【13】
「ご迷惑をおかけして、すいませんでした」
1週間ほど学校を休んでいた佐倉さんは、再び部室に現れると、部員たちの前で、神妙に頭を下げた。何やら憑き物が落ちたような雰囲気で、小動物を思わせるぴょこぴょこした動きも影を潜めている。
「陽奈さんも反省してるので、何も言わずに迎えてあげてください」
仲澤に事前にそのように言われていた私たちは、その言葉通り、例の出来事については何も言わなかった。その日の批評会では、佐倉さんはずっと黙って、注意深く人の話に耳を傾けていた。
私の評論は、この週末で大幅に書き直されていた。『或る女』の葉子を通して、個性なるものをあまり有難がるのは危険だと論じたけど、沙有里さんにはあまり気に入ってもらえない。あの後、私はそれを仲澤に相談した。
「葉子と、他の誰かを比較してみるっていうのはどうかな?」
「他の誰か、ですか?」
仲澤が淹れ直してくれた紅茶を飲みながら聞き返す。
「個性を肯定するにせよ否定するにせよ、葉子っていうひとりのサンプルしかなかったら説得力には欠けるよね。葉子と似た人で、別な終わり方をしてる女性と比較できたら、もうちょっと議論に深みが出るかなあ。食べる?」
仲澤は机の中から取り出したポッキーの袋を開けて、私に差し出す。この人はいつも他の講師がいなくなると、こうやって職場でお茶とお菓子を楽しんでいるらしい。沙有里さんはこれを「かなめ喫茶」と呼んでいるのだと、後で教えてもらった。
「『虞美人草』の藤尾じゃあ、あまり葉子と変わりませんよね」
「そうねえ。いっそ日本じゃない方がいいかもね」
2人してポッキーを齧りながら、若い女性が主人公の小説はないかと考えを巡らせる。
「…ジェイン・エアは?」
去年ぐらいに読んだ本のことを思い出して、私は呟いた。仲澤はティーカップに口をつけたまま、目を見開いて小さく何度も頷く。
「いいよね、私もあの話、大好き」
そういえば、ジェインも黒服を着ていたのだったな。あまり印象に残っていなかった作品の、そんな細部が不意に思い出される。
図書室はもう閉まっていたけど、岩波文庫の『ジェイン・エア』は部室の本棚に置いてあったので、私はそれを借りて一気に読み返した。
前に読んだときには、意志の強い女性が最後まで自分を貫いて幸せを勝ち取る、というようなイメージだったし、それが間違ってるわけでもないのだけど、今改めて読んでみると、ジェインのそれほど際立った才気のようなものがあるわけではなく、美人でもないというところが新鮮に感じられる。誰もが葉子のようにキラキラした人生を歩めるわけはないし、華やかであり続けることは一層難しい。むしろ、華やかならぬ日陰を生きる人たちの「個性」にこそ、スポットを当ててみたい気がする。
批評会の前日、眼鏡を新調した。分厚くて縁の太い眼鏡は、ダサいだけでなく重くて頭が疲れることがわかってきたので、薄いレンズの、縁なしの眼鏡に替えた。沙有里さんや花梨さんには可愛いと評判だったけど、松山が何も言ってくれなかったのはちょっと恨めしい。もっとも、私のささやかなイメチェンはクラスでは完全に黙殺されたので、要するにその程度のものなのだろうけれども。
かげの唄 垣内玲 @r_kakiuchi_0921
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