セーラー服と甲冑

くる ひなた

第1話

 高く、高く、右腕を突き上げる。

 筋肉が引き攣れてわずかに痛んだ。

 しばらくしてキラリと光ったのは、右手にあったスマートフォンだ。

 高校生だった私にとって欠かせないそれを顔の前に引き寄せ、右手の親指一本で操作する。


「……っ」


 一瞬、画面に映し出された文字に息を呑んだものの、私は何度も何度も食い入るように読み返した。

 照り付ける太陽の熱でじっとり汗ばむくらいなのに、画面をスクロールする指はカタカタと震えている。


「――おい」


 ふいに、足もと――そのずっと下から低い声が聞こえてきた。

 同じタイミングで太陽が雲間に隠れると、私はスマートフォンから顔を上げ、生い茂った枝葉の隙間から下を覗き込んだ。そうして声の主に向かい、挨拶もすっとばして言う。



「――私と結婚してください」

「――なに!?」


 

 突拍子もない私のプロポーズに、相手は素っ頓狂な声を上げた。

 淡い金色の髪をした青年である。

 彼はその髪をぐしゃぐしゃと掻き回してから、盛大なため息を吐いた。


「とりあえず、危ないから下りてこい」

「うん」


 素直に頷いた私はスマートフォンをスカートのポケットに突っ込んで、目の前の幹を両手で掴んだ。

 一面芝生に覆われた広い庭の真ん中に、大きな木が一本立っている。

 その頂上付近にいた私が、下いる彼の表情を確認できるくらいまで下りてきた時だった。

 ボルダリングのホールドみたいに足を引っかけていた木の瘤が、突然バリッと音を立てて割れてしまったのだ。

 たちまち私の身体は重力に引っ張られ、あっという間に地面が迫ってくる。

 とはいえ、死んだり骨折したりするほどの高さではないし芝生がクッションになるだろうから、さほど衝撃はない。そう高を括っていたのだが……


「んぐっ!?」


 予想に反し、私を受け止めたのは柔らかな芝生ではなく、ガッシリとした固いものだった。

 ガチャッ、と金属が擦れ合う硬質な音が響く。


「いっっったあ!!」

「サルでもあるまいし、木になど上るからだ」

「あなたの甲冑が当たって痛かったんですけどっ! 背骨が折れたかもしれません――責任とって、私と結婚してくださいっ!」

「うんん!?」


 受け止めてくれたのは下にいた彼だった。私の言葉に丸くなった目はメロン味のドロップみたいな色で、鼻筋の通ったイケメンである。

 そんな彼は、なんと立派な甲冑を着込んでいた。肩も胸も腹も背中も、それから喉元まで、丈夫な金属板で覆われている。

 対して私は高校の夏服だった。上は白地の半袖で、濃紺のセーラー襟には白いラインが二本入り、臙脂色のリボンを結んでいる。そして下は濃紺のプリーツスカートといった、ごくごくありふれたセーラー服だ。にもかかわらず……


「お前はまた、その珍妙な格好をしているのか」


 自分の方がよっぽどコスプレみたいな格好のくせに、彼は横抱きにした私の胸元のリボンをため息で揺らした。


「珍妙とは失礼な。これ、私みたいな学生の身分にとっては歴とした正装ですよ? あなた達騎士にとっての甲冑と同じくらいフォーマルなんです」

「しかし、こちらでは女性が膝小僧を晒すような丈は非常識だ」

「膝小僧くらい、見られたって全然恥ずかしくないですし!」

「恥ずかしい恥ずかしくないの問題ではない」


 とたんに風紀委員みたいになった彼の言う通り、今は甲冑ではなくセーラー服を着ている方が奇異に見られる。

 何故ならここが、私の生まれ育った町でも日本という国でも――それどころか世界地図のどこにも存在しない、全く異なる世界だからだ。

 世界観としては十七世紀あたりのヨーロッパを彷彿とさせ、騎士が国の治安を守っている。

 彼も騎士であり、遠くに連なる山脈の際までの土地を治める若き領主だった。山脈は国境で、彼の屋敷は砦の役目も果たしている。

 長きに渡って続いていた隣国との戦争は、一年ほど前、彼の国の勝利によって幕を閉じた。

 私が彼と出会ったのはそんな終戦の間際――むしろ、その出会いが勝敗を決定付けたと言っても過言ではなかった。


 高校最後の夏休みを控えたあの日の朝、私はいつもと変わらずセーラー服を着て学生鞄を持ち、スマートフォンを片手に家を出た。

 高台にある自宅から坂の下にある駅を目指し、Wi-Fiを拾いながら行こうとした刹那、それは起こった。

 ふいに、背後の山際に設置されたソーラーパネルの反射でスマートフォンの画面が見えなくなった次の瞬間、不可解な紋様がいっぱいに並んだのだ。

 文字化けかとも思ったが何だか気味が悪い。

 一度接続を切ろうとした時だった――足もとの地面がなくなったのは。

 悲鳴を上げる間もなく闇に飲まれ……けれど、ドシンと尻餅をついていきなり目の前に迫った刃に、私はとっさに学生鞄を盾にしていた。

 鞄も中に入っていた授業用のタブレットも使い物にならなくなったが、命には代えられない。

 その時受け止めた刃が、敵方の総大将を追い詰めていた彼の背中目がけて振り下ろされたものだなんて知る由もなかったが、この世界のどこにも行く当てのない私は命の恩人として屋敷に迎え入れられた。

 見事大将首をゲットして祖国を勝利に導いた彼は英雄となり、中佐から一気に少将へ昇格を果たす。代々辺境地を治める田舎貴族であったというから、彼の出世に一族のみならず地元の民もおおいに湧いたらしい。

 おかげで、いきなり現れた得体の知れない私までも好意的に受け入れられた。

 受け入れられなかったのは、むしろ私自身だ。

 見ず知らずの世界で、誰ひとりとして知り合いはおらず、しかもどうやって元の世界に戻ればいいのか分からない。パニックになった私は、泣いて暴れて自暴自棄になった。

 そんな私に、彼は辛抱強く寄り添ってくれた。

 違う世界から来た、なんてにわかには信じ難い話を否定せず、支離滅裂な泣き言にも真摯に耳を傾け……


「摩訶不思議な話ではある。だが、そのおかげで俺は救われた。お前に生かされた命だ。お前に寄り添うために使おう」


 涙でぐしゃぐしゃになった私の顔を真っ直ぐに見つめて、そう言ってくれたのだ。

 一人ぼっちで知らない世界に放り出されてしまった私にとって、それがどれだけ心強かったことか。


 夢見がちな私の遅い初恋をさらっていくのは必然だった。


 そういうわけなので……


「結婚してください」

「……っ」


 真顔で迫れば、私を抱いた彼の腕がビクリと震えて力がこもった。

 その拍子に、スカートのポケットに入れていたスマートフォンが固い甲冑に押されて腿に食い込む。

 私が顔を顰めてそれをポケットから取り出すと、彼はとたんに呆れたような顔になった。


「また、その奇怪な板で遊んでいたのか?」

「奇怪な板じゃなくて、ハイテク機器ですってば」

「はいてく……? まあ、それのお告げ通りに旅程を早めたおかげで、また命拾いしたんだがな――ただいま」

「うん、おかえりなさい……」


 彼は横抱きにしたままの私の頬に、当たり前のように親愛のキスをした。

 そんな西洋人っぽい挨拶に、いまだに慣れない私は頬を赤らめて口をむずむずさせる。

 現金なもので、恋をした私は開き直るのが早かった。

 そもそも言葉が通じるのだから、異世界トリップとしてはイージーモードだろう。

 ただし、文字は日本語とは似ても似つかぬもの――いや、もはや文字とも判別できない紋様のようなものだったので、私は必死に、それこそ高校受験の時以上に頑張って勉強した。

 彼は私に優しいが、おそらくは妹みたいな庇護対象としか見ていないのは分かっている。

 どうやら女嫌いらしく、祖国を勝利に導いた英雄としてひっきりなしに舞い込む縁談も全て断ってしまう、と年配の家令が嘆いていた。

 私は、妹みたいに思われていてもいい。どんな形でも、大好きな彼の側にいられればよかった。

 ともかく、まずは自分と彼の名前の読み書きを覚えようとしたのだが、それによって衝撃的な事実を知ることになる。

 私がこちらの世界に来るきっかけだと思われるスマートフォンの画面いっぱいに並んだ紋様――あれが、なんと彼の名前だったのだ。

 そうしてもう一つ、気付いたことがあった。


「理屈は分からないが……日の光を当てると、それが上手く機能するのだったか?」

「うん、そう。今日は結構いい感じでした」


 Wi-Fiもなく充電も切れ、早々にただの金属の板と化したスマートフォンだが、彼の言う通り、どういうわけか日光に当てると、ふいに電源が入って画面が表示されることがあるのだ。

 それを知ったのはほんの偶然だったが、以来いろいろ試しているうちに、より空に近付いて日光に当てれば確率が上がるのに気付いた。さっき私が高い木に上っていたのもそのためだ。

 画面に映し出される文字は、相変わらず日本語とは似ても似つかない紋様みたいな難解な文字。

 けれども、一年間懸命に学んだおかげで、私はその大半を解読できるようになっていた。

 不思議なのは、画面に映し出されるのが未来の出来事――端的にいえば、彼の最期ばかりだということだ。

 隣国との戦争に勝利したとはいえ、いまだその残党への警戒を緩めることはできない。

 国境警備の責任者となった彼は、この前日から数名の部下を連れて山脈沿いの視察に向かっていた。


「視察を中止するか、それが無理なら出発時刻を大幅に変更しろだなんて、一体何ごとかと思ったぞ」

「しょうがないでしょう! 〝深夜、宿屋で残党達の急襲に遭って全滅する〟なんて未来を知ってしまったんですもん!」

「宿屋の主人が隣国の間者でな、情報を漏らしていたらしい。俺達が踏み込んだ時は、まさに急襲の作戦会議真っ最中だった。おかげで、残党を率いていた生き残りの王子ごと一網打尽にすることができた」

「とにかく、無事でよかった……」


 この日、私がわざわざセーラー服に袖を通していたのは、いわゆる験担ぎだ。

 最初に彼を救った時と同じ格好でその無事を祈りたかった。

 彼もそれを分かっているから、呆れた顔はしてもセーラー服を着るなとは言わない。

 そんな彼は明後日、この度の手柄により王宮に赴くことになる。

 国王の使者は、明日の朝に屋敷を訪れるだろう。

 何故私がそんな先のことを知っているかというと、さっき見たスマートフォンの画面に彼がこれから辿る人生が記されていたからだ。

 恐ろしいのは、何度死を回避しても、彼にはまたすぐに新たな死因が用意されてしまうことだ。

 この一年、彼の出世を妬んだ大佐の毒入りワイン、異母弟がベッドに忍び込ませた毒蛇、馬車の暴走、スズメバチの猛襲、はては隕石の落下まで、バラエティ豊かな死因を搔い潜ってきた。

 今さっき私が木登りをしてスマートフォンを太陽に翳したのも、昨夜の死を回避した彼に迫る新たな危機を把握するため。そんな事情を踏まえて、私は何度でも言う。


「あなたを死なせたくない。だから、結婚してください」

「……誰しも、いずれは必ず死ぬのだがな」

「でも、まだ死なないで。もっとずっと先、しわしわのおじいちゃんになってからにして。事故死も他殺もだめ。死因は老衰一択でお願いします」

「……」


 私の剣幕に彼は面食らった様子だったが、こっちだって必死なのだ。

 だって、私は知ってしまった。

 明後日王宮に赴いた独身の彼は、親戚のおばちゃん並みにお節介な国王の勧めで貴族の娘と結婚することになる。

 それだけでも許し難いのに、この貴族というのが曲者で、彼は結婚の翌年、妻の一族に罪を擦り付けられて領地も名誉も何もかも奪われてしまう。

 そうして、冤罪にもかかわらず刑場の露と消えるのだ。

 冗談じゃない、と私は首を横に振った。


「そんなこと絶対させない。あなたのことは私がきっと守ります。だから――結婚してください」

「……」


 鬼気迫る表情をしている自覚はあった。彼の喉仏が大きく上下する。

 国王に謁見する明後日までに、女嫌いの彼を独身でなくしてしまわなければならない。

 この国は一夫一妻制のため、国王であろうともそれを覆すことはできないからだ。

 彼に妹みたいにしか思われていなくても、この先夫婦らしい関係に一生なれなくても構わない。

 ただ、他の誰かに、ましてや彼を死に追いやると決まっている女に奪われるのは我慢ならなかった。

 結婚してください、と私はしつこく繰り返す。彼の生死に関わる今、恥じらいなんて捨ててしまった。

 すると、ここでようやく私を腕から下ろした彼が、その淡い金色の髪をまたぐしゃぐしゃと掻き回す。

 それから、甲冑を着けた肩を大きく上下させてため息を吐くと、あのな、とどこか投げやりに言った。


「来月、戦勝一周年記念の式典があるだろう。俺はそれに、お前を伴おうと考えていた」

「え」


 今度は私が面食らう番だった。

 だって、公式の場に異性を同伴する場合、それは配偶者か兄弟姉妹と定められている。

 妹のようとはいえ本当の妹ではない私を、彼が王宮で行われる式典に同伴するということは、つまり……


「今回の視察から帰ったら、お前に求婚するつもりだった」

「ふへ……」

「だから、お前が言うように騎士の正装である甲冑を着けたまま、いの一番にこうして帰還の挨拶に来たんだが?」

「はわ……」

「それなのに、何だって? 俺を死なせないために結婚しろ、だと!?」

「ぴえ……」


 語彙力が死に絶えた私を、彼は鋭い目で見据えて言った。


「違う世界に来たばかりの寄る辺もない状態では俺の申し出を断るのは難しかろう。そう思って、お前がこの世界に馴染むのを一年待ったんだぞ。その間、他の誰かに搔っ攫われはしまいかと悶々としていた俺の気も知らないで」

「あわわ……」

「言ったはずだ。お前に生かされた命だと。お前に寄り添うために使おうと。俺の命を死の淵から掬い上げると言うのならば、この心も一緒に受け取ってみろっ!!」

「は、はいいっ! 慎んでいただきますうっ!!」


 こうして、私のプロポーズは成功した。

 してしまった。

 めちゃくちゃ怒られながら、だったけれど。

 ちょうどその時、雲の間から太陽が顔を出し、私達の頭上に光が降り注ぐ。

 すると、スマートフォンの画面がまたパッと点いた。


「「……」」


 一緒にそれを覗き込んだ私と彼は、思わず顔を見合わせる。

 新たな彼の死期として画面に記されていたのは一月後——王宮の大広間で行われる戦勝一周年記念式典だった。

 そこで、どうしてもと強請られて貴族の娘とダンスをした彼を、彼女のストーカーである別の貴族の男が嫉妬に駆られて刺すらしい。

 そんな理不尽な未来を知った彼は、やれやれと肩を竦めてから私に向き直った。


「可愛い新妻を連れているのを理由に、令嬢のダンスの相手は丁重に断ろうと思うのだが?」

「うん! ぜっっっったい、他の女となんか踊らせないっ!!」


 鼻息荒くそう答えたはいいものの、私は一つだけ心配なことがあった。


 験担ぎのセーラー服。それを王宮で行われる式典に着ていって、はたしてドレスコードに引っかからないだろうか。


 目下、それだけが気掛かりだった。


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セーラー服と甲冑 くる ひなた @gozo6ppu

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