きゅう。

 今日は雨。私の気持ちを表しているかのような、雨だ。


『あ、ありが、とう、ございます……』


 イーシアの震える声が何度も何度も頭の中で繰り返された。

 彼女はどんな顔をしていたのだろう……自分が作ったものを贈られるなんて、やはり呆れただろうな……。

 一つ思い返せばいくつもの失態が甦る。


「くっ……」


 叫びながら床を転げ回りたい衝動を抑えた。

 しかし、第二王子妃リリーティアの件は王宮だけではなく、市井まで広がっており私を見る目には同情に加え、 今まで向けられたことのない感情が込められるようになった。……一括りで言うと残念なモノを見る目だ。

 耐えられない。遠巻きに私を見る目はいつもキラキラした憧れと、妬む者からの嫉妬だけだった。


 今までの努力が台無しだ!

 早急にイーシアを王宮へ呼び戻し、第二王子妃リリーティアの件は間違いだと示さねばならないのに!


『政略でも、イルジオン様と婚約できてうれしかったのです!』


「……」


 涙を浮かべて縋るイーシアの言葉が甦った。……違うな。第二王子妃リリーティアとは別だ。私は……、彼女と……。



 バタンとノックもなく開けられた扉に顔を上げれば、崩れ落ちるニージオの姿と、その大きな身体を支えるニィチェル。

「な、ニージオ!?」

 なぜ王都ここにニィチェルがいるのかよりも、ニージオのパンパンに腫れた顔に、驚かされた。


「イッ君……逃げ、ろ」

「何があった!?」


 ニージオは騎士団でも五本の指に入る実力の持ち主だ。そのニージオがこんな……と、稲光の中の影に、顔を上げた私が見たのは、雷を背にたたずむ、元、第二王子の婚約者であったアンジェリーナ様だった。


 シャラリと冷たく光るのはアンジェリーナ様愛用の鉄扇。


「ほほほ、ごきげんよう、イルジオン様?」


 ニージオが私の腕を掴む。

「逃げ、ろ……」


 状況判断が出来たのは私より部下達の方が早かった。巻き込まれまいとさっさと、上司を放置して逃げ出した。


「おほほほほ」

 彼女の表情のどこにも笑みは浮かんでいない。


「わたくしの大切な親友を泣かせてくれた、お礼に参りましたの」


 稲光に鈍い光を放つ鉄扇。


 !?


 ニージオの腫れ上がった顔と鉄扇ソレを見返し理解した。コレだと……。

 ニタリと、アンジェリーナ様の浮かべた微笑みはとてもご令嬢がするものではなかった。


「南の塔へ居られる第二王子には、真っ先にご挨拶に伺いましたの。 可笑しいのですのよ? 自分はリリーティアに騙されていたのだと、二年前、真実の愛はここにあると言ったその口で、わたくしこそが、唯一無二の存在だと。ほほほ。面白くもない冗談を言う口は、自慢の高い鼻を折って栓をしてきましたわ」


 物理的に折ったってことですよね!?


 雷を背負って一歩、また一歩と歩み寄るアンジェリーナ様に、私は身動きができないでいた。――られる。死を受け入れた身体は動かないものなのだな……。と、そんなことを考える余裕すらあった私だったが、

「お待ちください!」

 間に入ったのはタマオだった。


「顔はイルジオン様の唯一の取り柄なのです!」


 ふぁっ?


「唯一か?」

「唯一でございます!!」


 ちょ、タマオ!? 酷くない!?


「顔だけか?」

 アンジェリーナ様は扇を広げ片眉を上げた。


「顔だけでございます!」

 言い切るタマオ。


 タマオー!? 助けに来てくれたの!? 貶めに来たの!? どっち!?


 ニヤリとアンジェリーナ様。ソレご令嬢のする顔じゃないですよ! ホント! マジで!! え? ちょ、なんで、扇握りしめて、る!?


「嵐の日に、イーシアを一人にしている男を許せるわけがないですわ」

 雷鳴轟く稲光を背にしたアンジェリーナ様。


 一人? そうだ、ニィチェルが王都ここにいるのなら、イーシアは今一人で!?


“イルジオン様! イーシア様をお迎えに行ってくださいませ!”

 頭に響くのはタマオの念話。

“何があった!? イーシアに何かあったのか!?”

“イーシア様は――”

 タマオからの伝えられたイーシアの言葉に、顔が熱を持った。こんな私でも慕ってくれてると?


『私の一番好きな色なのです』


 そう言った。私の瞳と同じ色のコサージュ。


「イーシアを迎えに行く「お願いします!」」

 被せてきたのはニィチェル。彼女はニージオを支えながら叫んだ。


「イーシアは雷が苦手なんです! きっと一人で泣いてますっ!」



 私は走った。嵐の中、馬を駆け、転移門を通り二時間。領地の端の屋敷にたどり着いた。


「イーシア!」

「イ、ルジオン、さま?」


 彼女の瞳は涙で濡れていた。


「一人にさせてすまなかった! もう大丈夫だ! 私がずっと一緒にいるから! かみな「イルジオン様、嬉しい!」っ!」

 抱きつかれ、窓から見える景色に気づいてしまった。

「イルジオン様?」

 雲一つない晴れ渡った空。

 気づき、思い出したのだよ。


 転移門を使わなければ、王都からここまで三日の距離だということを。


「ずぶ濡れですが、どうなさったのですか?」


 そう、まだここには嵐は来ていないってね。




***


 私はイーシアと共に王都へ戻った。


 ニィチェルを迎えにきたニージオの姿を思い出し、私を想って涙していたイーシアに、嵐のことは言えないでいた。

 彼女の胸に咲く若草色のコサージュにだらしなく頬が緩みそうになるが、事あるごとに「イルジオン様、かっこいい」とか、キラキラした瞳で言われたら表情筋を鍛えるしかない。


 美しく、時に少女のような可愛らしさを見せるイーシアに、「ウチの奥さん、もう、まじカワ!」と床ゴロしたくなるが、妻に幻滅されたくない私は今だ本性を晒せない。


 風呂上がりパンイチでうろつくことも辞めた。

 ニージオとの食事でも、残しておいた大好物を取られても、以前のように火炎術を放つようなことはしていない。


 そんな私をぬるい目で見守るタマオのフォローによって、私は“クールでカッコイイ”をキープしている。

 彼女のために一生“カッコイイ”をキープする自信はある。




***


「タマオさん」

「はい、奥様、どうされました?」


 奥様は可愛らしく両手を合わせて上目づかいです。ソレ、イルジオン様の前でやってくださいね、面白いから。


「あのね、お昼の海老フライ、夕食にも出してほしいの」

「かまいませんが?」

「ほら、イルジオン様の分、ニージオ様に取られてしまったでしょう? 涙目で我慢しているイルジオン様、可愛くって」


 ほほほほ。イルジオン様、とっくに色々バレてますわよ?


「わかりましたわ」

「ありがとう、タマオさん」


 女性経験の値が低いこともとっくにバレてますのに、自分を良く見せようといっぱいいっぱいなイルジオン様を見守るイーシア様です。

 人目がないところで床ゴロしながら、「あぁぁぁ、名ばかりの妻じゃないのに! タイミング! タイミングがぁ!」なんて言ってるのも実はしっかりイーシア様に見られているとか、面白いから言いませんけどね?


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婚約破棄できなかった僕らの話。 ひろか @hirokinoko

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