間話:炎と知恵の宴

 すべての炎が生まれ、還ると謳われる地――ウールワナ大火山。屈強な火竜の戦士を鍛え上げるための儀式を行う洞穴、その最奥にて上機嫌な声が響き渡っていた。


「ふぉ~っ、美味い! 美味いぞ!」


 無骨な岩肌によって造られた縦穴にとどろく声は、場違いにも思えるほど甲高い。むしろ可愛らしいと言っても差し支えのないような無邪気ささえ孕んでいる。


「ひッく……んんっ、羽の隅々にまで沁みるわい」


 声の主は、赤と金を交互に織り込んだ見事な髪を持つ少女だった。ゆったりとした衣服を引っ掛けているが、火竜たちの里でよく見かける胴着とは少し雰囲気が異なる。前で閉じなければならないはずの襟は大胆に左右へ開かれ、のぞく肌は白粉をまぶしたように眩い。残念ながら、その合間に穿たれた谷はそれほど深くはなかった。


「なーんじゃ火竜どもめ、こんなに美味い酒を隠しておったのか!」


 そんなはしたないとも言える胸元を隠そうともせず、少女は素足を手頃な岩にどっかと乗せたまま呑んだくれている。その脚の膝から下は間違いなく鳥のもので、先端の黒い鉤爪が火精霊たちの燐光を受けてギラリと光っていた。よく見れば豪奢な服の後ろからは長い長い真紅と金の尾が伸び、荒い地面に色を撒いている。


「この深み、ふくよかな余韻。いつも我に献上しておるものとは格が違うの」


 彼女は酔いに呑まれて独り言を放出しているわけではない。少女の向かいに据えられた岩、そこに優雅に腰掛けている人物がいた。褐色の肌に深紫の髪が似合う男で、こちらもまた世離れした美しさを誇っている。


「そりゃそうでしょ」


 彼は黄水仙色のローブに包まれた長い足を組み替え、小粋な仕草で酒を口へ運びながら答える。


「ちゃーんと俺っちが買ってきたんだからさ。なけなしの懐を痛めてね」

「ぶふっ!!」


 礼には程遠い無礼さをもって、少女が飲んでいた酒を吹き出す。皿のような平たい盃の中になみなみと注がれていた酒はあっけなく宙を舞い、彼女の羽毛に覆われた胸元へ吸い込まれていった。合間を縫って染み込んできた酒に「つめたっ!」と大慌てする少女を観察し、男が呆れたように言う。


「あーれま。不死鳥ってのは、そんなトコにも口がついてるのかねえ?」

「おっ、乙女の胸元をじろじろ見るでないッ! このすけべ竜めが」


 長い袖の端を引っ張り行儀悪く酒を拭き取る“不死鳥”の少女に、“すけべ竜”と呼ばれた男は細い肩をすくめた。そう、このふたりの正体はヒトとは程遠い存在――火山の守護者たる不死鳥ファレーアと、世のあらゆる叡智に通ずると言われる知恵竜アーガントリウスなのである。


「きっ貴様が、我に、酒をうたじゃと!? なっなっなにを盛った!?!?」

「調薬には自信あるけど、不死鳥を眠らせる薬ってのはさすがに知らないねえ。毒殺したってすぐ蘇るから意味ないし」

「じ、じゃあ何じゃ、まさかただ感謝を伝えんがために買うたとでも言うのか」

「すんごい失礼なこと言ってんの分かってる? あーもう帰ろっかな」


 ため息をついて立ち上がる男に追従し、地に並べられた大量の酒瓶がふわりとわずかに宙に浮かぶ。金色の目を丸くしたファレーアがわたわたと手を振った。


「待て待てッ! 我が悪かった」

「素直でよろしい。お前のそゆかわいいトコ、変わってなくて嬉しいよ」

「……ふん。お主も、性悪なところは変わらんの」


 ふたたび岩の来賓席に腰を降ろした訪問者を睨み、火山の主はぐいと盃を傾けた。細い喉を鳴らして豪快に飲み干し、小さな舌をぺろと出して唇を舐める。


「して、どうじゃ。火竜たちの村では、みな息災にしておるか」

「お陰さまでね。ギムリウスも、広い家が活用されて嬉しいって毎日ニコニコしてるよ。ほんとあいつら、顔は怖いのに交流好きだよねえ」

「ここまで来る旅人は滅多におらんからの。時に、あの若造はどうしておる」

「リンちゃんのこと? へえ、気に入ってるんだ」


 すぐに名を言い当てた知恵竜は、面白がるように火山の主を見た。長い尾をばさばさと揺すり、不死鳥は火を吐きそうな大声を出す。


「ばっ、馬鹿言え! 我が直接しごいてやったのじゃ、そう易々とくたばられては“儀式”の名に傷がつく」

「ふふ。ま、今は大人しく寝てるよ。魔力点が回復するまでは薬と静養のみが頼りだから、毎日キツそうだけどねえ」

「ほう。相変わらず、ヒトは脆弱だのう。それではあの精霊の娘は、たいそう気を揉んでおるじゃろうな」

「エルシーちゃんのことも気に入ってんだ? 珍しいね」

「ふふーん。同じ空を翔けた乙女じゃ、少しぐらい贔屓してもよかろ」


 火精霊たちによって持ち上げられた酒瓶から、とくとくと濁り酒が注がれる。盃の端いっぱいまで溜めることに注力しながら、少女はからかうように言った。


「しかし覚悟するのじゃな。旅立ちの日には、自分達の工芸品を下界に広めて欲しいと大量に押し付けられるぞ」

「それくらいお安い御用よ。世話になってるからね」


 さらりと言ってのける竜に、不死鳥の少女は不思議な刺青の入った頬をぷうと膨らませる。


「むぅ、ずいぶんな入れ込み様じゃな。そんなにあの若造どもが愛らしいか」

「愛しいねえ。お前も見たでしょ? あの子らが起こした奇跡を」

「当然じゃ。我は火山のいかなる地とも繋がっておる。火精霊たちからお主らの戦いの記憶、とくと見させてもろうた」


 口ぶりは賞賛するものだったが、ファレーアの表情は厳しい。竜の男は髪と同じ深紫の瞳で酒盛りの相手を見返したが、何も言わなかった。少女は苦々しげに唇を尖らせる。


「なんといっても竜人じゃぞ、竜人。まさかまだ存在していようとはの……」

「さすがの不死鳥でも驚いたでしょ。俺っちもよ。どこまで訊いた?」

「あの木こりと姫は幼きころの事件で竜人に“成り”、炎の騎士は今回運悪く“成った”だけ――とな。リスを問い詰めようと思ったのじゃが、肝心なことはボカされてしもうた。賢い商人よ」


 白い衣に覆われていない小さな肩をすくめ、ファレーアは大袈裟なため息をつく。尊大な褒め言葉に苦笑しつつ、アーガントリウスも自分の盃をくいと傾けた。まろやかな甘みと、火竜たち手製である香辛料の刺激が舌の上で踊る。


「お主を不老にしたのも十中八九、竜人であろうな。目星はつけておるのか」

「いいや、まだ。生きてるなら多分、いつかぶつかるだろうけどね」


 静かに酒を呑む男は、これ以上の展望を語る気はないらしい。褐色の中に浮かぶ切れ長の瞳はまるで、盃の底に答えが沈んでいるのではないかと願うような色をしていた。


「おい、何を考えこんでおる。無礼なヤツじゃな、こんな美女との酒盛り中に」

「これは失礼。なんたって一行の年長者は、考えることが多くてね」


 アーガントリウスはふっと微笑み、詫びるように盃を持ち上げてみせる。向かいの少女は長い尾でぱしりと地面を打つと、紅を刷いた唇の端を持ち上げた。


「あの名高き知恵竜が子守りに悩む姿を拝めるとはのう? 甘美じゃて」

「なんとでも言いなよ」

「……」


 どうにも歯切れが悪い。ファレーアは手近な火精霊に盃を預け、腕組みをした。


「いいや、やっぱりお主は変わったの。弱くなった」

「……そうかもね」


 風の魔法で運ばせた酒瓶は、ゆるゆると回転しながら宙に留まったままだ。それはまさしく、魔法の主の思考も同じく停滞していることを示していた。男はそんな酒瓶を――そのずっと先を透かして見るような瞳をして呟く。


「弱くなる一方だよ。俺っちは」

「何故じゃ! 知恵竜」


 ぼうっと縦穴の奥が茜色に染まる。主人の感情の昂りが火精霊たちに伝播し、燃え上がったのだった。


「以前のお主はそうではなかった。炎のように強く、水のごとき自由で、風よりも気まま――そしてこの大地のように、揺るがぬ心を持っておった。その強さで我をねじ伏せ、この縦穴に封じ……守護者としての責を負わせた」

「何よ。まだ怒ってんの?」


 背後にそびえる火山の黒岩を愛おしそうに撫で、ファレーアは静かに目を閉じる。


「否じゃ。もうここは我の家であり、火竜たちはみな我の子じゃと思うとる」

「よかったねえ」

「話をすり替えるでない! お主の話をしておるのじゃ」

「心配してくれてんの? かわいいクックちゃん」

「してないしてなーいッッ‼︎ やっぱりお主のその性格の悪さ、あの若造どもに影響を及ぼしておるぞ!? まったく……」


 ぶつぶつ言いながらふたたび酒をあおった少女を見、知恵竜は小さく息を落とした。ついでに、若き仲間たちの前では見せないと決めている心の片鱗が静かにこぼれる。


「多すぎんのよ。預かったまま、返せてないモンが」

「知恵竜――」

「もうこの背には乗せ切れないほど、たくさん。重くて重くて、時々沈んでしまいそうになる。自分がどんな生き物だったのか、忘れてしまうくらい」


 丸くて薄い盃の中で、銀色の月を思わせる酒が揺れている。ちらちらと踊る光は、知恵竜の脳裏にさまざまな存在の顔を思い浮かばせた。そしてその顔のほとんどが今、この広い世界のどこにも存在していないという現実も。


「あの子たちは強い。身体も心も、日に日に強さを増してく。それでも敵は、まだ遥かに高い位置にいる」


 すとん、と軽い音を聞きつけ顔を上げると、同じく遠い目をしている人外の少女が目に入る。鉤爪を有する足をぶらぶらと宙に遊ばせ、不死鳥は語った。


「我が生まれたのは、ここより東にある小国であった。悪しき風習に天罰が下り、もう存在せぬがな」

「……」

「混乱に乗じて国を脱した我はその後、この世の果てまで翔んでみた。ヒトも竜も獣人も、生命はみな愚かで仕方ない。せめて争いの火種となる力ある武具を取り上げて回ってみたものの、それでも憎悪の炎は消えぬ」


 この不死鳥もまた、可憐な外見からは推測できぬほどの月日を生きてきた存在だ。知恵竜は盃から唇を離し、同じ人外の者を見つめる。


「すべてを諦めた我は、手当たり次第に炎の雨を降らせた。そこへしゃしゃり出てきたのが貴様じゃ、知恵竜。貴様の勝手な事情で我は自由な空からこの地上に引き下ろされ、虫のごとく無様に暮らした」

「だーから、もうその責は――」

「感謝しておる」


 威厳に満ちた、しかし深い慈しみを滲ませた声。アーガントリウスがきょとんとした顔をしているのを見、ファレーアはふっと微笑んで続ける。


「感謝しておるんじゃ、アーガントリウス。お主は我に、空からは決して見えなかった景色を教えてくれた」

「……」

「火竜たちの献身と思いやり。世代を超えて継いでいく、生命の営み――その流れる月日はなんと美しく、なんと愛しいことか」


 献盃するように一気に高く盃をかざすと、勢いよく酒の滴が飛散する。その雨の中、火山の主はニイと笑んだ。


「不死鳥にとって死は終着点ではない。まあ、ただのくしゃみのようなものじゃ」

「今までの良い話が台無しなんだけど」

「しかしお主らにとっては、そこまでが勝負なのじゃろ。つまりじゃ、貴様の賢い脳みそがあらゆる不安を訴えようとも、今は――呑まれてやるなと言っておる」

「!」


 少女が空いている手を前方にかざすと、勢いよく炎の柱が立ち上った。湧き立つ火精霊たちが喜んで周りに群がり、縦横無尽に舞う。まるで小さな宴のようだ。


「救ってやれ。励ましてやれ。育ててやらねば、などと気負わんで良い。子とは気づけば皆、いつのまにか背に立派な翼を生やすものなのだ。お主は彼らの殿しんがりに立ち、その背を狙う不届き者だけを焼き尽くせば良い」

「……。すっかり母の顔が板についたってわけね」


 岩から静かに腰を上げたアーガントリウスは、長い足で宴の席を横断する。ファレーアが身を沈める岩の台座はまるで、火精霊たちの紅い光に彩られた玉座のように見えた。その足元に片膝を立て、竜はそっと不死鳥の小さな手を取る。


「これまでの無礼をお許しください。火山の母レディ・ボルケーノ

「なんっ……う、うむ。許そう」

「それから、胸を打つ激励の数々に感謝を。さすれば何か、この身で尽くすことのできる礼などあればと願い乞うばかりでございます」

「ひゃわ!? れ、礼じゃと! そっ、そう急に言われてもじゃな……わ、我はもう、せ、接吻とか、そのような細事ばかり考えるような稚児ではないからして」

「では、もっと先の――大人の男女が好む趣向をお望みで?」

「ふええええ!? ちょっちょっと待つのじゃ、こんな無骨な場所では……っ」


 もじもじと身を捩って赤面する不死鳥に対し、アーガントリウスはにっこりと笑んで立ち上がった。


「それは大いに同意だわ。そゆコトは、雰囲気ムードがある場所でないとね」

「……は!?」

「ごめんねー、そろそろ次の解熱剤を調薬する時間なのよ。ここまで来たついでに、薬に必要な火炎苔も採取して帰りたいし。急がないと、エルシーちゃんに怒られる」

「きっ貴様、このおおお!!」


 憤慨して身体中から火の粉を撒き散らす不死鳥を横目に、ヒトの姿をした知恵竜はぐっと身体を伸ばして言った。


「上等っしょ、“入れ込みすぎ”。俺っちは、あの子たちの旅に――世界の今後をすべて委ねるつもりなんだし」

「古代の……生粋の竜人を相手にか? 我はそこまで夢を見ろとは言っとらんぞ」

「見なきゃなんないのよ。あいつらに勝手にこの世界を好きにされちゃ、いつか還ってくる“友人”が――あいつが、がっかりするからさ」


 波打つ髪の向こうにある横顔が、ふっと笑みをたたえる。不死鳥は腹立たしげに拳を握りながらも、どこか諦めたように鳥の足を組み替えて言った。


「ふん。まあ、好きにやれ。それがお主の本質じゃて」

「わかってる。俺っちにとっても、これが世界を見極める――最後の旅だ」

「たいそうなことを。じゃがまあ、終わって行き先がなくなったらここへ住まわしてやっても良いぞ」

「あらま、光栄だこと」


 振り返って優美な会釈をしてみせる男に、不死鳥は金の目を細めた。そして彼女の不穏な胸の内を体現するかのようにまた、不老の竜も静かに笑む。


「でもごめんね、先約があんの」

「そうのたまうと思うたぞ。この女たらしめが」

 

 精一杯の低い声をぶつけてみるも、男の笑みは崩れなかった。



「ありがとね、ファレーア。でも最後に訪れる場所はもう――決めてあるから」



****

6章お読みいただきありがとうございました&お疲れ様でした!


あとがき近況ノート(おまけ漫画つき):https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330651684576032

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