親睦会②

 五道は学生時代、英吉利イギリスに留学していたことがある。


 英吉利は西洋魔術の中心地で、異能者にとっても留学はいい経験になる。しかし子どもをすすんで送り出したい親はあまりいない。やはり海の向こうの異国は、まだまだ敬遠されがちだ。


「意外だなぁ、五道くんが留学とは」

「そう?」

「そこまで熱心だったとは思いませんでした。俺は仕事柄それなりに外国へ行きますけど、留学となるとまた違いますから」


 珍しく心底感心した様子の一志に、貿易会社の御曹司である新が続けた。


「久堂少佐は知ってたんですか?」

「ああ。帰国早々、喧嘩を売られたからな」

「あ〜! 隊長、それは忘れてくださいって、前に言ったじゃないですか〜」

「知らん」


 ずいぶんと懐かしい話だ。

 あの頃の五道は触れたら切れそうに尖っていた。今は見る影もないが。まあ、戦士としては今のほうがはるかに強いのでいいのだろうか。

 ともかく、本人にとってはどうも恥ずかしい思い出らしい。


「へえ、久堂さんに喧嘩。やるねえ」

「忘れろ、今すぐ忘れろ〜!」


 にやにやする一志に、五道は喚く。――残念ながら、もう手遅れだろう。


「でもそれも意外ですね。今は、五道さんは久堂少佐の忠犬……こほん、忠実な部下のように見えますが」

「今、忠犬って言った!?」


 新の疑問はもっともである。


 英吉利帰りの五道は知識もあり、経験も新人の中ではずば抜けていた。清霞も若く、まだ隊長にもなっていなかった頃のこと。相当な自信と敵愾心、反抗心のようなものを持って彼は清霞に挑んできた。

 しかしそれをはねのけたら、いつのまにかこんなふうになっていたのだ。謎である。


「……あれはほんとに若気の至りってやつで〜。舐めてたんだよ、どうせ帝国で幅をきかせている異能者なんて世界から見たら井の中の蛙。たいした実力もないのに大きな顔をしているだけだって」


 それと個人的な事情で、と五道は言葉を濁す。

 その辺りのことは、確かに酒の席で話すことでもないだろう。


「若気の至りねえ」

「もう俺の話はいいだろ〜。次は辰石が何か話せよ」

「ぼくが話すことはないな。……あ、女性の好みの話なんてどうだい?」


 またベタな、と清霞はため息をつく。親睦会ではなかったのか。


 話しながらも皆それぞれ、新たに酒や料理を注文する。だいぶアルコールが回り、はじめの空気はどこへやら、予想外に盛り上がってきていた。


「だいたい、隊長はずるいんですよ〜!」

「何がだ」

「俺も結婚したい〜。可愛い奥さんほしい〜」

「ぼくはまだひとりでいいかな」

「俺は考えたことはありますけどね?」


 新がちら、と清霞のほうを見る。


(……どいつもこいつも好き勝手なことを)


 新をじろりと横目で睨み返すと、静かにおちょこを卓へ戻した。


 だいたい、結婚がさほどいいものと清霞は思ったことがない。

 後継を残すために結婚はしなければならない、それはわかる。しかし夫婦の相性がよくなければ、あまり喜ばしくない結果になるだろう。

 また巷では、結婚相手を紹介してくれる店というものがあるらしい。そこへ行くのは男が多いそうだ。しかも若くて器量が良く、気が利き、初婚で、料理上手がいい――などとあれこれ注文をつける者が後を絶たないとか。


 馬鹿らしい話である。


(いや、まて)


 清霞はそこまで考えてから、家で自分の帰りを待っているだろう、婚約者のことを思い浮かべる。


「久堂さんの婚約者は美世ちゃんだよね。あの子のことは昔から知っているけど、将来は美人になるだろうなと思ったよ」


 一志の発言を受け、ふむ、と内心で深く同意する。

 まだまだ痩せすぎで、人によっては貧相だと言うかもしれないが、美世も器量がいい。


「俺の従妹だから当たり前ですね。美世のいいところは、やはり性格でしょう。優しく、思いやりがあって……でもいざというときは、勇気を持って行動できる。素晴らしいと思いませんか」


 これにも完全に同意である。


 美世は育った環境ゆえに、自分の気持ちや考えを表に出すのが苦手だ。また、すぐに悪いほうへ思考が旅立ちがち。

 けれどそれさえ克服すれば、頭は悪くないし、穏やかで優しい、そばにいて落ち着く性格をしていると言っていいだろう。


(働き者だしな)


 しばしば頑張りすぎて心配になるくらいに。


 どやあ、という顔で謎の自慢を披露した新に対し、大袈裟に「はい! はい!」と挙手する五道。

 勢いで酒がこぼれた。


「美世さんはやっぱり、料理上手なところが最高だと思います〜!」


 何か、他の男に婚約者のことを語られるのは気に入らないが、その通りである。

 清霞は然り、と黙って首を縦に振った。


 美世が作る家庭料理はとても美味だ。元から料理上手だったが、最近はさらに作れる料理の種類を増やし腕を上げている。

 今日の弁当に入っていた佃煮も胡麻和えも、美味しくいただいた。

 これは婚約者の贔屓目かもしれないが、たったいま口にしたこの店の煮物よりも、美世の作った煮物のほうが美味しい気がする。


「いいなあ、隊長は。若くて、美人で、優しくて、料理も上手い婚約者がいて〜」


 まさにその通り。否定のしようもない。

 そこで、はたと清霞は我に返る。


(これはつまり、私もあれこれ注文をつける人々と同じということでは……)


 ――これ以上、深く考えてはいけないような気がしてきた。


「ほら〜、隊長もなんとか言ってくださいよ〜」


 絡んでくる五道を適当に払いのけ、立ち上がる。


「帰る」

「は?」

「え、久堂さん帰っちゃうの?」


 ぽかんとする五道と、首を傾げる一志はそのままに清霞は代金を置いて、さっさと店を出た。

 すると、後ろからなぜか新がついてくる。


「久堂少佐、送りましょうか?」

「いらん」

「ですが、俺たちの話を聞いてばかりで結構飲んだでしょう。さすがに酔っているのでは?」


 身体をアルコールが巡っている感覚はある。しかしこの程度で送ってもらわねばならないようでは、不甲斐なさすぎるだろう。


「問題ない」

「……そうですか。まあ、美世のことを話のネタにされたからって、そんなに怒らないでください。酒の席での話ですし」


 新は口の端を吊り上げて笑う。どちらかといえば、その表情のほうが不愉快だ。


「別に、怒ってなどいないが」


 ややむっとしながら返せば、新は「なら」とさらににやけた笑いを浮かべた。


「美世の良さを再確認して、彼女のことが恋しくなったんですか? わあ、やらしいですね」

「うるさい。とっとと店に戻れ」

「そうします。酔っている久堂少佐に斬られでもしたら、たまりませんからね」


 だから、酔っていない。

 清霞はきりがないとその反論を飲み込み、家に向かって歩き出した。




 ***




 美世が帰宅した清霞を出迎えると、玄関に充満した酒精の強い香りで、腰を抜かしそうになった。


「旦那さま!?」

「……美世。今帰った」

「は、はい。おかえりなさいませ……。あの、大丈夫ですか」


 分かりにくいが、真っ白な清霞の肌はほのかに赤く色づいているし、何より匂いがすごい。嗅いでいるだけでくらくらしそうになる。


 いったい、どれだけ飲んだのか。


「靴は脱げますか?」

「脱げる」

「お水、お水はいりますか?」


 返答がない。

 清霞は玄関の段差に、うなだれるように座り込んでしまった。


「あの、旦那さま? 本当に平気ですか?」


 声をかけ、その広い背に手をやって顔を覗き込んだ美世は、困惑した。

 清霞は目をぱっちりと見開いて、まったく微動だにしない。しかも妙なことを口走り始めた。


「美世は、気がきくな」

「はい?」

「そういう、話をしていた」

「は、はあ……?」


 わけがわからない。酔っているのだろうか。

 清霞は普段から口が達者なほうではないが、ここまで断片的すぎる言動はしない。


「私は運がいい」

「…………」

「美世、お前は男の理想のようだ」

「理想……? いえ、そんなことは」

「ある」


 いよいよ本格的に美世が困惑してきたところで、清霞が急に、がばりと頭を上げた。そして、ずい、と美しすぎる顔を近づけてくる。

 あまりの衝撃で、心臓が壊れるくらいに脈打つ。


「ひぇっ! だ、だだだだ、旦那さま!?」

「お前は、最高だ」

「ええ!?」


 もう何が何やら、美世は目を回しそうになる。

 頬が熱くて仕方ないし、心臓の音は耳元で鳴っているかのように大きい気がする。ぐるぐる、ぐるぐる、と平衡感覚もおかしくなってきた。


「美世……」


 ここで、美世の混乱は限界に達した。


「だ、だめです!!」


 美世は反射的に、さらに接近してきた清霞に対して自らの異能を行使していた。


「あ……」


 力なく玄関に崩れ落ち、転がる婚約者。一瞬にして、すやすやと寝息を立てている。

 彼がただ寝ているだけであることを確認すると、美世は自分の手を見つめた。まだばくばくと心臓が早鐘を打っている。


(ああ、びっくりした……。この異能、人を眠らせることもできるのね……)


 もっとちゃんと操れるように訓練しよう、と美世が心に決めた瞬間だった。




 ちなみに。

 翌朝、真っ青な顔で五道が


「隊長は! 隊長は生きていますか!?」


 と家を訪ねてきた。彼曰く、


「昨日、居酒屋から帰ろうとしたら隊長の座っていた席のあたりに、大量の空の一升瓶が林のように立ってて〜! あれを全部、あの短時間で飲んだら致死量に達してますよ、致死量に〜!」


 ということらしい。


 美世はそういうことだったのか、と納得すると同時に、清霞の酒の強さに驚いた。

 なにせ彼は、ぴんぴんして二日酔いもなく今朝起きてきたのだ。――ただし。


「あの、旦那さまは何ともありません」

「よかった〜」

「でも」


 その先を言おうとしたところで、仕度を済ませた清霞がやってくる。


「……五道」

「隊長! 生きててよかった〜!」

「今日の私は機嫌が悪い。覚悟しておけ」

「あ、だからそんなに鬼の形相で〜……って、え!? なんで!?」


 そう、清霞はどんなに酔っても記憶がなくならない質だった。ゆえに、今朝起きていちばん始めにやったことといえば、土下座である。

 それから自己嫌悪でずっと落ち込んでいたのだ。


「美世、仕事に行ってくる」

「はい。いってらっしゃいませ」

「……昨日は本当にすまなかった」

「も、もういいですから……!」


 そう深々と頭を下げられては、居たたまれない。

 状況をよくわかっていない五道は「え? 隊長、何したんです?」と不用意に尋ね、清霞に痛そうな拳骨をもらっていた。


 ――その後、清霞はしばらく禁酒したのだった。

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わたしの幸せな結婚【番外編】 顎木あくみ @agitogi_akumi

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