6−28 頼んだぞ

「騎士、てめえ……今なんつった」


 火山が静かに胎動する地響きにも似た唸り声が、リクスンの肌を震わせる。太い黒眉を思い切り寄せ不快感を示している仲間――セイルの顔を見、青年は鱗が浮き出た片頬を密かに持ち上げそうになった。普段の無表情が嘘のように、今の仲間の表情は雄弁だ。


 しかし一瞬戻ってきた穏やかな心を打ち消し、リクスンはもう一度告げる。


「俺を斬れ、と言ったのだ」

「……てめえも竜人に成ったんなら、面白い冗談のひとつふたつ言えるようになりゃ良かったのにな?」

「冗談ではない。その斧で、俺を殺してくれと頼んでいる」


 頼むにしては炎の宝剣を差し向けたままという無礼な格好だが、身体はいまだあの外道な半端竜人が支配しているのだから仕方ない。しかし意識は紛れもなく、自分――リクスン・ライトグレン本人のものだ。


 これだけ言葉を交わしているというのに、オルヴァは静観している。陰湿な趣向を楽しむあの男のことだ、自分とセイルのやり取りを見て薄ら笑いでも浮かべているのだろう。今はもうあの能面顔を目にしないで済むことだけが幸いとも言える。


 虫唾が走る想像を思考の彼方に追いやり、リクスンはこちらを睨んでいる紺碧の竜人を静かに見返した。


「邪なる竜人と融合した者に未来はない。貴様と賢者殿のように、手を取り合える存在ならばまだしも――俺はこの外道と同居する気はないのでな」

「アガトのじいさんが言ってたぞ。てめえの竜人化はまだそれほど進んじゃいねえって」

「そうだとしても、分かるのだ。俺の身体がもう、数刻と保たんということが」


 語っている最中にも、ぬるりとした液体が肌にまとわりつく感覚が走る。宝剣の柄を伝い落ちた赤いしずくは、手の甲を覆う鱗の隙間から溢れ出たものだ。リクスンの視界に映る身体のあらゆる部分で、すでに同じ現象が起こりはじめている。


「ゴブリュードの騎士が敵の手駒に転ずる結末など、断じて認められん。義兄上に合わす顔がないというものだ」

「なら消えちまうほうがマシだってのかよ。それ、同じことがフィルの前で言えんのか」

「言えるわけがなかろう。貴様だから言うのだ」

「!」


 この言葉に、仲間の顔色が変わった。ようやくこちらの真剣さが届いたのかもしれない。そう思うと安堵の息が落ちそうになった。


「……こうして貴様と面と向かって話すのは、姫様がはじめて狩りをなさったあの森の川辺以来だな」

「魔獣の解体作業で、お前が吐いたあの森か」


 今はその記憶すら懐かしい。いつもなら噛み付くはずの仲間の言いぶりにも、リクスンは小さく笑みを浮かべて肯定した。不思議なほどに心が凪いでいる。その意味が示すものが何かを実感しつつ、騎士は曇天を見上げた。


「この身に宿る外道使用人は虚言ばかりを吐くが、ひとつ当たっていることを言った。俺は貴様のことを少し――疎ましく思ってきたということだ」

「……」


 身体だけではなく強靭な心を持つ仲間は、この告白にも顔色ひとつ変えない。しかしその紺色の尻尾はわずかに左右に揺れていた。


「姫様を長年、お護りしてきたつもりだった。あの方が歩むだろう困難な道をお支えすることが、俺の生きる意味だと……。しかしお前という存在が、彼女を広い世界へと導いた」


 すべてはあの一夜から始まった。平和の象徴ともされるゴブリュード城へ急襲してきた、異形の化け物たち。それらと似ているようで違う、圧倒的な力で城壁塔を破壊した蒼き竜人。


 そんな大事件のあとで「自分はただの木こりだ」と言ってのけた青年は、死んだと思われた竜の賢者の魂――そしてリクスンの主君にとって、最も必要な情報を持ってきたのだった。


「城の外に出られ、姫様はお変わりになった。もちろん、良いほうにだ」


 長い間、彼女が格子窓の内側から眺めることしかできなかった広い世界。物盗り一家に辛酸を嘗めさせられたあの森からはじまった旅は、神秘的な世界樹のほとりで優秀な師を得、花の都では闇商人たちから多くの獣人を救った。


「昔のようによく笑い、よくお話になり――俺の命をお救いになった頃の……本来のフィールーン様にお戻りになりつつあるといってもいい」


 物騒なことが続き、護衛の身であるリクスンとしては正直肝を冷やす日々だった。しかし主君の空色の瞳は今、本当の広い天を映して毎日輝いている。道端で揺れる小さな花を熱心にスケッチする姿は、数ヶ月前まで書物の山に埋もれて暮らしていた“モグラ姫”と同一人物だとは思えないほどに活発だ。


 道中の出来事だけではない。その経験を共にしてきた仲間の存在が、ますます主君に光をもたらした。


“姫様!? どうなさったのです、その……”

“すごいでしょう? 皆さんから頂いたんです”


 たしかあれは町から町へ渡る最中の、穏やかな森の中だった。主君の黒髪の上に載った重そうな花冠を見て仰天するリクスンに、彼女は心から嬉しそうに語ったものだ。


“最初はエルシーさんが、『これなら旅の邪魔にはならないわ』とモモイログサの花で花冠を作って下さったんです。でもアガト先生が『それじゃ色気が足りないっしょ』と仰って、スミレナソウを編み込んで下さって”

“は、はあ……”

“そうしたらタルトトさんが、『ダイダイフグリの実をアクセントにしたらいいっす!』って取ってきて下さって。その実の香りに気づいてやってきたセイルさんが『腹が減った』と言って、いくつか実を食べてしまいました”

“ここに俺と残って荷車の車軸整備をしていたはずなのに、いつの間にか姿を消したと思ったら、あの男め――!”

“ふふっ”


 恨めしそうなリクスンの声とは対照的な、明るい笑い声。頭から下ろした色とりどりの重そうな花冠を愛おしそうに見つめ、主君は少し目を潤ませて呟いた。


“……仲間から贈り物を受け取るって、とても素敵なことなんですね。リン”

 

 いくつもの花々が入り混じっているはずのその花冠からは、花になど興味がない騎士でさえ癒しを感じてしまうほど良い香りがした。あの場でリクスンはうなずきを返すに留めたが、胸の奥がとても温かくなったことは今でもよく覚えている。


「……」


 一度静かに目を瞬く。今眼前に広がる光景に、あの花冠のような色彩はない。黒々とした無骨な火山が連なって煙を噴き、遥か下の地上は血を撒いたような赤土に覆われている。


 あらゆる炎が還りし地――ここが、自分の旅の終着点だとしたら。


「実に喜ばしいことだ。なのに俺は……それを成したのが自分ではないことに、心の底では憤っていたらしい」


 珍しく仲間からのからかいはない。まるで無口な木こりに戻ってしまったかのように、相対する竜人は黙り込んでいる。生ぬるい風に自身の長い金髪が巻き上げられていくのを他人事のように見ながら、リクスンはこれまで決して口に出さなかった想いを吐露した。


「汚らわしい。俺は彼女に、自分の努力を……尽力を、評価してほしいとさえ思っていたのだ。見返りを求めてはならない王国騎士として、あってはならぬ心と言ってもいい」


 口に出すことで罪が確定してしまうかのような、苦い気持ちだった。血を流している身体の痛みよりずっと激しい何かが、心を傷つけるのがわかる。どこからか満足げに歪んだ微笑が聞こえたが、リクスンは無視した。


 代わりに視界に入ったのは、鱗に覆われた胸や腹だ。焼け焦げた服は申し訳程度に腹回りに引っかかっており、上空の風に遊ばれている。自分を支えてくれた紅色が虚しくたなびくのを見、また騎士の心が痛んだ。


「いいや、本当は……俺は、俺のために騎士をしていたのかもしれん。もう昔のままの、無力な子供ではないと証明するためにな」


 思えばオルヴァが潜り込ませた竜人の力を、どこかで自分は欲していたのかもしれない。それを認めるのは恐ろしいことだった。しかし今ならばその理由がわかる――目の前のこの男に、少しでも遅れをとるまいと焦っていたからだ。


「だから、汚らわしい俺を斬ってくれないか。このままでは、俺は仲間も……護るべき主君まで手にかけてしまうだろう」


 少々ぐらついていた心が、その言葉を言い終えると同時にぴたりと固まる。ひとつの指針、あるいは墓標のように冷たい何かが心の奥に打ち込まれたのを感じた。


 黙り込んでいたセイルがようやく口を開き、うなるような低い声を落とす。


「……その主君のことはどうすんだよ」

「すまんが、あとはすべて任せることになる。あの方は自らを責めるだろうが、これは俺が望んだことなのだと伝えてくれ」


 幾度と目にしてきた主君の泣き顔。次は自分が彼女の涙の種になるかもしれないと思うと、申し訳なさで胸が軋むようだった。その痛みを押しやり、リクスンはしっかりとした口調で続けた。


「口の上手い商人や聡明な知恵竜殿、彼女にとっての友がついていれば、この先の旅にも不安はなかろう」

「お前……」


 ふと何か伝え忘れていることはないかと考えを巡らし、側付騎士は言い足した。


「姫様は何でも召し上がるが、実はパッセンリの葉が苦手だ。なるべく料理に入れないでほしいと貴様の妹に伝えてくれ。それから日々のお気持ちを記録している手帳の残りページが少なくなっているが、路銀を気遣って言い出せずにいる。これも商人に伝えて、次の町で購入を検討してほしい」

「何だよ、その諸連絡は。んな細けェこと、俺は覚えきれねえぞ」

「テオギス殿が覚えておいてくださるだろう」


 そう指摘すると、黒髪の下にある異形の目がわずかに細められた。彼の心中に宿る“善良な同居人”と、何か言葉を交わしたのかもしれない。城で世話になった賢者とまたいつか話せることを夢見ていたが、とうとう叶わなかった。


「魔法を学ぶことは姫様の力を刺激するのではないかと危惧していたが、結果的に魔力の制御へと繋がり、今では彼女の大事な誇りとなった。心から感謝している――そう、彼女の師へ伝えてくれ」


 紺碧の竜人はうなずきのひとつも返さなかったが、太い尻尾がゆらりと揺れた。それを勝手に了承の合図だと思うことにし、リクスンは短く息を吸って真っ直ぐに仲間を見る。


「そして貴様だ、木こり。悔しいが、あの方にとって……お前は、何よりの支えだ。どんな時も彼女のとなりにいて、言葉を聞いてやってほしい」

「……」


 本当は義兄や彼の右腕、そして城の面々にも伝えたいことが山ほどあった。しかしすべての言付けを託す時間はないだろう。手足がすでに石になってしまったかのように重く冷たい。


 それでも今リクスンの心に残っているのは、寂寞の想いではなかった。自然と口の端が持ち上がり、緩やかな弧を描く。



「姫様を頼んだぞ――



 尽くすべき主君にも、敬愛する兄に向けるものとも違う。それは騎士がはじめて浮かべる、“友”に向けた笑みだった。





***

いつもお読みいただきありがとうございます。

本編はシリアス真っ最中ですが、明日11月27日でドラ嘘は連載2周年を迎えます。本日はネタバレ近況ノート(最近載せてます:https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330650037374132)、明日は記念の番外編をアップ予定です。ぜひお立ち寄りくださいませ♪

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