楽しも」
結衣がガッツポーズをしている犬のキャラクターのスタンプを送ってきたので、こちらも同じようなスタンプを返す。
引退試合を終えた結衣は、女子バスケ部の副キャプテンだった。先輩っていうのは男子バスケ部のエースだった早川先輩のことで、二人は3月から付き合っている。卒業式の日に結衣の方から告白して、OKをもらったそうだ。
私たちも受験を控える高3になったけど、話を聞く限り、2人は結構会っているみたいだ。成績優秀だった先輩がこの春進学した有名大学のキャンパスは、私たちの学区から割と近くにあり、先輩は家から通っているので、会うのが難しいということはないらしい。結衣いわく、大抵は「その辺のファミレスとかマックで勉強を教えてもらっているだけ」で、遊びに行くデートはほとんどしていないみたいだけど、先輩の話をするとき、結衣の表情はいつもより3割増しで明るくて、のろけ気分を隠しきれていない。
場所がファミレスやファストフード店で、やることが勉強だったとしても、結衣にとってはれっきとした「デート」なんだなって、ちょっとうらやましくなる。
結衣と先輩は今日、いつもよりデートっぽいデートをする。
同じようにデートみたいなことをしようとしている私たちの約束は、「デート」になるだろうか。
メッセージアプリの画面と手鏡、周囲の浴衣、目の前の地面、いろんなものを見るのをぐるぐる、ぐるぐる繰り返しながら、あいつの到着を待つ。
「よっす。ごめん待った?」
地面の番が来ていた時、前からあいつ、斉藤裕介の通りのいい声がして、目を上げた。
「ううん、今来たとこ」
オレンジの見慣れたユニフォームとは違う、紺の浴衣の新鮮さに、少しドキリとする。「デート」の定型句みたいな会話を交わしたのは、気を遣わせないためというより、ホントは1時間近く前に着いていたなんて、気合入れまくりみたいで恥ずかしかったから。声をかけられたとき私は地面なんか見ていたわけだから、それなりの時間待ってたことはバレバレかもしれないけれど、一応今来たところだよってふりをする。
「いいじゃん浴衣っ、一瞬誰だかわかんなくて通り過ぎかけた」
「ありがと。裕介はなんか大人っぽいね」
「お、マジで?さんきゅ」
カッコいい、とか、もっとダイレクトなほめ言葉を返してもよかったはずなのに、なんだか照れくさくて、大人っぽいだなんて、ハッキリしない返しをしてしまった。
だけど当の裕介は、右手で後頭部をさすりながらニヤニヤしている。ちょっと顔を赤らめて、横を向いちゃったりしてる。
この腐れ縁の幼馴染には、こういうところがある。ポジティブで単純だ。ほめ言葉っぽいことを言われると、すぐ喜ぶ。女子に言われていた時は特にそんな感じだ。ちょっとしたことで喜ぶので、陸上部でも「ちょろい」と言われている。だけど私の知る限り、今まで裕介に彼女がいたことはない。運動も勉強もそこそこできて、けっこうイケメンなので、バレンタインにはよくチョコをもらっているけど、そこから彼氏彼女の関係になることはなくて、いつも義理のお返ししかしない。
「じゃ、早速行きますか」裕介が言った。もう間もなく17時になる。
「そうだね」なるべく冷静に返事をして、私たちは歩き出した。
この時間になると、屋台の電球にもところどころ灯りがともり、焼きそばやたこ焼き、フランクフルトなんかを焼く鉄板の熱気や「ジューッ」という音、食欲をそそる香りが出始めて、祭りのムードを演出している。祭りの屋台にあるだけで、食べ物は何倍も魅力的に見える。
「友加里はどっか行きたいとこある?」
「綿あめとか焼きそばとかかな。でもまずはなんか軽いもの食べたい。裕介は?」
「俺も焼きそばは後で食いたいな。なんか軽いもの……お、アレとかどう?」裕介が右手で指した先には、たこせんべいの屋台があった。
「いいね、行こ」
たこせんべいはおいしかった。ピンクのせんべいの塩気とソースの甘辛さ、「パリッ」と「ふわっ」の間くらいの食感がくせになる。私たちは「うん」とか「うま」とか言いながら食べた。
「たこせんってさ、うまいけど祭り以外では全然見ないよな」
「たしかに。作り方も別に難しくないのにね」
「な。たこせん食べてると、すげー『祭り』って感じする」
「なにそれ、でもわかる」表現はちょっとまぬけだけど、確かに、たこせんを食べるのは“すげー「祭り」って感じ”がする。多分、こうして男女二人きりで回るのも。
「なんかすごい久しぶりな感じする」フランクフルトやスーパーボールすくい、射的、焼きそば、かき氷なんかの屋台を回って、綿あめの屋台に並んでいるとき、裕介が言った。
「男子は綿あめとかあんま食べない?」
「綿あめもそうだけどさ、祭りが」
「去年とか行かなかったの?」
「いや、和樹たちと行った、ほら、中学の。でもなんか久しぶりな感じする」
「まあ夏だけだもんね、祭り行くの」
「んーまあそれもあるかも。でもやっぱ友加里と来てるからかな、小学生ぶりくらいじゃない?」
「そうかも。いろんなとこ一緒に行ったよね」
「動物園とか」
「行った行った。ライオンとか全然動かなくて」
「動物園あるあるだな」
「プールとかも行ったよね、裕介ウォータースライダーめっちゃ怖がってた」
「最初だけなっ。今は平気だし」
「どうだか」
私たちの番が来たので、綿あめを二つ注文する。屋台のおじさんが、くるくると手際よく割り箸を回して、綿あめを巻き付けていく。最初はほんの小さな粒なのに、不思議なくらい大きく膨らんでいく。毎年のように見ていても、やっぱりなんだか不思議な光景だ。
「そろそろあっち行く?」左手に着けた時計を見た裕介が、右手の綿あめで裏手の丘の方を指す。あそこからは、10分後、7時から始まる花火がよく見える。それが、花火大会に合わせて祭りをやっているところが結構あるなか、この公園を選んだ最大の理由だ。私はうなずいて、二人で丘の方に向かった。それにしても、もうそんな時間になっていたなんて、全然気づかなかった。
「そういえば、結衣も今日7時集合だって」
「早川さんとだっけ?どんな感じなの?」
「仲良くやってるみたい。『勉強教えてもらってる』ってデレてる。どっか行くのは久しぶりみたいだけど」
「そうなんだ、早川さん成績良かったし頼もしいじゃん、いいよな、そういうの」
「そういうの?」
「忙しくてもさ、なんかに一緒に立ち向かえるの。よくない?」
「それはわかる」たしかに、そういう関係はうらやましい。だけどそれを、裕介はどういう意味で言っているんだろう。私たちも、“そういうの”になれることを、期待してもいいのだろうか。
花火が上がり始めた。赤、白、黄色、いろんな色の花火が、黒い空に彩りを加える。光るたび、近くで見ている人たちの色とりどりの浴衣も照らされて、視界がきらめく。打ち上げ場所から近いから、光とほとんど同時に音が鳴って、体全体に響くような感じがする。「パン」とか「バン」っていうより、「ドン」って感じ。
ドン、ドン、ドンと、次々花火が上がる。
「あのさ」こっちを見る裕介の顔が、赤く照らされている。
花火の夜に @osenbey11
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