6−29 勝負だ
「はー。長ェな、まったく。崇高な演説は済んだか、騎士サマよ?」
コキリと音を立てて太い首を回し、蒼き竜人セイルは相対者を見た。ほとんど自分と同じ異形姿をした竜人――リクスンは予想通り、金に染まった瞳を見開いている。
「なっ……! 貴様、ひとの最後の頼みを」
「黙って聞いてりゃ、一人勝手にしおらしくなりやがって。ぶっちゃけ気持ち悪ィぞ。なあ、テオ?」
(そこまでは言わないけどね。でもまあ、おかげで僕は十分に思考の海を泳ぐ時間を貰えたよ)
久々に届いた心中の賢者の声は、いつもの落ち着きと深みを取り戻していた。しかしセイルはその理由をすぐには尋ねない。まずは眼前の男に、こちらから言っておかねばならないことがあるからだ。
「くっ――また!」
セイルが口を開こうとすると同時、リクスンが炎の大剣を掲げて襲いかかってくる。その苦悶の表情から行動の原因が彼の“同居人”にあることは明白だったが、幾多の傷を負ったセイルの身体にはやはり堪える一撃だった。
交差した大戦斧と大剣の向こうから、焦りと苛立ちを含んだ声が寄越される。
「は、はやく……反撃しろ! 貴様が
「ナメんなよ、こちとらてめえより長く竜人やってんだ。それにまだそれだけ元気が有り余ってんなら、ちょっとくらいお喋りする時間はあんだろ?」
「そのような、こと――ッ」
「いいから聴けよ。リクスン」
「!」
向こうもそうだが、こちらから名を呼ぶのは初めてだった。ぎょっとした仲間の顔でその事実に気づいたセイルだったが、何にせよ相手の猛攻が弱まった隙は逃さない。手首を返して戦斧を振り抜くと、弾かれた橙色の竜人は空中を滑るようにして後退した。
「ひとつ訊くがな。てめえでてめえを救って、何が悪いってんだ?」
「何!?」
「誰だって失敗くらいするだろうが。それとも騎士さまってのは皆、生まれてこのかた一度も転んだことがねえってのか? 完璧に見えるお前の兄貴だって、かっこよく白馬を乗り回すにゃ時間がかかったはずだろ」
なかなか上手い例えを提示できたのではないかと満足したセイルの心中から、妙に真面目くさった友の声が返ってくる。
(カイの愛馬シャーノックスは、彼をひと目見るなりみずから
「……。あー、つまりだ。お前がどんな想いをその腹ん中に抱いてようが、フィルはなんとも思わねえって話だ」
話の腰を折りそうな友の豆知識を無視し、セイルは得物を構えている竜人を改めて見据える。リクスンの気持ちの昂りと呼応しているのか、剣から舞い散る火の粉の勢いが増していた。
「き、貴様に姫様の何が分かる!」
「わかんねーよ。俺にはあいつどころか、女ってやつも、そもそも他人全員のことがよくわかんねェんだ。悪いか」
(天晴れな開き直り具合だけどね、親友。聞いていて僕はちょっと悲しいよ)
「うるせえ」
どんなに呆れられようとも事実だ。森と町を行き来するだけの質素な毎日で育まれたのは、揺るぎない生活力だけ。妹や武道の師は常にそばにいてくれたが、広い世界に出た今はまるきり違う。旅の仲間たちの行動には木こりにとって、まるで予想がつかないものが未だに多すぎるのだった。
「俺だってこんな話、したかねェけどよ。あいつが勝手に話してくるんだから、仕方ねえだろ」
「姫様が……俺のことを?」
この告白に、リクスンは神妙な顔をして黙り込んでいる。セイルは油断なく得物を握ったままでいたが、すぐに同じ予想が賢者からもたらされた。
(動揺しているようだね。身体の主導権はあのオルヴァという竜人にあると言っていたけれど、やはり思考と身体は連動しているんだ。となると……)
そう言い残し、テオギスの気配が薄まる。また思考の海とやらに潜ってしまったのかもしれない。セイルはそっとため息をひとつ落とし、相対者を軽く睨んだ。
「そりゃそうだろ。アイツが書庫塔とやらに閉じ込められてる時、訪ねてくる騎士は毎日同じ顔だったはずだ。だから俺と喋る時には必然、てめえの名前がわんさと出てきやがる」
“大切な給金を使って、城下街で本を買ってきてくれたんですよ”
“私が観察したいと言った花を、城そばの森から探してきてくれて……”
“竜人化がひどい時には、自分が傷つくのも構わずに私を止めてくれました”
“お父様からの『合図』が無い寂しい夜には、こっそり明かりをもってきてくれました。陽が昇るまで、ずっと居てくれるんです”
旅途中の休憩をした木立の下。あるいは夜の見張り中に、焚き火のそばで。書物と共に暮らしていたという王女が自分に語ってくれた思い出の中には、いつもこの騎士の姿があったものだ。
“私、リンからたくさんのものを貰ってばかりです。でも主君として、いつか……いつか、彼が誇れるような存在になりたい”
「――そうやって、いつも最後に同じ言葉で締める。イヤでも覚えちまった」
「姫様……。俺は……俺のほうこそ、貴女から頂くばかりだというのに」
伸びた前髪の下で、同じ金色の眉が不自然に歪むのが見える。セイルはフンと鼻を鳴らし、吐き出すように言った。
「お前は俺が疎ましいって言ったろ。奇遇だな、俺も同じことを思ってきたんだ。なんたってお前とあいつが過ごした今までの時間の中にゃ、どう頑張ろうが俺は割り込めねえんだからな」
「……!」
「ま、ソイツは今から塗り替えていくとして。今は癪だが、てめえの話だ」
短く息を吸い、セイルは大戦斧をまっすぐに仲間に向けて突きつける。
「過去のお前が文句を言いに来るわけじゃねえんだ。今さらビビってんじゃねえよ、アホ騎士」
「何だその言い草は!? 俺は恐れてなど」
「それだよ。お前はそうやっていつもの暑苦しい顔して、フィルの側に堂々と立ってりゃいいんだ。分かるよな? ああ、それからな」
反論したそうな表情の仲間よりも早く、セイルはもうひとつの言葉を投げつける。
「お前自身はどうなんだ」
「俺自身、だと?」
「そうだ。騎士としてじゃねえ――ひとりの“男”として、人生になんの未練もねえってのかよ」
「!」
身体の自由が効かないはずの、橙色の鱗に覆われた身体。そんな仲間の顔が、自然な動作でふと曇天を見上げた。まるでその灰色の雲間から、何か色鮮やかな宝石でも降ってくるのではないかと期待しているような表情だ。
「……それ、は」
「口出しするつもりはねェけどな。妹を泣かせたら殴んぞ」
「なッ!? 何を勝手なことを言っている! 俺は任務中の身だぞ。たとえこの場を切り抜けたとて、そのような――」
「お、生きる希望が湧いてきたってか? てめえも結局は男ってこったな、騎士サマよ」
そう煽ってやると、いつも通りの吠え声が返ってくる。牙を見せつつ軽口で応戦していると、心中にそっと温かな気配が戻ってきた。
「で、どうすんだテオ。そろそろ“友情パワー”とやらも売り切れだぞ」
(うん、ありがとう。十分に観察は済んだ。こちらの武器が決まったよ)
「一応言っとくがな、この場に“
(もちろん心得ているよ。それにあの粉末でリンを捕らえても状況は変わらない。ここではもっと確固たる手段が必要だ)
「手段?」
(そう。
歯車のような何かがカチリと嵌るような感覚がはしる。セイルは微笑を引っ込め、唇をぺろりと舐めて言った。
「じゃあ聴かせろよ、賢者。俺はいつも通り、お前の斧になる」
わずかな静寂。しかしすぐに友はふふっと笑い、策を授けてくれた。
(ああ、その通り。まさに今、我々は“いつものように”振る舞うだけなんだよ)
「……おい。まさかホントにぶった斬るのか? アイツを」
(バネディットの“遊戯”で、君が斬った獣人のことを覚えているかい?)
その問いに、セイルは苦々しい記憶を引っ張り出しつつうなずいた。地下闘技場で戦わされた、ウサギの特徴を持つ獣人だ。
(彼は竜人ではなかったから、クレアシオで斬られてもその命に別状はなかった。けれど、彼の回復を目にした従者が驚いていただろう――“薬の効果も消えていた”と)
「つまり?」
火山の熱風が黒髪を舞い上げる。ゆっくりとだが、セイルにも賢者の考えが読めてきた。
(今まで僕たちは、この謎多き戦斧が斬っているものは“竜人となった肉体”だと思っていた。けれどもその効力は、もっと多岐にわたるものなのかもしれない)
「あいつの中の、竜人である部分――あのクサレ使用人の魂だけを斬れるかもしれねえってのか? なんだよ、散々時間稼ぎしておいて単純な方法じゃねえか」
(いいや、今回はそう簡単でもない)
さっそく斧に魔力を流し込もうとしていたセイルは、低くなった友の声に思わず動きを止める。
(リンとオルヴァ――両者の魂の結びつきが強い状態においては、非常に危険な行為だ。宿主の魂まで損傷する可能性が高い。現に君の戦斧の一撃を受けて生き残っている半端竜人は、ひとりもいないからね)
「んじゃどうすんだよ。真心込めてお斬りすりゃいいってのか」
(そういうことだね)
「マジか」
セイルが叫びたくなる衝動をようやく押し流した後、賢者は続けた。
「正確には、僕が水の魔力を使ってこちらの力の流れを統制する。それをリンの身体に叩き込み、君が開けた“傷”から異物だけを排出させるって流れさ。宙に机は無いけれど、もっとお勉強が必要かい?)
「いんや、遠慮するぜ。細けェコトは、お前に任せる」
魔法や魔力のことは何度聴いても分からない。素直にそう申し出ると、長年の親友は苦笑して言い添えた。
(彼は火に愛されている者だからこのやり方は堪えるだろうし、“同居人”も全力で抵抗するだろう。なるべく急ぐけど、斧が対象の身体に触れていることは必須条件だ。君はなんとしてでも食らいついてほしい)
「たしかにそりゃ簡単じゃねえな」
(それから、リンのほうでもやってもらうことがある。いいかい、こう伝えて――)
賢者からその伝言を預かると、セイルは突きつけていた大戦斧をようやく降ろした。そしてゆっくりと両手でその柄を握り、腰を低く落とす。ピリッと空気が張り詰めた。
「待たせたな。根性の見せ所だぜ、騎士」
「セイル……」
「テオからの伝言だ。お前はそれ以上ソイツと仲良くならねえように、全力で魔力を沸かしとけ。たとえ、手足が焼きちぎれてもだ」
「!」
「そしたらその“寄生虫”――俺が削ぎ落としてやる」
返事を待つ代わりに、ぐっと両手に力を込める。斧の隅々までを魔力を巡らせると、得物は遠くに見える火口よりも紅く輝いた。分厚い刃の表面に血管のように赤く浮かんだ魔力の筋は、いつも通り禍々しい。
しかし呪いだとばかり思ってきたこの輝きが今、仲間の命を救うかもしれないのだ。
「……心が決まったぞ」
静かな声に、セイルは爛々と光る金の双眸を向ける。声の主である橙色の竜人はこちらを見返していたが、その会話相手は彼の中にいる者だ。
「オルヴァよ。我慢比べをしようではないか」
騎士の言葉に導かれるように、大剣からこれまでにない大きさの火柱が立ち昇る。熱気に混ざってセイルの頬を打つのは、さきほどまでこちらに向けられていた殺気ではない。
「貴様が俺の意思を挫くのが早いか。それとも俺が貴様の血を、忠義の炎で灼きつくすのが早いか」
火柱は剣を伝い、持ち主をごうと包む。それは友の、“覚悟”の熱だった。
「勝負だ。言っておくが、今日は逃げる術は無いぞ――このクサレ同居人めが」
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